考えていたオチが変わったので、「子どもが寝たあとで」改題。内容は続きです。
こんなことがあった。その日も竹谷は後輩を連れて用具倉庫に遊びに来ていた。あまりに天気が好かったので、食満は倉庫にこもりきりでいることをなにやら不健康だと感じて、大きく伸びをしながら、どっか遊びに行くかあ、と言った。それを聞いた一年生たちは大はしゃぎして、ピクニックだあ、とか、食堂のおばちゃんにおむすびをつくってもらおうとか、目を輝かせてぴょんぴょん飛び跳ねるので、食満は自分で言い出しながらちょっと驚いて、竹谷を見た。そうしたら、竹谷はくすくすと嬉しそうに笑って、「みんな先輩と出かけるのが好きなんですよ」と言った。それから、「よかったな、一平!」とどこか間の抜けた顔つきが憎めない後輩の頭をわしわしと掻き混ぜた。
裏裏山までみんなで歩いて、頂上でおむすびを食べた。一年生たちがかくれんぼを始めたので、食満と竹谷は青草の上に尻をついて、それをぼんやりと見ていた。風が気持ちよい日だった。そよそよとかすかな風が、柔らかく頬を撫でては後ろへ流れていった。蒼い空は高くて、綿をちぎったみたいな雲が流れていた。食満は、のんびりとした気持ちで、今の自分を取り巻くいろんなことを忘れた。たとえば自分は忍者を目指していて、人の血の匂いを、肉の柔らかさを、知ってしまっているということ。夜の闇の深いこと。背負うべきもの。普段ならば決して忘れてはいけない、そういう重く宿命じみたもののことを、全部忘れた。自分が誰であるかということも、たいしたことではないとさえ思った。隣で竹谷が竹筒の水筒を取り出して、食満に渡した。なかには、熱い茶が入っていた。それをふたりしてこくこく飲んでいたら、竹谷が、「うまい!」と声を上げたので、食満も頷いて、「うん、うまい」と返事をした。むこうでは、きゃあきゃあと、子どもらが走り回っている。
ふいに竹谷が、「兄ちゃんは、」と言った。言ってしまってから、しまった、というような顔をして、食満を見た。食満はふいをつかれたような表情で竹谷を見返した。
「すいません」
「いや・・・」
竹谷は、食満を兄と間違えてしまったのだろう。食満は、苦笑して、それからおもむろに「ハチ、」と呼んだ。食満はそれまでずっと竹谷のことを「竹谷」と呼んでいたのだった。ハチ、とたぶん、自分がこいつの兄ちゃんならそんなふうに呼ぶだろうなと思って、その音を口から出すと、なんだか響きがまるっこいのに、胸がいい具合にざわざわした。竹谷は、ちょっと目を丸くしてから、「はい」と言った。
「なんですか」
「ハチ、」
「はい」
「いい名だ。呼びやすい」
竹谷は少し照れたようで、頬がぼうっとのぼせたようになった。
最近伊作は、夜、部屋に帰ってこない。どこをほっつき歩いているのか知らないが、委員会とか自主練というわけでもなさそうだった。食満が起きる少し前にこっそり帰ってきて、衝立の向こうに、ごろんと転がる。布団を敷く気配もない。それから間も無くして、すうすうと寝息が聞こえてくる。少し前に小平太が、夜中、文次郎と伊作はいつも一緒にいると喋っているのを聞いた。食満はそれから、伊作のいない夜の部屋が嫌いになった。衝立の向こう、しんとした闇がうずくまっていると、食満はいらいらした。伊作のやつ、うまくやったのか。素直に喜んでやれない己の度量の狭さがまた許しがたく、胃を痛めるのではないかというほど気を揉んで、苛々を募らせた。
食満は、気分の悪さで眠れない夜を、竹谷や一年生たちのことを考えて、紛らわせようとした。明日はどうして遊ぼうか、とか、子どもたちの頬の柔らかさとか、ふにゃふにゃの腕とか、竹谷の嬉しそうな顔とか、自分の名前を呼ぶ声とか、一年生を呼ぶときの柔らかい響き、「兄ちゃん、」といったときのばつの悪そうな困り顔。ハチ、と読んだときの照れくさいような表情。それらはみんな食満から何か奪うようなことはない。傷つけるようなこともない。竹谷は晴れた日の風の温度を持っている。太陽の匂いがする。
そのひかりは、食満の疲れた心を、少しだけ癒した。
>>先ほどスガワラにタイトルの間違いを大変ユニークなコメントで指摘してくださった方へお礼SS。でも、44巻何も関係ない内容なんだぜ・・・嘘みたいだろ・・・。
*イケメンはエロ本なんて読まないもん、雷蔵と三郎が気持ち悪いのは許せないもんという人は、絶対に読んではいけません。
久々知は委員会の集まりだとかで帰ってこない。竹谷はひとり腹ばいになって床板に寝転がると、孫兵との交換日記を読んでいる。『先輩は、毒虫だと何が一番好きですか?僕は蝮です。毒蜘蛛も好きです。でも先輩はもーっと好きです!』竹谷は筆に墨をたっぷりつけると、隣のページに返信を書く。『ありがとう。俺も孫兵好きです。孫兵は面白い後輩だと思います。俺は虫ではだんご虫が好きです。孫兵は、犬では何が好き?俺は、柴犬。▼・ェ・▼←三郎に教えてもらった犬の絵。』
そんなのんびりした時間をすごす竹谷の静寂は、ぴしゃーん!と鋭く開かれた障子によって壊された。障子を開いたのは三郎だった。竹谷が顔を上げると、三郎はにんまりと笑って、「ハチ、俺天才!今度買った春画大アタリッ!!」と両手でブイサインを作った。竹谷は嬉しそうに笑うと、満面の笑みで、上体を起こした。
「タイトルは!?」
「真夜中のくのいち乱舞~霞扇でうっふん~」
「や~らし!」
「とかいって竹谷くん、ほっぺたゆるんでるよ~。見たいんでしょ、見たいんでしょ~」
「鉢屋くんったらえっち~」
にやにやしながらふたりして鉢屋の持参した春画本を開いた。豊満な女房がくんずほぐれつしている絵がばばん!と思春期の少年たちの眼前に広がり、強い刺激を与える。
「おおっ!これは凄い・・・」
「だっしょ、だっしょ?このページとかマジ凄いんですよ先生、ほらっ!」
「うお~っ。これはやばいでしょ~おっぱい丸見えでねえの!」
きゃっきゃっ、と黄色い声を上げて喜ぶふたりの背後から、「秋の新作か」とクールな声がした。ふたりは、足音がなかったために、背後の気配に気づかなかったのであった。振り返ると、そこにはい組の優等生久々知がたっていた。彼は委員会の後そのまま風呂に入ったのか、寝巻き姿からほこほこ湯気を立たせてふたりの間から春画本を覗き込んでいた。
「見事に清純派の女房ばっかりだな。三郎、お前の趣味、ほんとわかりやすいよな」
「何で俺のってわかるのよ」
「ハチは巨乳のしか買わない」
「おっぱい好きで悪かったわねえ!」
久々知は風呂あがりの豆乳をごくごくと飲み干しながら、天井板をずらして中を探った。ほどなくして、ばらばらと何冊かの草紙が落ちてくる。それは、彼の所有の春画だった。
「俺もいいのがある」
「あっ、この間見せてもらったやつか、あれは凄い」
「兵助の好きなやつたいていお姉さん系だろ。俺年上興味ないもん」
舌を出す三郎の方を、竹谷が叩いた。
「いや、三郎、これは見といたほうがいいぞ。ほんと凄いから」
「なんなのよ~タイトルは何~?」
「”美女と蛸壷”」
「な・・・なんなんだ・・・シュールなのに異様に卑猥な妄想を書き立てるそのタイトルは・・・。さすが兵助・・・俺たちはお前のむっつりスケベに勝つことは出来ないのか・・・!?」
「ハチはなんか買ってないのか」
久々知に促され、竹谷は、「今食満先輩に貸しててさあ、」と頭を掻きながら、文机の裏に貼り付けてある本を取り出した。九々知と鉢屋が覗き込む。
「「・・・”おっぱいがいっぱい”」」
ふたりでタイトルを読み上げた後、顔を見合わせ、それから竹谷をふたりしてぎゅうっと抱きしめた。
「俺、ハチのそういうところ好きだよ!」
「よし、よし、ハチは一生そうでいてくれな」
「な、なんだよその生ぬるい感じはよ~!!」
竹谷がわめくと、三郎は竹谷の文机の裏を覗き込んだ。
「チッ、もうないか・・・」
「なに探してるんだよ」
「食満先輩から何か借りてないかと思って」
「借りてるけど、見せない」
「え、なに、やっぱロリコン系!?」
「鉢屋、仮にも俺の好きな人のことそんなふうにゆーな!」
ぷくう、と頬を膨らませた竹谷に睨まれて、鉢屋は素直にごめんと謝る。呆れた表情の久々知が、溜息をつくと、竹谷は、そんな彼を振り返って「斉藤さんはどうなんだ」と尋ねた。
「さあ」
「エロ本の貸し借りしねーの?」
「しない」
「猥談しねーの?」
「一回話振ったけど、にこにこ笑いながら、”兵助くんも若いってことか~。うふ、なんかかわいいねっ”って言われて終わった」
「大人だ・・・」
「そこで食い下がるなよ、もっと積極的に下トークぶちかましてこうぜ!」
熱く語る三郎に、久々知は冷静な表情を向ける。
「っていうかさ、そんなこといわれたら食うしかないだろ」
「は、何を?」
「本人を」
竹谷と鉢屋は黙り込み、顔を見合わせる。((男だ・・・))
「そういや三郎、雷蔵とはあんまり猥談しないよな」
「ばかっ!雷蔵はピュアな天使なんだよっ!煩悩にまみれた薄汚い野郎どもと一緒にするんじゃねえ!!」
三郎の言葉に、久々知と竹谷は白い目を向ける。雷蔵は、三郎の居ないところではわりとばんばん下ネタを飛ばしていくのだ。特に、彼が「AVの冒頭に必ずある女優のインタビューの部分は本当に心の底から不必要」と語るときの真剣な瞳は、聞く人を頷かせる強さを持っていると有名である。
三人でぎゃあぎゃあと話し合っていたら、ノックもなしに部屋の障子があいて、雷蔵が顔を覗かせた。
「三郎、もう寝よ~」
「あ、うん、寝るー」
「雷蔵、今エロ本見せ合ってたんだけど、お前もなんかお勧め持ってる?」
竹谷が尋ねた。三郎が、「雷蔵を汚すんじゃねええ!」と怒鳴りつける。雷蔵はしばしの逡巡の後、にっこりと微笑んで言った。
「エロ本より、実際の女の子が一番ってね」
それは後光が差すかのような清々しい、悟りきった笑みだった。久々知と竹谷は、自慰の後の、理性を取り戻してしまった、あの悟りをひらいた後のような心の平安を感じた。
「いやあああ!雷蔵の不潔ううう!俺だけって言ったじゃない、ばかあ!ばかあ!ばかあ!浮気しないよって俺を抱きしめて囁いてくれたのは嘘だったの!?もう誰も信じられないいいい!恋なんて、愛なんて、あああ!」と泣き喚いて伏せってしまう三郎を肩に抱えて、雷蔵は、「冗談だよ」とわらった。そうして、竹谷と久々知に手を振っていってしまう。
泣き喚く三郎があまりにうるさいものだから、雷蔵は、三郎の耳元で、
「こら、泣くのは僕とのベッドの中だけって約束だったろ、子猫ちゃん」と囁いて、三郎をうっとりさせた。そんな後姿を見て、久々知と竹谷はただただ拝むしかなかったという――。
すごいだろ、これでお礼って言い張るんだぜ・・・