竹谷くんによる、久々知兵助観察記。
兵助は滅多に人に懐かない。そういうところは猫に似ている。兵助は慣れない相手が目の前にいるときは、よく猫みたいに、じーっとそいつを見つめて目を離さない。そいつの行動を見張っていないと、気が気でないのだと思う。突然襲いかかられたらどうするんだって思うらしい。兵助にとって、慣れない相手は全部敵だ。
その代わり、一度慣れたら兵助は凄い。飼われている犬みたいに、構ってオーラを出す。四六時中しっぽ振って、そいつについてまわる。だからかどうなのか、兵助は、仲良くなってからいっつも俺と一緒にいる。クラスが違うから本当に四六時中って訳じゃないけど、暇さえあるとこいつは俺のそばに来る。どのくらい俺のそばにいたがるかというと、例えば兵助が慣れている相手は、俺の他に雷蔵と三郎もそうだけど、4人でいるときもいつも俺の隣に座ろうとする。俺の隣に三郎や雷蔵がいるときは、三郎なら蹴ってどかすし、雷蔵なら「どいて」っつってどかす。そのくらい、兵助は俺のそばにいたがる。そういうところは犬に似ている(ただし、聞き分けのない犬の部類だ。お利口な犬はそういうときはちゃんと耐えるから)。
兵助は好き嫌いがはっきりしている。兵助は三度の飯より豆腐が好きで、だから、三度の飯の隣に必ず豆腐を置いている。好きな理由もはっきりしていて、豆腐は健康によいし味付けのバリエーションが豊富だからいいのだそうだ。兵助は、何となく好きとか、何となく嫌いとかっていうのがなくて、必ず好き嫌いに明確な理由を付ける。兵助は好きなものがそんなに多くない。それは、兵助はほとんど新しいものを嫌いなものとして見なすことから始めるからだ。兵助の偏見をぬぐい去ったものだけが、見事奴の「好き」を手に入れることが出来る。俺の知っている兵助の好きなものは、豆腐と、俺と、雷蔵と三郎と、それからタカ丸さん。
兵助はものすごいリアリストで、あまり気遣いもないやつなので、子どもの夢とか平気で壊す。昔、誰だったか後輩が「早くこの世から戦争がなくなりますよーに」って七夕行事で笹の葉に書いたのを、「これは無理だから別のお願いをしたらどうだ」って真面目に勧めて、泣かせたことがある。この時、兵助は鬼か悪魔だと学内で囁かれたが、これは兵助なりの優しさなのだった。兵助は叶わない希望を持って、その子どもが悲しむことをよくないと考えたのだろう。兵助は、「子どもだから」って勝手な嘘で子どもを騙すことを良しとしない。兵助は子どもを子ども扱いしない。とても不器用な奴だ。兵助は、とても不器用。タカ丸さんに、「あんたが何より大切だ。あんたのために生きていく」って、どうしても言えない大馬鹿野郎。告白の時に、「俺はあんたが好きです。あんたのためには生きられないけど、あんたが好きです。俺は忍者だから、あんたのために死ぬこともできないけど。可能な限り、いっしょにいてください」っていう、不器用すぎる言葉を吐いた。タカ丸さんは笑ってくれたみたいだけど、タカ丸さん以外の奴だったら、殴ってたと思う。俺?俺は、殴らないと思うけど。兵助がそういうやつってよくわかってるし。兵助は不器用なだけで、優しい奴だ。
兵助は傷つきやすい。兵助は自分がポーカーフェイスで、あんまりにこにこしないのを、本当は結構気にしている。兵助は、好きな奴と喧嘩をすると、一日も経たないうちにすぐ謝ってくる。好きな奴と一緒にいるのに、一緒にいられないのはひとりぼっちみたいで好きじゃないのだそうだ。
兵助は不器用で唄が苦手。絵も苦手。生き物を育てるのも苦手。だけど優等生。
兵助はかっこいい。切れ者でめちゃくちゃ頭がいいし、実技も苦手がない。何でも人並み以上にこなして、それを自慢しない。でも、謙遜もしない。必要以上に喋らないけど、人と話すのは好きだって言う。「俺は話し下手だけど、ハチとか、タカ丸さんとか、雷蔵とか三郎とか、話が上手いから、聞いてるのが好きだな。みんな話し好きで、聞いてて飽きないから、俺、尊敬するよ」兵助は、人の話を聞くとき、それがどんなにくだらない話でも、じっとこっちに視線をあわせて、ひとつひとつに大きく頷いて聞いてくれるから、いい。
兵助の将来の夢は、菜の花が綺麗に咲くところに家を建ててのんびり暮らすこと。兵助は菜の花が好きらしい。黄色くて小さくて可愛いし、おひたしにして食べられるし、油も取れて実用的だかららしい。兵助らしい。あと、ハチが隣に住んでて、近所に雷蔵と三郎もいて、タカ丸さんが一緒の家にいたら一番いいって、小さく呟いた。兵助はリアリストだけど、ロマンチストだ。三郎が「欲張りもんだなあ!」ってからかったら、顔を真っ赤にして「うるさい」って怒った。
結論。兵助を一言で言うと?
かわいい。
でも竹谷の目にかかれば、どんな奴も最後の結論は「可愛い」のような気がしないでもない。
女体化1のは。
柔剣道場は体育館の裏にあって、日が当たらないからいつもどこか湿った日陰の匂いがしている。夏場の練習は、そうでなくても胴着は蒸すから、道場のドアはすっかり開け放した状態で行う。梅雨の時期は、ドアから、道場を取り囲むようにして植えられた紫陽花が見える。金吾はその風景を見るのが好きだった。ことに、雨がしとしと降っているなかで、青や紫や赤や、あるいは色のすっかり抜け落ちた白い鞠のような花がしっとりとそこに咲いているのを見ると、”艶やかな”という言葉はこれのためにあるのじゃないかとすら思う。
その日は土曜日で、学校は半日だった。中間テスト前で部活もなかったが、金吾は道場で一人素振りの練習をしていた。むしむしした空気も、練習に集中してしまうと全く気にならない。汗で濡れた髪が、ぺったりと肌に張り付く。その不快感すら、どこかに置いてけぼりで、金吾はただただまっすぐ前を見つめてただひたすらに竹刀を上げては振り下ろす。どれくらいそうしていたろうか、ふいに金吾は集中からとけて、ふと道場の開け放したドアの間から見える紫陽花に視線を送った。その垣根の間に、透明なビニール傘を広げて、喜三太が立っていた。
真っ赤なレインコートと、長靴。喜三太は傘を差すのがヘタだから、傘だけだとすぐびしょびしょに濡れてしまう。雨の日はレインコートと長靴も履きましょう、というのは、金吾が決めた約束だった。
「びっくりした。いつからそこにいたの」
「わかんない。金吾が練習してたときから、ずっと待ってた」
「なめくじの散歩させてたの?」
喜三太が腕に大事に抱きかかえている壺を見やる。喜三太が大きく一度頷いた。
「もう帰るから、待ってて」
「うん」
金吾は荷物だけまとめると、胴着のまま道場から出てきた。
「制服は?」
「胴着のが汗で濡れてるから、雨にはちょうどいいかと思って。このまま帰るよ」
「うん」
ふたりで並んで校門を出た。寮までの道とは違う方向を、喜三太が向いた。
「ねえ、遠回りしてかえろ」
「いいよ。街のほう行く?」
「うん」
それからふたりは、特に盛り上がる会話もなしに、とぼとぼと街のほうへ並んで歩いた。喜三太の歩幅は小さいから、金吾はわざとゆっくり歩く。
「喜三太、なめ壺があると他の荷物がじゃまだろ。持って上げるよ、貸してごらん」
「ううん、大丈夫。金吾のほうが荷物いっぱいだから」
金吾はまじめだから、学校に教科書を置いていったりしないので、鞄も重いのだ。金吾はそれなら、と喜三太の傘を取り上げて、自分の紳士用の黒い大きな傘を差し掛けた。「一緒に入りなよ」
つぶん、つぶん、と雨滴の音がする。金吾は隣を歩く、自分より少し小さい喜三太を見下ろす。可愛いな、と思う。