⑬その男、綾部喜八郎
綾部喜八郎とは不思議な人間である。
彼の所属する作法委員の委員長にして、忍術学園で陰の最高権力者とも称される立花仙蔵をして「あいつはよくわからん」と言わしめた人物である。この男をして、手を焼かせている。もともとはその容貌の美しさから仙蔵が委員会に誘った。誘ったはいいが、どうも自分を信奉するでもなし、作法委員が好む謀に興味を見せたかと思えば、別件で協力を請えば「面倒なので嫌です」と平気な面で言う。どこまでもマイペースで飄々とした面で、蝶のようにあっちへふらふらこっちへふらふら飛び回っている。気まぐれなようでいて塹壕堀には並ならぬ執着を抱いて、とにかく暇さえあらば学園中に穴を掘り続けている。
四年は美童が多い。綾部はその中でも特別美しい顔立ちをしている。少年らしい凛々しさや瑞々しさは田村三木ヱ門に譲る。また、貴族めいた上品さなら平滝夜叉丸の名こそ真っ先にあげられるだろう。綾部の美貌は、どこか少女めいたところにある。長い睫毛とくっきりした二重瞼が、瞳を葡萄のように大きく美しく見せている。すっと通った鼻筋も、ぷっくりとよいかたちにふくれた唇も、女のそれに似ている。肌の色は日に焼けづらいのか年中外に出ているにしてはいやに白く、頬のあたりはふっくらと肉がついて柔和な印象を持たせている。その美貌を土で汚して、平気な顔をして穴を掘り続けるから、周囲はただただ呆れるばかりだ。
その綾部が、小平太と久々知に対峙している。
戦いを挑むにしては半分瞼の降りた何処か眠たそうな面持ちで、しかし右手には苦無を構えている。課題のために着ている藤色の女物の装束が、彼を美しい少女に見せているだけに、穴の中の男が呻くたび「うるさい」と容赦なく足蹴にする様子はどうしてもちぐはぐに映る。
「悪いが俺には今、お前の相手をしている暇がない」
久々知が真っ直ぐ睨みつけると、綾部はぼりぼりと首筋を掻いた。容姿ばかりが可憐なこの男は、その本質は存外大雑把で男らしい。
「なにか面倒ごとでも起っているようですが」
ちらり、と視線が小平太を見遣る。
「おうさ」
小平太はあっさりと頷いた。
「俺ァ学園長命令で厄介ごとの清算の最中さ」
「久々知先輩は」
小平太は明るく笑って首を傾げる。
「さあ。・・・乗りかかった船、というやつかな」
「必死な顔をしている」
綾部は呟いて久々知をねめつける。「斎藤さんが心配ですか」
「綾部、お前何か知っているのか」
「さて、何にも知っちゃいませんがね。ただ、先輩はいつも斎藤さんが絡むとそういう表情をする」
久々知には綾部の言う”表情”とやらがどんなものかは見当付かない。綾部はざりり、と草鞋を履いたまま土を蹴った。久々知に向かって駆けた。
「お命頂戴」
「くれてやってたまるか!」
綾部の苦無をはじかんと、久々知も懐から苦無を取り出して、構えた。
長次はタカ丸の手を引きひたすら市井を突き抜けて走り続けている。
「先輩、どこまで行くんです!?」
運動量の足りないタカ丸は、すでに息があがりきっている。ここを追っ手に狙われれば確実に仕留められるだろう。長次はタカ丸の腕を強く引き、己のほうへ引き寄せた。そのまま背に負ぶおうとするのを、タカ丸が慌てて拒む。
「走れます」
長次は有無を言わさず彼の身を担ぎ上げる。タカ丸がわひゃあ、と悲鳴をあげた。
「紫陽花寺へ行く」
「紫陽花寺・・・豪徳寺ですか」
豪徳寺は市中にある寺院である。規模は小さくないが、少し小高くなった丘の上に立てられているので、市内の様子を見渡すのに都合がよかった。しかし、そのため、アジトにもなりやすい。
「売られた女の振りができるか」
「さっきみたいの、ですか・・・?」
「豪徳寺に食満がいる。三日前からあちらの仲間として潜入している」
あちら、というのはすなわちタカ丸を狙う忍者隊のことを言うのか。顔を青くして長次を見上げれば、彼は小さく頷き、「大丈夫だ」と一言言った。
「必ず守る」
⑫穴、穴、そして穴
市井を村娘の装束をたくし上げて筋肉のついた女が走り抜けていく。その異様な光景に道行く人は誰もが振り返って唖然とした表情を浮かべる。道沿いに茣蓙を敷き、そこで野菜やら焼き物やら反物やらを売る市の商売人たちも、迷惑そうな表情でそれを見つめている。
「なんだろうかねえ、騒がしいねェ」
眉を潜め唇を尖らせた老人から土のついた大根を受け取り、少女は皆と同じようにその連中を振り返った。柔らかい髪がふわんと揺れる。
「あんなに走ったら危ないのに」
長い睫毛に彩られた瞳は、真っ直ぐと連中を見つめる。落ち着き払った口ぶりは、心配、というよりはどこか予言めいている。
「市中は狭いからねェ」
「そう、何があるかわからないし」
ポツリと呟いて、少女は少し唇をほころばせる。ニタリ、と何処か恐ろしさの先にたつ笑みになる。美しい少女だとひそかに見つめていた市の主人は、慌てて瞳をそらした。
「ああ、危ない。もっとよく下を見なけりゃ。あすこには自信作があるのだよねえ」
地面が斑になっている。同じく塹壕堀を得意とする小平太は、目を眇めて、後を追いかけてくる九々知に声をかけていく。
「まただ、右にあるぞ」
「はい」
「至るところに穴掘りまくってやがる。あちらさんの足が遅くなるのはいいが、これじゃあ俺たちの邪魔にもなって意味がない」
小平太はチイと舌打ちをして、何もない地面を高く飛んだ。不自然に土が軟らかくなっているから、そこを避けた。「あるぞ」短く指示を出せば、九々知も「はい」と頷いて、脇を通りがてら分銅を底に投げつける。音もなく土は崩れて、底に深い闇。一般人の安全に配慮していちいち落とし穴を暴いていくところが、九々知らしいといえばそのとおりなのだろう。
しかし、忍術学園で穴を掘っているのとは違い、目印がより複雑になっている。いや、すでに目印なぞないといったが正しいか。市井でこんな本気を見せ付けられても、
「事故にでも見せかけて殺すつもりかよ」
苦々しく呟けば、小平太が声をあげて笑った。
「仙蔵んとこの四年か」
「おそらく。綾部喜八郎でしょう、」
「そこらじゅうを掘りつくしてやがる。誰用だい」
「おそらく俺です」
小平太は今度こそ大声で笑う。「恨まれてやがるな」そう同情交じりに声をかけられて、「はあ」としかいえぬ九々知だった。
ふと、目の前の忍者の姿が消えた。塹壕に落ちたのだ。
「しめた、かかりよった!」
小平太がガッツポーズをつける。ふたりして追跡の足を止めれば、美しい町娘がひとり、表情もなく正面からこちらへ近づいてくる。穴の中でもがく男を、しゃがみ込んで見下ろす。
「おやまあ、お前、私がこの穴を作るのにどれだけ費やしたと思っているの。邪魔をして」
いけないやつだね、
綾部は呟くと、持っていた太い大根で男の頭をぱこんと殴った。大根がふたつに折れる。その欠片を傍らへ捨てて綾部は真っ直ぐ九々知を見つめる。
「先輩、まだ終了時間まであります。私と遊んでいきましょう」
胸元から取り出したるは、苦無。
長らく更新皆無でほんと申し訳ないです。えへへ・・・。
忙しかっただけで忍たま熱が下がったわけじゃないんだぜ。ほんとだぜ。その証拠に16期のタカ丸の贔屓されっぷりに喜んでいるぜ。とりあえず、「お気をつけて~」のメイドタカ丸を100人ほどこちらに寄越せ。
・・・綾タカいいなあ・・・(ぽつりと)。
拍手ありがとうございました。正直もう誰も来ていないかと・・・嬉しかったので。
⑪不気味な男、あるいは市中の騒動
壁に身体を押し付けるようにして伸し掛かりながら、長次はタカ丸の身体をなぶるのを止めない。タカ丸が顔を真っ赤にして、叫びだしたいのをこらえていると、耳元で低い声がもそもそと囁いた。
「外に忍びがいる」
「・・・っ、」
先ほどの不気味な男を思い出してタカ丸は身震いした。あのねぶるような視線は、己の正体を見極めるためのものだったのか。見つかったらどうなるのだろう。殺されるのか、あるいは・・・。
まだ忍者を目指して日の浅いタカ丸は、忍者の暗い影の部分は見せてもらわずに済んでいる。しかし自分を取り巻く状況は、いつだって暗い闇の中にある。父親がそうと知れず守っていてくれただけだ。父親が忍者になることを反対しているのは気付いていた。それでも、わざと言葉の意味を取り違えたような振りをして忍術学園に来たのは、自分の身を自分で守りたいと思ったからだった。そうして力をつけて、父親の身も自分が守ることができたなら。
ぴたりとくっつけた身体からはやる鼓動を聞かれたものらしい。長次の拳がとんとんとタカ丸の跳ねる心臓を上から叩いた。
「荒い真似をしてすまん」
「大丈夫です。長次さん、ありがとう」
自分に読唇は無理だが、この男ならそれもできるだろう。タカ丸は声を出す代わりに、長次の太い指を己の唇へ誘ってその動きを辿らせた。
一方で久々知である。こちらは七松小平太の強烈なタックルを受けた挙句、上から伸し掛かられて潰れかけている。
「退いてください~」
低い声で唸るように言っても、小平太は名前でも呼ばれたらかなわんとしきりに口を塞ごうと躍起になってくる。驚くほど色気のない女がしきりに接吻を迫ってくるのだ。久々知は胡乱な表情をした。
だが大方の事情はそれで知れた。久々知が身体を摺り寄せてくる小平太を押し退けながら顔を上げると、柳の下に立っていた視線の鋭い男が、タッと駆け出した。
「先輩ッ!」
思わず声をあげる。小平太もとうに気付いていたものらしい。
「おう!」と叫んでそのままその男を追いかける。久々知は一瞬迷った。感情は、店内に入ってタカ丸のもとへ行きたいと叫んでいる。だが、追跡をひとりにやらせるものではない。久々知はすぐ身を翻すと、小平太のあとを追った。理性で動けぬものに忍びを語る資格なし。あとでタカ丸に詰られても、それこそ無様に土下座でもして謝ってやろうではないか。本望といったところだ。
「動いた」
長次が顔を上げた。その呟きに、タカ丸も外を見る。不気味な男はとうに消えていた。久々知が身を翻して小平太とともに後を追うのを見た。
長次はスッと身を放すと立ち上がってタカ丸の腕を引いた。
「行くぞ」
「後を追うんですか」
「逆だ」
長次は財布ごと店の机に投げ出すと、タカ丸の腕を引いたまま、男が駆けて行ったのとは逆の方向へ走り出した。