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こんなめに君をあわせる人間は僕の他にありはしないよ32

32.性悪女たち

ふたりはぼんやりと町を隔てている川にかかる橋の欄干に腰掛けている。むやみやたらと動き回るより、いっそじっと待っていたほうがよかろうというのは、滝夜叉丸の提案だった。彼は藤色の女装束の裾の辺りを女の仕草で弄くりながら、ジッと前を見つめている。だてに成績優秀なだけあって、こういう事態でも、小憎たらしいほど冷静だった。三木ヱ門のほうは、タカ丸についての報を聞いてからずっとそわそわを気急いでいて、平生でいられない。今も、気がつくと無意識に爪を噛み、脚を男仕草で大きく組んで滝夜叉丸に臑を叩かれた。
「お前、ずいぶん冷静だな」
三木ヱ門は噛みつくように呟いた。冷静さは忍者の第一信条で、喜ばしいことであるのだから、こんなふうに滝夜叉丸が冷血漢であるかのように責めるのは間違っている。頭では理解していても、心がなかなかついてこない。
「別に、そうでもないさ」
滝夜叉丸は往来の行き来を眺めながら淡泊に返す。
「私だって怖がっている」
「そう見えないぜ」
「見せていないだけだ」
滝夜叉丸は三木ヱ門を振り返った。ひたとあわせてくるその黒い瞳は、確かに思い詰めているように見える。三木ヱ門は頷いた。三郎の変装だとわかった今でも、先ほどのタカ丸の様子を思い出すと肝が冷える。三木ヱ門は怖がっている自分を押さえつけるように拳を握った。
「なあ、私たちはちゃんと忍者になれるんだろうか」
口に出すと、情けなく唇が震えた。怖い、と言ってはならない一言が口からついて出そうになる。怖いなら、学園をやめろ。誰もがそういうだろう。いったん退学を口に出した生徒を、ほとんどの場合学園の誰も引き留めようとしない。それは、冷淡なのではなく、優しいからだ。忍びにならないのなら、それが一番いい、と誰もが口に出さず伝えてくれる。これまでに学園を去った同級生は両手で足りぬほどいる。毎年、その数は増える。三木ヱ門はこれまでそれらの同級生たちを、まるで負け犬を見るような思いで見送ってきた。俺は、そんな挫折は決してしないと愚かな矜持で胸を張り続けてきた。
自分はなんだかんだで学園に守られてきただけだ。
今になってそうと気づく。三木ヱ門は、怖がっていた。初めて、死と隣り合わせで生きている時間を経験し、一分が1時間にも半日にも思える絶望に、心底疲れていた。
有能な滝夜叉丸は笑うかもしれないと思った。彼は、
「やめたくばやめろ。だが、私は忍びになるぞ。必ず為る」
と強い言葉で三木ヱ門をつき離したが、その表情は淡泊で、静かで、三木ヱ門に同情的ですらあった。三木ヱ門は彼がこれほどまでに堅く自分の道を決めていることを不思議に感じた。ただの自信から来る決心とは違うようだった。
「滝夜叉丸、お前、どうしてそれほどまでに忍びになりたい」
「私にとっての光がこの道を歩いているから」
「それって、」
「三木ヱ門、喋りすぎだ。今は忍務中だぞ」
三木ヱ門はム、と唇をとがらせて拗ねた。肝心なところでもっともなことを持ち出して有耶無耶にするなどと。
「食えん奴だな」
「馬鹿か、忍者が簡単に他人に食わせるものかよ。悔しければお前も私ほど優秀になって私を食ってみるのだな」
ふふん、といつもの感じで鼻で笑われ、三木ヱ門は怒りながらもようやく恐怖心が少しぬぐい去られた気分を持った。滝夜叉丸は嫌な男だ。最低で最高のライバルだ。これが俺の半歩先を歩いている限り、俺もまたこの道から外れるものか、と心の内で誓う。何があっても、食らいついてでも、追いかけて追い越してやるのだ。
ふと、ひとりの男がふたりの前に立ちはだかった。編み笠を深くかぶった、恰幅のよい大男だった。
「女、身売りか」
としゃがれた声が聞く。
「人待ちですわ」
滝夜叉丸がしおらしい様子で答えた。
「誰を待っている」
「・・・知り合いです」
「信田の森で知り合うた男か。」
滝夜叉丸と三木ヱ門は同時に顔を上げた。信田の森の暗号は、学園の者しか知り得ぬはずだ。このしゃがれ声の男に見覚えはなかったが、そもそも姿を隠すのが得手である忍者に、見覚えなどというものを頼りにして正体を判別するわけにもいかない。
「いかにも、」
と、慎重に滝夜叉丸は答えた。
「あなたがその人ですの」
「俺か?」
男が編み笠を少し持ち上げる。頬に傷を持った、泥臭い顔立ちの男だった。
「・・・そうだといったら?」
「確認させていただいてもよろしい?」
三木ヱ門が欄干から腰を上げて男にまっすぐ歩み寄った。若々しいすっきりとした美貌が、ばたくさい大男と向き合っている。それは端で見て釣り合いの取れない光景だった。三木ヱ門が微笑む。
「私の好きな花をご存知でいらっしゃる」
「さあて、な」
「まあ、それじゃあなた偽物ね。滝子、」
滝夜叉丸に視線を流すと、彼も細い身体を妖艶にしならせて立ち上がった。
「ええ、そうね。三木子、この男、殺してしまいましょう」
ふたりで顔を見合わせて美しく微笑みあう。しゃがれ声の男は、「葛の葉かな」と当てずっぽうを言った。信田の森と言えば、和歌を知っていればすぐに出てくる植物だ。ふたりの少女は、微笑みをやめて、同時に男を見上げた。
「正解。お待ちしておりましたわ」
「私たちにどうぞご指示を」
男はにたりと笑った。まさか、こんなにわかりやすい暗号を、互いの確認の言葉にしているとは。やはり、卵は卵。優秀な忍びの養成機関であっても、まだまだひよっこだ。そうだな、と男は頷いた。
「敵方から奪い返した巻物を確認したい。今持っているのは誰だ」
「ああ、それならば好都合。私たちが持たされております」
この返事に、男は内心でにっこりと笑った。まさか、こんなに都合よく事が運ぶとは!三木ヱ門が胸元から巻物をするりと取り出して、袖に隠しながら男に手渡した。
「ここでは人目につきます故、あちらの柳陰ででもさっそくご確認を」
「ああ、でかした」
滝夜叉丸が先に立ち、男を誘導する。その後ろを、三木ヱ門がついてくる。男の後方から、こそりと囁いた。
「先輩、私にご褒美をくださいましね」
「褒美、」
「惚けないで。忍務を終えたら可愛がってくださるとお聞きしております」
「ああ、しかしな、俺にはまだ仕事がある」
「まあ、ひどい、お約束が違うわ!」
背中を叩こうとした三木ヱ門の細い手首を、男は素早い動きでがしりと掴んだ。ばしっと腕を叩かれて、アッ、と三木ヱ門が鋭い声を上げる。袖口から苦無が落ちた。
「お前、俺を殺せると思ったか」
にたりと口角を上げる男に、三木ヱ門は、まさか、と不敵に笑う。
「殺すのは私じゃなくて」
「私だよ」
男の脇腹から、真っ赤な血が吹き出た。滝夜叉丸が血がかかるのを恐れて慌てて飛び退く。滝夜叉丸は男の腹から苦無を引き抜くと、男の大きな図体を川岸へ蹴り転がした。
「真冬の水なら傷口が縮んでまだしも助かる可能性は高いだろう。私の優しさに感謝するのだな、木偶め」
くつくつと意地悪そうに笑う横で、三木ヱ門もあっはっはっと高笑いする。
「自分の助平を恨むんだな、醜男が」
男はざんぶりと川に転げ落ち、ずんどこと流れ去っていく。それを意地悪くにたにたと笑って見送り、ふたりは道のほうを向いた。そうして、気配もなくひとりの男が立っているのに、肩を揺らせた。今度は若い男だった。
「信田の森をご存知か」
「・・・私たちの好きなお花をご存知?」
「母子草」
ふたりの少年は顔を見合わせる。
「「お待ちしておりました、先輩ッ!!!」」
ようやく見知った味方に出会えたという安心感から、ふたりは編み笠の男に抱きつく。男の編み笠が落ちて、久々知の苦い顔が表にあらわになった。
「離れろ。平、田村」
ぎゅうぎゅうと美女ふたりに抱きつかれて嫌な顔をする若い男に、道行く人が不思議な視線を投げつけていった。
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こんなめに君をあわせる人間は僕の他にありはしないよ31

31.綾部、危機。

「あのお姫さん、一度見たことがある」
小平太はそう呟くと、足を止めた。舌なめずりをして唇を湿らせると、そのまま風上に顔を向けてひくひくと動物のように花を動かした。
「・・・北だ。血の匂いがする」
雨の日は匂いが洗い流されて、嗅覚は使い物にならなくなる。だが、小平太だけは別のようだった。動物並みの鋭さを持った男だ。まるで野生児だと、称したのは食満だったか。小平太の正体がもとは随分と名のある貴族なのだと知ったら、同級生たちは驚くのだろうか。唯一小平太の出自を知っている長次は、ぼんやりと考える。小平太の輝きのある大きな瞳が北の彼方を向いて眇められた。
「すがや姫というは、もう何十年も前に××城から出奔した姫様だ。ある雪の晩にね、突然消息不明になった。その時、一緒に城の忍者隊の首領が消えてる。だから、駆け落ちしたのではないかって評判になった、らしい。当時城は後継者問題で揺れていたと聞く。亡くなった城主の息子は生まれたばかりで、生前に後継者として名乗りを上げていた弟は、戦の傷で寝たきりになっていた。一時はすがや姫も女城主として城を切り盛りしていたこともあったらしい。だが、××城は大きな戦争を目前に控えていて、いつまでも女城主をたてて凌いでいける状況ではなかった。そこですがや姫は、政略結婚のために敵方に嫁ぐことが決まった。ところが、婚礼の日の夜に、消えてしまったのさ」
「結婚が嫌になって逃げたのか」
「そう言われてる。一緒に消えた忍者隊の首領は、随分と綺麗だったというしなあ。ふたりは恋仲で、ひっそり駆け落ちしたとか」
「・・・間抜けな話だ」
長次の感想に、小平太は、うん、と頷いて鼻を啜った。


伊作の見立て通り、タカ丸は高熱を出した。綾部は布を額に当てたり、汗を拭ったり、甲斐甲斐しく世話を焼いている。タカ丸は夢を見ているらしかった。時々譫言のように、知らない誰かの名前を出した。それから、助けて、とごめんなさい、を何度も繰り返した。優ちゃん、助けて。助けて、怖いよう、ごめんなさい・・・俺のせいで、ごめんなさい。綾部は黙って唇を噛んだ。このひとを悲しませるものは、何であっても許さない。
タカ丸の汗ばんだ掌が、助けを求めるように綾部の腕を掴み、食い込むような力強いそれが、綾部には嬉しかった。汗でじっとりと濡れた髪を指先で掻き上げ、綾部は、タカ丸の額に、頬に、瞼に、何度も口づけた。
「もうし」
ふいに、廊下へと続く障子の向こうで、若い女の声がした。店の者かと綾部が顔を上げる。
「お客様が来ております」
「誰だ」
綾部の問いに、向こう側に座っている人影は返事をしない。
「おい・・・?」
声をかけてもなんの返答もない。綾部は懐の苦無を探り当てると、それを握った。タカ丸を左肩に抱き上げて、無言で障子を蹴り開ける。廊下では、部屋に向き合うかたちで店の若い女が首を切られて事切れていた。突然のことに息を呑むと、そのまま首筋にひやりと冷たいものが押し当てられる感覚があった。
(しまったッ、)
綾部は内心で舌打ちした。油断した。背中をとられては、ずいぶんと分が悪い。
「ずいぶん綺麗な顔立ちをしているんだなあ」
下卑た男の囁きが耳の穴にねじ込まれて、綾部は肌を粟立たせた。
「こんなに可愛い仔まで忍びになるのか、なんだかもったいないなあ」
綾部は身体の力を抜いた。くたりと男の胸元に身体をしなだれかけると、そのまま熱い息を吐いた。薄桃色の肌が、装束のあわせから見えて男は息を呑んだ。腕の中の細い身体は、ふるふると震えていた。まだ年端もいかない子どもだ、実戦の経験は浅く、恐怖に戦いているのだろう。ぽた、と熱いものが男の腕に落ちた。それは綾部の涙だった。
「・・・助けて」
か細い声で告げる、その唇は薄桃色にふくれている。涙で潤んだ瞳が、蠱惑的に男を見つめた。
「どうか、」
「敵に情けをかける忍びがどこにいる」
男はそう言いながらも、己の優勢に気を緩めたまま、綾部の身体を装束の上からまさぐった。
「んッ・・・」
綾部が熱い息を吐いて身体をくねらせる。その様がひどく扇情的で、男は身体に指を這わせるのをやめられなくなった。綾部の指が扇情的に男の髪に触れ、そのまま男の頭を彼の唇へと導いた。
「ぁ・・・だめ・・・」
それはもはや意味をなさないただの喘ぎだった。男は綾部の指先が導くまま綾部の唇に吸い付いた。
「ングッ!?」
それが、男の最期だった。男は何が起きたかわからなかった。目の前に火花が散った。そうおもったら、息を詰まらせていた。男は大きく喘いで、床をのたうち回って、やがて事切れた。綾部は不愉快そうな表情を隠しもせずに、口の中に入っている異物を畳にぺっと吐きだした。それは、噛み千切ってやった男の舌だった。
「ほう、ようやりおるわ。まだひよこだからといって、気を抜いてはならんのう」
気配もなく、部屋の隅から声がした。綾部が驚いて慌ててそちらを向くと、いつから立っていたのか、老人がひとり窓際に立っていた。足下に転がる男の身体を踏みつけて、綾部は唇を歪ませる。
「あんたが親玉か、ヒヒジジイ」
老人は喉の奥でひっひっと引きつるような笑いを漏らした。
「綺麗な顔をして、言いよるの。・・・どれ、すがや様と幸丸の孫を貰い受けに来たぞ。おうおう、姫様とよう似ておられる」
綾部はタカ丸の身体を抱え直すと、命に代えても離さない、というようにぎゅうと力強く抱いた。

こんなめに君をあわせる人間は僕の他にありはしないよ30

わたくしは後悔なぞしておりませんから、そのことでどうかあなたが苦しみませんように。

すがやは自分の最期を予測していたのか、幸丸に一筆を残していた。いざ遺品を整理しようと持ち物を探るとわずかばかりの化粧道具と質素な着物の何枚か、そんなものが大事そうに櫃にしまわれているだけだった。そのなかに錦糸で小花の縫い止められている小さな巾着袋があり、それは昔すがやのために幸丸が町で求めてきたものだった。そのなかには、それまで幸丸がすがやにあげてきたいろいろなものが入っていた。それは綺麗な飾り紐であったりよい匂いのする香り袋であったり桃の木でつくられた櫛だったりした。すがやは幸丸に髪を結わせるのが好きで、幸丸は、すがやに贅沢のさせられないことをたびたび詫びたが、そのたびに彼女は幸丸に髪結いを強請って、「あなたがわたしの髪を美しく結い上げてくれるかぎりは、わたしはほかに、なにも要らないわ」と微笑んで言った。幸丸は、その巾着をすべてタカ丸にやった。タカ丸は美しい綾紐に頬を上気させて、「うれしい」と微笑んだ。その様子がひどくすがやに似ていて、幸丸は目が眩んだような心地がした。
タカ丸はすがやによく似ていた。
不思議なことに、成長して男としての特徴が顕著になればなるほど、すがやの持っていた雰囲気を色濃く纏うようになるのだった。そのことを気も狂わんばかりに恐れたのは、タカ丸の母親だった。彼女はタカ丸が成長してすがやの面影と重なり始めているのを認めると、ひどく絶望し、狼狽した。もともと丈夫でなかった彼女は、ついに死の床についた。彼女は床のなかで、繰り返し繰り返し、タカ丸をどこにもやらないで頂戴と幸隆に頼んだ。あなた、タカ丸を連れて行かないで頂戴、どうかあなたと同じものにはさせないで頂戴。それから、青白いほっそりした手で強くタカ丸を抱き寄せては、タカ丸、私の可愛いこ、あなたは夜の暗さなんて知らなくていいからね、月の光に怯えなくてもいいからね、闇の冷たさになれなくてもいいからね・・・。タカ丸、どうか、あなたはなにも知らずに明るい道だけを歩んで頂戴ね。
幸隆は、タカ丸の母親を哀しませぬために忍びの道を捨てた。タカ丸が成長したら忍術学園に入れる手はずだったが、それもしないと決めた。タカ丸には何一つ知らせないつもりだった。幸丸は、時がたてばタカ丸を城に帰そうとしていたようだった。それが、城からすがやを奪ったせめてもの罪滅ぼしのつもりだったのだろう。だが、幸隆はそれらの約束をすべて反故にすると決めた。城を敵に回して、抜け人として命を狙われても、タカ丸だけは手放さぬと決めたのだった。


「あ、そうか」
ふいに小平太が呟いた。紫陽花寺を目指して長次と駆けている最中だった。長次が、視線だけで後の続く小平太を振り返った。
「あの巻物のお姫さん、どっかで見たことあると思った。×××城のすがやっていうお姫さんだ。」

ねむいので続きは後日。

こんなめに君をあわせる人間は僕の他にありはしないよ29

「・・・長、歌を手に入れたぞ。これが暗号を解く鍵だろう、」
黒装束に身を包んだ年かさの男が、燃え尽きた廃寺の奥、小さな土蔵に胡坐をかいて座っている老人と対峙している。その老人は随分と小さな体を漆喰の壁にもたれかけさせていた。ひどく衰弱しているのだろう、息は荒く、ひゅうひゅうと咽喉から秋風のような息が漏れている。まもなく事切れるのだと、誰も疑いようのない姿だった。瀕死の老人は細い目をして、「間違いないか」としわがれた声で問うた。
「ああ、間違いない。すがや様の孫から直接聞いた」
「孫!ああ・・・孫、それは男か女か」
「男だ。すがや様によく似ている」
「ああ・・・」
老人は長く息を吐くと、歌を、と言った。男はタカ丸から聞き出した和歌を諳んじる。

こいしくばたずねきてみよ いずみなるしのだのもりのうらみくずのは

「・・・うん、なるほど」
老人が頷く。なるほど、なるほど、と何度も頷いて、それから、「大川平次渦正が忍術を学ばせる学校を開いたとか。そこに、すがや様の孫はおるのか」とおもむろに尋ねた。対峙する男は、調査の末それを突き止めていたから、ああ、と頷いた。年かさの男には和歌に隠された意味は読み解けない。そんなことまで書いてあるのかと、少し驚いた様子で眉を上げる。老人は、小さくふっ、ふっ、と短い息を吐いた。それが笑っているのだと、男はしばらく気づけなかった。気づいたのは、老人がそのまま長く息を吐いて万感の篭った様子で、「我が悲願はようやく成る」としみじみ呟いたからだった。


タカ丸はずいぶんと幼かったが、祖母の死を覚えていた。一度見たら到底忘れられぬ、美しく、あまりに禍々しい死に様だった。まだ踏み固められてしまう前の、さらさらと柔らかい雪の上に、たおやかな妙齢の女が身体を丸めて倒れこんでいた。流れる血が、あたりの純白を真っ赤に染め上げていた。女を中心にあたり一面真っ赤に染め上げられたその姿は、まるで椿のようだった。女の身体には無数の矢が突き刺さっていた。タカ丸を抱いた母が甲高い声を上げて絶叫した。父親が、見てはいけないよ、と鋭く言い置いて戸を閉めてしまった。タカ丸は、あの綺麗で優しい祖母がどうしてあんなふうな目に遭わなければならなかったのか、今見たものが理解できず、母親に問い質したかったが、彼女は突っ伏して泣き喚くばかりだった。タカ丸は母親の腕から抜け出すと、立ち上がって、窓の傍に立った。少し爪先立てば、外の様子は見えた。父と祖父が、傘も差さず絶命した祖母を見下ろしていた。祖父がしゃがみ込んで、ゆっくりと祖母を抱き起こした。魂を失ってぐったりした様子の身体は、重たく祖父の腕に圧し掛かっている。タカ丸は「あ、」と小さく息を漏らした。途端に、涙が出た。タカ丸の小さな悲鳴に気がついて、母親が気が狂ったような激しい様子で、タカ丸を窓辺から攫った。何も見せぬよう深く胸元に抱きしめながら、「なりません!」と叱り付けた。「見てはなりません!」その身体はひどく震え、熱かった。タカ丸を抱く母の腕の強さは、彼を抱き潰してしまわんばかりに強く、タカ丸は「かあさま、苦しい」とか細い声で抗議した。母は我を忘れたようにタカ丸を抱きしめながら、何度も、「お前はどこにも行かないで頂戴ね。どこにも言っては駄目。勝手に表に出てはなりませんよ。あいつらに見つかったら、お前はきっと、遠くに攫われてしまうからね、」と繰り返した。母の言う”あいつら”が誰のことなのかタカ丸には分からなかったが、おそらく、祖母を殺してしまった人たちと同じなのだろうと理解した。
翌日から、母の意向で、タカ丸は表に出してもらえなくなった。祖父や父や母が遊んでくれたので、軟禁されていてもそれほど辛くはなかったが、同い年の友達がいないのはどうにも寂しかった。その頃に扇子の配達の手伝いで家に訪ねてきた小松田屋の兄弟が、彼の唯一の友達だった。
ある日、タカ丸は祖父から一枚の掛け軸を貰った。それは、美しいお姫様がこちらを向いて座っているもので、着物も紅もみんな真っ赤に装ったそのお姫様を、タカ丸はとても綺麗だと思って一目で気に入った。
「ほんとにもらってもいいの、じいちゃん!」
「ああ、いいよ。綺麗なお姫様だろう」
「うん。真っ赤でとてもきれいだ。ねえ、じいちゃん、この人はじいちゃんの知っている人なの?」
「ああ、そうだ、とてもよく知っている人だよ。そうだ、タカ丸、お前にひとつ歌を教えてやろうな」
「歌?」
「お前だけに教える歌だよ。いいかい、誰にも言ってはいけないよ。大人になるまで覚えていてごらん、きっとお前にいいことがあるから」
 

こんなめに君をあわせる人間は僕の他にありはしないよ28

28.仙蔵の我侭、あるいは綾部の誓い


仙蔵が、綾部と仕事を代わりたいと言いだしたのは、文次郎が草鞋を履いている時だった。
背後に仙蔵が立つ気配がして、「何だ」と振り向きもせず声をかけたら、そんな我侭を吐いた。文次郎は言下に「駄目だ」と答えた。
「駄目か」
「決まっている。急な作戦変更は統率を乱すもとだ。だいたい、仙蔵、お前の役目は何だ」
「斉藤さんの護衛」
「それがあの四年に務まるか」
「喜八郎は筋がいい」
「仙蔵、これは実習ではない」
文次郎は草鞋を履き終えると立ち上がった。もともと年のわりにいかにも男くさい顔立ちをしていた、それが、やれ誰よりも忍者らしい忍者になるのだとかなんとか仙蔵から言わせれば戯言を吐いていつも切羽詰ったような表情をしているから、そのうちに年齢以上の貫禄を持つようになってしまった。仙蔵は級友を、目を細めて見遣る。
「知っている。だからこうして頼んでいるのではないか。私がお前に頼むなど、実に何年ぶりのことだろうな」
「馬鹿な。背後にたって腕を組んでふんぞり返って、なにが”頼んでいる”だ」
文次郎は鼻を鳴らす。彼は頑固な男だ。だが、それ以上に眼前に立つ立花仙蔵も同じくらい頑固な男だ。
「綾部喜八郎が貴様にそう頼んだか」
「いいや、あの子はいい子でね、そういうことは決して言わないよ。部屋で苦無の手入れをしている」
「綾部のためか、それとも斉藤のためか」
仙蔵はふっ、と小さく声を漏らして笑った。「どちらでもないさ、私のためだ。最近疲労がたまっていてな、楽な仕事がしたくなった。だから大変なほうを綾部にまわすのさ」
「さぼるな、馬鹿」
「私らしいだろう?」
仙蔵が肩をすくめると、ちょうど綾部がその脇を通り過ぎた。
「出ます」
とぼそりと呟いていってしまおうとするのを、仙蔵が止めた。
「ああ、待て。役目交代だ」
「は?」
綾部が訝しげに眉を潜め、仙蔵を見上げた。作戦が始まってから役目交代など、滅多にあってはならぬことだ。それを言い出したのが自他に厳しい仙蔵であったから、綾部は奇妙な心持がしたのだった。
「誰とです」
「私だ。綾部、お前は二階へ上がれ」
彼らは市井のひとつにある茶屋を仮のアジトに決めていた。仙蔵は玄関からすぐに待ち構えている階段の下に立って、顎で二階を示した。綾部が釣られて上を見上げる。
「先輩のお役目は、善法寺先輩のお手伝いでしたか」
「そうだ。いずれはここを発つことになるがもう少し後になる。詳しい説明は伊作から聞けばいい。難しいし重要な役目だ、覚悟しろ」
「そのような仕事を何故私に」
綾部は不思議に思って納得せぬふうである。仙蔵が困ったように笑うと、横で文次郎が生真面目に口を挟んだ。
「仙蔵は俺と組みたくないのだと」
「ははあ、」
綾部はわかったようなわからぬようなぼんやりした表情で頷く。だが断るような理由も無いので、言われるままに二階へ上がった。仙蔵がもう一度背後で「kれぐれも抜かるなよ」と念を押すのが聞こえた。
綾部の背中が見えなくなると、仙蔵が、文次郎を振り返った。
「さて、では、私も行こうか」
「お前は優しすぎる。あまり後輩に情をかけないことだな。普段似合わん毒舌など吐いて、厳しい上級生を気取っているから、こういうときに可笑しく見える」
「言うな、文次郎。己の弱点だ、自分でよくわかっている」
仙蔵は少し眉を下げて嫣然と微笑む。普段、きつめの美貌をしているだけに、そのような笑うと、ひどく頼りない柔らかい感じが出て、文次郎は見慣れぬものを見たとばかり戸惑ったように視線をそらせた。



綾部が二階に上がり伊作の名を呼ぶと、彼は部屋から出てきて、「やあ、手伝ってくれるんだってね」と微笑んだ。どうやら仙蔵から話は聞かされているらしい。
「私は何をお手伝いしたらいいんですか」
「うん、今ようやく薬を飲んで少し落ち着いているところなんだ。そのうち高熱が出てくると思うから、そうしたら看病してやって欲しい。・・・まだ少し働いてもらわなくてはいけないんだ。熱のなか動かせてしまって、本当にかわいそうだとは思うけれどもね。そのときは護衛をしてやってくれないか」
「誰のことですって?」
綾部は眉を潜めた。話が見えない。病人の世話をしろ、というが、綾部には誰のことか検討もつかない。尋ねると、伊作は黙って微笑んで、自分が出てきた部屋に綾部を通した。綾部は部屋を覗き込んで、息が止まるかと思うほど驚いた。
火鉢のそばで布団に寝かされているのは、タカ丸だった。
「なっ・・・」
驚愕に言葉を発せないでいる綾部に、伊作は耳打ちする。
「そういうことだ。本当は、間一髪、一命は取り留めたんだよ。刺されたのも河に落ちたのも本当で、ひどく弱っているがね。精神的にも参ってるようだ、看病を頼むよ」
綾部の瞳がうっすらと潤っている。伊作は少し笑うと、「買い物に言ってくる」と出て行ってしまった。
綾部はもつれ込むように部屋に入ると、タカ丸の枕元に膝をついた。
「タカ丸さん、」
震える声で呼びかけると、タカ丸は瞼を重たげに持ち上げて綾部を見上げた。薬が効いてきて、ひどく意識がうっすらしている。身体が泥のように重たかった。
「綾部」
「ご無事だったんですね」
「うん、迷惑をかけてしまって」
綾部の手のひらがタカ丸のそれを包み込むように握る。タカ丸はうつらうつらと浮かされたような意識のなか、綾部が泣いているのかと思った。そのくらい、彼の様子が途方にくれた迷子の子どものように頼りなげに見えたのだった。それで、重たい手を持ちあげて、綾部の頬に触れた。
「大丈夫、何か辛いことがあったんだね」
「・・・ええ、ええ、とても」
綾部は深く俯いてしまって、タカ丸からは顔が見えない。ただ、声がひどく震えている、と思った。綾部が、黙ってタカ丸の手をぎゅうと痛いくらいに強く握った。そのうえに、熱い滴がぽたりぽたりと落ちてふたりぶんの手のひらを濡らした。泣いているのだ、とタカ丸は気がついた。
「綾部、大丈夫だよ、俺がいるよ」
タカ丸はかつて自分が貰って安心した言葉を、そのまま綾部に吐いた。その言葉をくれた人物は、優作であり、兵助であり、綾部だった。ああ、優しさやぬくもりというものは、めぐるのだなあ。タカ丸はそれがおかしくて少し微笑んだ。綾部は震える声で、きっとですね、と呟いた。
「きっとですね。もうどこへも行きませんね。ずっと私のそばにいてくれますね」
「うん、どこへも行かないよ」
「約束ですよ。もし破って勝手にどこかへいってしまったら、私は必ず貴方を追いかけますからね。追いかけてどこまでも行きますからね」
タカ丸は頷く。頷いて、それからひどく疲れたと思い、瞼を開けていられなくなって、息を吐いてそれを閉じた。右手がやけに熱い。綾部が握っていてくれるからだ。タカ丸はそのことをとても安堵した。誰かと熱を分け与える行為は、どうしてこんなにも安心できるものだろう。疲れた心をそっと休ませてくれるようだった。
「綾部、俺ね、死んでしまってもいいと思ったんだ。あんまり弱くて、子どもの頃から守ってもらうばっかりで、今回こんなふうになってしまって、いろんな人に辛い思いをいっぱいさせて、死んで決着をつけることが俺にできる最良で精一杯の策だと思った。それが、こんなふうに助かってしまってね、みっともない、どうしようもない、自分の無力さを恨んだよ。でも、ねえ、伊作先輩に怒られてしまった。弱くてもいいから生きなければいけないというんだ」
「タカ丸さん、貴方は弱くない」
綾部の脳裏には、いつかの大川の言葉が浮かんでいる。力が欲しいか。なんのために。何のための力が欲しいか、喜八郎。
「貴方はとても強い心を持っている。それだけで、決着をつけるには十分です。タカ丸さん、私の力を貴方にあげます。私は貴方のために力を使おう、貴方を守るために強くなろう。貴方が弱いから守るのではない、貴方の心が私を生かしてくれるから、私は貴方を守りたい」
「綾部、・・・冷たい水の中で、遠のく意識で、いつかに君がくれた言葉を思い出してた。”私がいます”って、・・・死の間際でも不思議と怖く無かったよ。ありがとう」
「私には貴方が必要です。そして、貴方にも私を必要として欲しい」
私の全部を貴方にあげよう。綾部は祈るような気持ちで思う。タカ丸が自分のものにならなくても、そんなことはもう、どうでもよかった。関係のないことだ。タカ丸の愛情がどこへ向けられようとも、綾部は総てを捧げてこの愛しい、救いのような存在を守るだけだった。
タカ丸が瞳を開いた。両の瞳に綾部が映っていることを、綾部は嬉しいと思う。じっと見つめ返したら、タカ丸がうっとりと微笑んだ。
「綾部、俺は強くなりたいよ。だからそれまで、力を貸してくれるかな」
綾部は微笑んだ。この男が物心ついてから、初めて見せた、とても美しい笑みだった。綾部はタカ丸の手のひらを取りあげて、そっと唇を寄せた。
「誓いましょう、きっと私は貴方を守る。私を使ってくださいタカ丸さん」

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