⑨ 作戦開始、そしてまさかの大混戦
団子屋の一角。まあ食えといわれ差し出された汁粉にも、まるで手がつかない。そわそわと落ちつかなげに辺りを見渡しながら、「大丈夫でしょうか、」とそればかりをタカ丸は呟く。「大丈夫でしょうか、おかしく見えないかなあ」タカ丸は身長は高いが、体つき自体はすらりとしていて細い。鍛えていないということもあるだろうが、指などはほっそりと長く、あの仙蔵が「うらやましい、始終愛でていたい」とうっとり微笑んだほどだ。枯竹色の旅装束に着替えさせ、うっすらとしろいを塗り、薄い紅をひかせた。その上から砂塵を塗りつけ、顔を汚す。髪も、三日前から洗わせなかった。タカ丸は嫌そうだったが、己の命が懸かっているのだからおおっぴらに文句が言えるものではない。相手役には長次が選ばれた。体格がよく、強面なぶん、タカ丸への違和感が薄れるし、それ以前にイチャモンをつけられてはかなわぬと怖がって誰もまじまじとこちらを見ない。それでもタカ丸が不安そうにしていたら、小平太が気遣って同じく女装束に身を包んで隣を歩くことを決めてくれた。
「隣にもっと変なのがいたら、目立たないだろう」
ということらしい。今も、旅装束のまま笠を首から引っ掛けて、ガツガツと汁粉を食っている。そのいい食べっぷりは、間違っても女のそれではない。
「市を一周したのに、それらしいのに出会わなかったな」
小平太の言葉に、タカ丸もおずおずと頷く。「諦めたのかなあ」
「だったらいいな!」
「はい」
もちろんそんなことは無いと長次も小平太も知れている。ただ、隣で怯えるタカ丸を見ていると、どうも気の毒な気持ちになるのだった。思えば自分のかかわりないところで突然命を狙われたら、それは恐れもするだろう。しかし、と小平太は思う。不思議なのはタカ丸が忍術学園に来たことだった。てっきり保身のために父親が入れたのかと思い込んでいたのだが、反対を押し切ってタカ丸のほうで入学を求めたというではないか。見たところ、タカ丸に忍者の才能はない。
「ところで、――」
小平太が口を開きかけた。しかし、言葉は最後まで放たれることはなく、咽喉の奥で殺された。訝しく思ったタカ丸がそろそろと隣を見やると、殺気だった瞳で店の外を見ている。行き交う通行人のその向こう、川岸にたつ柳の木の下で、笠を被っってぼんやりと佇む中年の男がひとり。何をするでもなく、じっとりと、ねぶるようにこちらを見ている。タカ丸は薄ら寒い心地がして身をぶるりと震わせた。
「七松さん、あの人」
「見るな」
小平太は鋭い声音で小さく咎めると、「あ~あ、お腹いっぱい。オニイサン、次はどこ連れてってくれるの」と暢気に長次に問う。長次は銭を小平太に渡すと、「てめえは表に出てろ」と低い這うような声で言った。初めて聞く、かもしれない中在家長次の声に、びくりとタカ丸が肩を揺らす。長次は立ち上がると、タカ丸の席に近づき、後ろから彼を抱きすくめた。
「あ、ちょっ、何して…?嫌です、ってば!」
混乱したタカ丸がもがいて逃れようとするのを、黙って押さえつけると、壁に押し付けごそりと裾を割って太い指を差し入れた。腿をなでるように慣れ、タカ丸の顔が真っ赤になる。
「やだッ」
「黙ってろッ!」
一喝され、恐怖に瞳が滲む。怖い、怖い怖い、怖い、なんだ?なんなんだこの先輩は!?ひい、と咽喉が鳴って、ひっくと嗚咽が漏れた。店の雰囲気が一転したのがわかる。突然の長次の乱暴に店内に息を呑むような緊張感が漂っている。誰も止めにこないのは、頬に傷を持った長次が恐ろしいからか。長次は余所からは見えないようタカ丸にのし掛かり、壁に押し付けるようにもぞもぞと悪戯をしているが、そんなものは直接見えないだけで、何をやっているかなど他からは一目瞭然だ。
可哀想に、あの娘さん、売られていく途中だねえ。
囁き声が聞こえる。
「や、だ・・・ッ」
小さく声を涙声を漏らしても、長次は愛撫を止めない。こわい、こわいと頭の中はそればっかりだ。
「へー、すけ」
無意識で名前を呼んでしまう。途端、店の外から、「あーッ!!」と聞き知った声があがった。吃驚して面を見れば、名前を呼んだ男の姿がそこにあるではないか。市井の男の格好で、こちらを見て、叫んでいる。ぱくぱくと鯉のように口が動いているが、最初の驚きの一声以外は言葉になっていない。
「あ、あわわ!?」
「ひーん、兵助え」
小さく声をあげるが、長次に尻を抓られて「ひゃあ」と情けない悲鳴をあげる。兵助の顔が茹だったように真っ赤になる。きりりとした眉が徐々に釣りあがっていくのを、タカ丸は見た。ずかずかと店に入ってこようとしているところを、店の外に立っていた女に突き飛ばされる。
「おっとォ、いい男ォ!!お兄さん、あっそびましょー!」
小平太であった。はらはらと表の成り行きを見まもる一方で、長次に膝の裏をなでられ、こちらも余裕をなくす。
真昼間の大混戦に、「あれまあ、若いって凄いわねえ」と暢気なおばちゃんたちの囁きが聞こえた。
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