伊助は幸せにならないと駄目だ。
学級委員長委員会で遠征に行った帰りに摘んできたのだと言って、庄左ヱ門からなんの気なしに手渡された花を、伊助はことのほか喜んで、小さな壺に活けて机の上に飾った。文机の上で紫色に存在を主張するその小さな花は、確かにかわいらしかったが、庄左ヱ門は少々ばつの悪い思いを味わった。なぜならそれは、本来美しさを愛でられるための花ではなかったからだ。本来は、腹痛の薬なのだ。茎を煎じて飲むと、苦いがよく効く。最近腹痛に悩まされているということをきいた庄左ヱ門は、薬のつもりでそれを摘んできたのだった。
だから、伊助が嬉しそうにその花を眺めているのを見るたびに、自分の気のきかなさを思って情けなくなってくるのだった。そうなのか、伊助は花が欲しかったのか。そんな小さな花をそんなに喜ぶなんてなんだか悪いことをした。わかっていたなら、もっと派手で、本当に綺麗な愛でられるために咲いた花を採ってきたのに。
よくよく見ないと花なのかつぼみなのかもわからないような、小指の先ほどの小さな小さな花を、あんなに嬉しそうに眺めたりして。
「庄ちゃん、この花きれいだねえ」
「あ、そ、そうかな」
「わざわざ摘んできてくれてありがとうね」
「いや~・・・あははっ。伊助が気に入ってくれて何よりだよ」
庄左ヱ門は苦しい笑みを浮かべながら、今更、それは腹痛の薬なんだよとは言えず、苦しげな笑みを浮かべて、知らないふりを突き通すことに決めた。僕は、この花がきれいだから摘んできたのだ。僕もこれが腹痛の薬だなんて知らなかった。よし、これで行こう!
「庄ちゃん、この花なんていうのかな」
「さあ~・・・?」
「庄ちゃんでも知らないものがあるんだねえ」
伊助はびっくりしたように庄左ヱ門を見つめた。庄左ヱ門は少しむっとしたように、僕だって知らないものぐらいあるよ、と窘めた。
「ごめん。でもさ、庄ちゃんなら、知らないまま渡すんじゃなくて、名前を調べてから渡してくれそうだなって思ってたから」
さすが伊助だ。庄左ヱ門は内心で唸る。確かに、はじめから”花”として手渡すつもりだったなら、ちゃんとその正体を明らかにしてから渡したろう。
「じゃあ、僕で調べてみるね」
「えっ、」
庄左ヱ門は目を丸くした。そして、慌てた声を出した。
「いや、やめなよ。いいよ、知らないままでいいよ」
「え?」
「いや、あの、名前がわからないままってほうが、その、神秘的な感じがしていいかなって思うんだ・・・!」
「そうかな」
「そ、そうだよ!」
「そうかもね」
「そうそう、そうだってば、絶対!」
庄左ヱ門はぎこちない笑みでなんども言葉を繰り返した。僕は馬鹿だ、と内心で何度も何度も繰り返し己を罵りながら。
ところがその三日後ぐらいに、伊助の机の上から花は姿を消してしまった。
庄左ヱ門が行方を尋ねると、伊助は、申し訳なさそうに、
「ああ、あのね、あれ枯れちゃったんだ。ごめんね」
と謝った。庄左ヱ門は「そっか。残念だったね。でも、伊助のせいじゃないよ」と声をかけながら、腑に落ちない思いを抱いていた。あの植物は生命力が強くて、水をやっている限りはそう簡単に枯れるようなものでもないのだ。扱いが悪くったって、二週間はゆうに生きている。そんな花が、あの気遣い屋の伊助のもとで一週間も経たずに枯れるものだろうか。
庄左ヱ門はつい不思議がって、
「でもおかしいなあ。あの花はね、毒消しの万能薬で、保存が利くんだよ。何をしないでも長い間生きたままだから、生薬としてもとても便利でね」
「そうなんだ」
「うん。今度は、もっと長生きする花を探してもってくるからね」
「ありがとう庄ちゃん」
伊助はとても嬉しそうに微笑んでくれたものだから、庄左ヱ門は自分の嘘を自分で明かしてしまったことに気付かないままだった。
夜になってしんべヱが食べ過ぎから来る腹痛に襲われた。一年の長屋がどたばたと大騒ぎするなか、伊助は自分の引き出しから、煎った状態の植物を取り出した。
「僕、これ刻んでくる。庄ちゃん、お茶沸かしといてくれる!?」
「うん」
庄左ヱ門は、その茎が、自分がもってきたあの植物だと気付いていた。なぜあれが、煎った状態で伊助のもとにあるのだろう。しんべヱは、それを飲んでまもなく回復した。伊助はほっとした様子で、「あれって、ほんとに腹痛によく効くんだねえ」と笑顔で庄左ヱ門に話しかけた。庄左ヱ門が不可解な表情で、いつから知っていたのかと問うと、伊助は、「もらった次の日から」とはにかんだように笑った。
「庄ちゃんから花をもらえて嬉しくって、その日のうちに調べたんだ。そしたら、図書館にたまたま善法寺先輩がいてね、それは観賞用の花じゃないよって教えてくれたんだよ。本当は腹痛に効くんだってね。庄ちゃんほんとは知ってたんでしょ?僕、なんだか気を遣わせちゃったみたいでごめんね」
「あ、いや・・・」
「庄ちゃん、僕の腹痛を気にかけててくれたんだ。うれしいな、ありがとうね」
「あ、ううん。今度また、摘んでくるよ。腹痛に効く植物も、見て楽しいきれいな花も」
「うん、ありがと」
伊助はにっこりと美しく微笑んだ。庄左ヱ門は、かなわないなあと思った。たぶん、僕は、このこには一生敵わないんだろうな。だけど、そういう相手を得るってとっても幸せなことだってじいちゃんから聞いたことがある。僕幸せものだなあ、と思って、庄左ヱ門も同じように美しく微笑った。
孫兵書こうとするとどこかヤンデレっぽくなるよな!
孫竹で竹谷女体化で食満竹でもある。そして自分勝手な設定が山ほどあるので注意です。
***
いつか、こんな日が来るんじゃないかって思ってた。
ねえ、だからあのときに言ったでしょう、先輩。僕の勘はよく当たるんだ。そう言ってみたかったけれど、そんなことを言えば先輩は必ず悲しむから、僕はその言葉を飲み込んだ。最後に見たときよりも、先輩はずいぶん痩せたようだった。無理もない、今は特に、先輩も村を率いて大変なときだから、気苦労が多いのだろう。いたわしい。先輩は白無垢に似合わない、疲れたようなぼんやりした表情で、襖絵を見ていた。それは色とりどりの虫たちがいっぱいに戯れていて、少し離れたところから見ると、大輪の牡丹が咲き競っているようにも見える、僕の村の宝だった。
「先輩、長旅ご苦労様でした」
僕が庭から声をかけると、先輩はようやく僕の存在に気づいたらしく、のろのろと視線をこちらに寄越した。くすんだ顔色に、唇に刷かれた紅だけが、別の生き物みたいに真っ赤にぬらぬら光っていた。婚礼の着物を着てきたと聞いたときは驚いたが、それは実際に見てみると、僕が想像するよりずっと簡素だった。けれど、生地は上等のものを使っているのだろう、白い絹の着物に、下は唇と同じ濃紅を重ねている。学園にいるときはいつも高く結っていたぼさぼさの髪も、今日ばかりは椿油で丁寧に梳られ、背中に長く流されていた。
「孫兵」
ふ、と先輩は小さく息を吐くと、ふわりと笑った。
「久しぶりだな」
「はい、お久しぶりです。お変わりがないようで・・・と言いたいところですけれど、今日は随分と様変わりしておられる」
僕の揶揄に、先輩は困ったように眉を下げて笑った。それから、畳に手をついて、丁寧に僕に頭を下げた。
「不束者ですがお願いします。・・・まずはこうだよな」
先輩の村が焼き払われたのは、一年前のことだ。先輩は学園を卒業したあと、村には戻らずにフリーの忍者として活躍していたらしい。先輩の村は技能者集団の集まりで(そういう村は結構多く、大概が村ごとどこかの殿様に雇われたりする)動物を操るのに長けていた。山奥で野生の生き物たちと共存しひっそりと暮らしている人たちだったが、ある領主の要請を突っぱねたために、村を焼かれた。苛烈な性質で有名な男だった。山ごと焼かれたので、動物たちも大勢死んだ。焼き出されて山を下りてきた人たちは、麓で待ち受けていた武士たちに、女子ども関係なしに切り捨てられた。生き残った数人たちは、先輩を惣領に担ぎ上げて、村を焼き払った領主と徹底抗戦することに決めた。先輩は村の惣領のひとり娘だったのだ。
徹底抗戦のための同盟相手として、先輩の村は、僕の村を選んだ。僕の村は虫を扱うのを得意としていて、先輩の村とは昔から交流があった。僕も、まだ学園に入る前、ほんの子どもの頃に何度か先輩にあったことがある。とはいっても、その時は遠くから先輩を眺めるだけだったけれど。
僕の村は、先輩の村を焼き払った領主とは、つかずはなれずの関係にあった。僕の父は―つまり、僕の村の惣領ということになるが―その男と深く関わりすぎないように、死ぬ間際まで細心の注意を払っていた。父が死んで僕が跡継ぎになるとすぐ、先輩の村から同盟の依頼状が来た。村は賛成と反対で割れた。結論を待つのに焦れた先輩の村が、先輩を同盟を事実上成立させるために、一方的に僕のもとへ先輩を送ってきた。
これを娶れ。要らぬならば切って捨てよ。
それが、先輩とともに送られてきた書状の内容だ。半強制の政略結婚だ。このやり方には、先輩の村への反発が強くなった。けれど、その一方で、同情心も色濃くなった。実際に先輩が来てみると、先輩は明るく気だてがよく人の心を掴むのが上手いために、誰も邪険に扱えなくなってしまったのだ。
僕の育ての親であり、よき助言者でもあるばば様は、「お主の好きになされよ」と一言だけ言った。「それがどういう決定でも、我らはそれに従おう。」
さて、先輩は村であつらわれたという花嫁姿で、僕の前に座っている。
僕はすっと、こういう日が来るんじゃないかと思っていた。それは、まだ僕らが忍術学園にいた頃―先輩が先輩で、僕がただの後輩であった時からずっとだ。いつか先輩はきっと不幸になる。僕は確信にも近い予感をずっと抱いていた。先輩が、あの男の隣で幸せそうに笑っていたときからずっと。
僕は先輩の元気がない本当の理由を知っていた。先輩は過酷な毎日に神経を磨り減らしてこんなに元気がないのではない。先輩はあの男と敵対関係になってしまったことをひどく気に病んでいるのだ。
先輩の村を焼いた領主の抱える忍者隊。そこには、先輩が学園時代に恋人と慕った食満留三郎がいた。