その日の昼になっては組はにわかに騒然となった。喜三太が学校を無断欠席した。それだけでなく、どうやら誰にもなにも告げず勝手に寮を抜け出したということがわかったからだった。担任の土井が昼休みにクラスのメンバーを集めて喜三太の行方を知る生徒がいないか確かめた。けれど、だれもなにも知らなかった。みんな困惑した表情で、喜三太がどうしてこんなことをしでかしてしまったのか、理由を探しているふうだった。金吾は黙り込んでいた。表情はやきもきと気を揉んで、落ち着かない様子だった。土井が職員室に戻ろうと教室から廊下に出ると、「先生!」ときり丸が背中から声をかけた。土井がふり返ると、きり丸はずいぶん落ち着いて、けれど心配げに眉根を少し寄せて、
「実家は」
と尋ねた。「帰ってねえの?」
土井は首をふった。午前中に確認のために電話を入れたが、帰宅することにはなっておらず、喜三太から特になんの連絡も受けてないということだった。
「警察に連絡とか、すんの」
そういう話題はすでに教師間で出ていたから、土井は素直に頷いた。
「そうだな。夕方まで待って、なんの進展もなかったら」
「そっか」
きり丸は頷いた。なにか自分なりに決めた様子だったので、土井はそれが知りたくて、首を傾げて見せた。きり丸は苦笑して、
「夕方まで何の進展もないようなら」
と返した。そのとき言う、という意味だ。土井は詳しくは聞かずに、そうか、とだけ頷いた。
「きり丸、喜三太やお前たちに悪いことにならないように。判断を誤らないようにな」
「うん」
きり丸は素直に頷いた。きり丸にとって土井はただの担任というわけでなく、兄代わりで親代わりだった。土井を裏切るようなことは絶対にない。土井もその信頼があるから、きり丸の返事に満足して大きく頷いた。
喜三太の実家の相模では、リリイに喜三太出奔の一報が入り、与四郎が駆けつけていた。与四郎は蒼白な顔でリリイに詰め寄った。彼には珍しく声を荒げて、外聞無くリリイを詰る。
「喜三太に俺との結婚を強要したのけ!そんなかわいそうなことすりゃ、姿くらますのも当然だべ」
「おぬしも喜三太も互いに想い合うておるのじゃから、婚約者と定めることの何がそんなに悪い」
「おばば!!喜三太はまだ14歳じゃっ!」
「もう14じゃ。あと2年したら立派に結婚できる」
「そういう問題じゃねえべ!14っていったら、ようやく世間様を知って色んなことに興味もわいてくる年頃だべ。相模にいたころは喜三太は他に比べても世間知らずの娘ッ子で、男も俺と仁之進くらいしか知らなかった。だども相模を出て遠くの学校行って、同じ年代の色んな男とも仲良くなったろう。喜三太だって人並みに恋くらいするだろうがよ。俺は確かに喜三太が好きだ。けど喜三太はそうともかぎらねえ。好きでもねえ男と婚約なんてあんまり可哀想だーよ」
「喜三太が風魔以外の男と結婚したらならんのじゃ!それだから無理もいうておる。外の学園に行って、他の男を知るなんてあってはならんのじゃ。幸い、喜三太は心の成長が遅いし、まだ恋だのなんだのにはこれっぽちの興味もわいていない様子。じゃが、もたもたしておれば人並みに恋もしよう。そうなるまえに風魔に連れ戻しておぬしと結婚させる。それのどこが悪い」
「だからっ、それでは喜三太が可哀想じゃと…」
「与四郎ッ!!」
リリイの一際高い激昂が飛んだ。興奮していた与四郎は気圧されて息を呑む。
「勘違いするな。風魔のための結婚ぞ。好いた惚れたは思案の外じゃ」
与四郎は何か言い返そうと口を開いたが、結局は言葉を抑えて拳を握り、そのままリリイの家を出て行った。
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