三郎がカウンターでAランチを受けとって雷蔵の座っていた席へ戻ってくると、そこには、困りきった表情をした竹谷が座って縋るように三郎を見上げていた。
「雷蔵は?」
「どっか行った」
「飯は?」
「いらないって」
久々知がしらっとした表情で、肩越しに鉢屋を見上げた。ぼそりと低い声で歌う。
「おーこらせた、怒らせた。らーいぞうを怒らせた♪よかったな、嫉妬してもらえて、三郎」
ぷるぷると三郎の身体が小刻みに震えている。泣くのを我慢しているのだ。ふだん悪戯ばっかりして尊大で鷹揚な態度ばかりを見せつけている妖者の術の天才が、実は繊細で傷つきやすい性質であることを知っている竹谷は、久々知のサドっ気に無言で、やめてやれ、と首を振る。ぐし、うっく、えく、と三郎が小さく嗚咽するのを聞いて、竹谷は、
「・・・謝ったら?」
と至極まともな意見を述べた。三郎は何も言わなかったが、きっと今夜あたり雷蔵と仲直りするだろう。彼のいつもの馬鹿な思いつきは、今回はこれで閉幕するのだろうと、竹谷と久々知は疑わなかった。そう、まさか、この小さないさかいがあんな大事に発展するだなんて誰が予測しただろうか。
五年ろ組の席順は、一番後ろの教師に見つかりにくい人気席に、雷蔵と三郎が並んでいる。この、三郎にとって文句なしのいい席順は、もちろん奇跡なんかではなくて、彼が籤引きに細工をして成し遂げたものである。三郎にとって、奇跡は「自ら作り出すもの」であった。だが、この日ばかりは三郎も、この席順を恨んだろう。なにせ、三郎の隣では不機嫌を隠さない雷蔵が、長い文机を隣同士に分け合っているのである。三郎はびくびくしながら、謝るチャンスを掴もうと必死である。上目遣いに雷蔵の顔を覗き込んでみても、彼は教科書と黒板に視線を行き来させるだけで、決して三郎の視線の侵入を許さない。鉄壁の構えであった。三郎は仕方なしに、草紙を一枚破って、「ごめんなさい」と書き付けて、雷蔵に渡した。雷蔵はそれを片手で握りつぶして、三郎につき返す。視線は黒板を見つめたままである。雷蔵のあまりの沙汰に、三郎は息が止まるかと思うほど驚き、絶望した。朝ちょっと生意気な口を利いたことが、こんなに彼を怒らせるとは!
しょんぼりした三郎と、その横で怒りも心頭な様子の雷蔵を振り返って、竹谷は心配げな様子である。あまりにふたりを心配していて、竹谷は、自分が木下鉄丸から苛立った様子で何度も名を呼ばれていることに気づかなかった。
「竹谷ーッ!!」
ついには怒鳴りつけられて、竹谷はびくん、と大きく身体を揺らす。
「なにを鉢屋ばかり見つめとるんだ、馬鹿者っ!」
「えっ、あっ、」
それは厳しい木下なりの冗談を効かせた文句のはずだった。木下は厳しく、生徒に打ち解けないこと心情にしているが、竹谷にだけはわりと優しい表情を見せた。それは竹谷のひとなつっこい性格によるものだろう。さらに木下は、賢い三郎ならば自分の冗談を上手く返せると見込んだのだ。
「げーっ、木下先生、気持ち悪いこといわないでくださいよ~」
などと軽口を叩いて舌を出し、それに竹谷が「気持ち悪いってなんだよ!」などとプンスコ怒ることで、授業中の雰囲気を和らげようとしたのであった。・・・なにせ、今日は雷蔵の不機嫌でクラス全体が妙に緊張しているのである。
ところが、焦る竹谷の向こうで、雷蔵がクールに「木下先生、そんなことより授業を進めてください」と返し、その言葉に鉢屋が突っ伏して泣き出してしまい、事態はますます酷いものとなった。木下鉄丸は、思春期の男子生徒たちを教えることの難しさを想って溜息を吐いた。
おかしい、と呟いて首を捻ったのは久々知である。放課後の食堂でのことであった。竹谷から今日一日の雷蔵の不機嫌っぷりを困りきった態で訴えられての返答であった。
「雷蔵は別件でも何か起こってるんじゃないのか」
「今日の三郎の対応だけじゃないってことか」
「あんなこと、いつもの雷蔵だったらとっくに許していてしかるべきだ。それが、こんなに根が深いとなるとな、三郎は外に何かやっているのかもしれない」
「ありえない話じゃないな」
なにせ、雷蔵は怒りをためるところがある。とにかく、と竹谷は腹を擦りながら「はやく仲直りしてもらわないと、俺のほうが参っちまうよ」と深く溜息をついた。その背中を久々知が軽く叩く。
「ま、早いとこ原因を探って俺たちで仲直りさせよう」
「おう」
久々知の突き出した拳に、竹谷がコツンと己の拳をぶつけて、ふたりはふっとお互いに表情を緩める。緩やかな空気が流れた、そのときだった。背後で孫兵が、震えた声で竹谷を呼んだ。
「先輩、先輩、お話したいことがあります!」
竹谷は振り返って、なんだと問う。それに、ここでは無理だ、と美貌の後輩は恥らうように首を横に振った。竹谷は瞳をぱちくりさせた後、じゃあ、飼育小屋のあたりまでいくか、あそこなら人影もないし、と気を使ってくれるのに孫兵は頷く。竹谷が腰を上げると、久々知も、なら俺も委員会に行こうかなとなんのけなしに呟いた。それから竹谷が、「兵助、また夜にな」と片手を挙げるのに、ぽん、とそれを叩き返してやれば、孫兵が恐ろしい表情でこちらを睨んでるのに気がついて、首をすくめた。
(・・・なんだ、一体)
仕事で"( ゚,_ゝ゚)バカジャネーノ"といいたくなるようなときもあるさ、人間だもの。
怒りを創作意欲にかえ、三郎がうっとうしい話続き。
---------- キリトリ -----------
三郎の提案に、久々知は「何で?それって俺になんか有効なわけ?」と至極冷静な返答をし、竹谷は、「え、なんであえてそんな波風立てるようなことを!」と慌てて首を横に振った。唐突な比喩にはなるが、3人の恋愛を生みに例えるとこうである、と、三郎はおもむろに立ち上がって大仰な身振り手振りを交えて熱くプレゼンテーションを始めた。
「久々知の恋愛は引き潮の海である。お前のクールな振りして実は大変暑苦しい片想いに、タカ丸さんは少し引き気味である」
「うるせえよ」
「そこで、嫉妬という名の嵐を与える。するとどうであろう、それまで静かで決して揺れることのなかった凪の海が、久々知という名の砂浜に激しく寄せては返すではないか!兵助君が好き!ああ、でも、だめ、いけないっ!忍者を目指す僕が、誰かを深く愛するなんてそんなこと・・・ああっ、でも、止められない!好き!兵助君が好き!僕を抱いてーっ!・・・と、まあ、こうなるわけだ」
「よーし竹谷、明日も早いしもう寝ようぜ」
久々知はおもむろに布団を敷き始める。竹谷は苦笑して、「三郎、久々知疲れてるみたいだしさ、お前ももう雷蔵んとこ帰ったら?」などと遠慮がちに勧めてくる。三郎は竹谷に足払いをかけると、久々知の敷いた布団の上に竹谷を倒した。その上に圧し掛かって、起き上がれぬよう肩を押し付けると、さしもの竹谷も顔を引きつらせる。
「まあ、俺の話を聞け」
「三郎、あの、この体勢は俺いろいろ嫌なんだけど・・・」
「聞け。聞かないと舐めるぞ」
「ぎゃーっ!どこをーっ!?兵助助けろっ!」
「仕方ないな、三郎、三秒で説明しろ」
竹谷の布団を隣に敷いた久々知は、どっかりとその上に座り込む。
「竹谷、お前の恋愛は正直順風満帆だ。食満先輩は告白こそまだしないものの、あれはチャンスをうかがっているだけと見た。形式を重んじる人だから、告白ひとつとってもしかるべきときにしかるべき場所でしめやかに行いたいのだろう」
「い、いや、先輩と俺はそんなんじゃないって」
「ふっ、そういう謙遜の節々に”余裕”の二文字が垣間見えるよ、竹谷。だけど、本当にそんなに油断しきっていていいのかな?お前の幸せは、実は砂上の楼閣かもしれないんだぜ?食満先輩のルームメイトを思い出せ・・・」
竹谷がふと視線を横にそらしたのを、鉢屋は見逃さなかった。ぐぐっと顔を近づける。寸でのところで、ぐいっと兵助が襟元を掴んで引き上げたので、竹谷はほっと安堵の息を吐いた。
「食満先輩と伊作先輩は、一年は組の頃から付き合っていると噂され続けている仲だ。事実は違うとしてもふたりとも慣れきって、黒板にあいあい傘が書かれていてももう動じなくなっている。・・・いつ、噂が真実に変わってもおかしくない雰囲気だ・・・どうするう~(↑)?そんなことになったらどうするう(↑)竹谷あ~」
語尾上げで迫って来るのが非常にうざい。つい竹谷は、「もうどうにでもしろよ、もう!」と怒鳴っていた。三郎はにたりと笑うと、「我が同士を得たり!」とガッツポーズをとり、そのまま拳を天に突き上げる。久々知を振り返ったが、彼はやはり表情ひとつ変えず「断る、鉢屋馬鹿三郎」と生意気な口を利いた。恨めしく袖を引っ張ったのは竹谷だった。「兵助もいっしょにやれ~っ!」と我侭に請われて、兵助は溜息混じりに「仕方ないな、のってやろう」と頷く。久々知は、竹谷には態度が甘いのだ。久々知いわく、竹谷はどこか豆腐に似ているのだそうである。その真意も例えの意図も、誰一人理解できていない。まあ、それはいい。大切なのは、兵助も竹谷も三郎の案にのったということなのであるから。
「して、どうするのだ」
と尋ねる兵助に、三郎はにっと笑った。
「策はある」
竹谷が三郎の口元に耳を寄せる。久々知もそれに習った。三郎がふたりの肩を抱き、囁いた。
「俺ら三人で、愛し合っちゃおうぜ!」
その日雷蔵は、見てはいけないものを見た。
とうとう朝まで帰ってこなかった三郎は、久々知と竹谷とともに三人で、食堂に現れた。久々知も竹谷も表情がうんざりしているので、雷蔵は、果てはまた三郎が迷惑をかけたかと思い、「三郎!」と語気も強く彼を呼びつけた。
いつもだったらどんなに怒鳴りつけても、「うん、なあに、雷蔵(はあと)」と疎ましいような甘えた様子を見せるのに、その日はしらっとしらけた表情で「何?」とそっけなく聞いただけだった。人のいい雷蔵はそれだけで妙に居心地が悪くなってしまって、「何って、おはようって思っただけで、・・・」と語尾も弱々しく、もごもごと尻すぼみになってしまう。三郎はふい、と無視をしてカウンターのほうへ行ってしまった。久々知がそれに従う。
雷蔵は唖然とその背中を見送った。いつもだったら、雷蔵のメニューも聞いてくれるのに・・・。それで、いいよ、メニューくらい自分で決められるってば!とわざと突っぱねてそれで・・・。さみしげな雷蔵の表情に、竹谷が取り繕うような様子で、「あのさ、あの、三郎は今日ちょっと機嫌が悪いみたいだな」とあせってフォローする。雷蔵はなんだか胸がむかむかしてきて、
「三郎が機嫌悪くったって僕に当たることないだろ!」
とつっぱねて、席を立ってしまった。
「雷蔵、朝飯は?」
「いらない!」
つづく。