妖怪パロ。
ま、第一部完的な感じで。もし二があれば絶対くくタカ出す!
---------- キリトリ -----------
「梃子摺らせてくれる」と伊作は汗を拭いながら呟かずに居れなかった。破魔の呪を彫った岩に三郎をやっとの思いでくくりつけてやった。何十にも麻縄で岩に身体を巻きつけた後、三郎の眼前にどかりと座り込んでひたすら呪文を唱える。それは三郎狐の妖力を封じ込めるためのものだったが、思うように効いてはくれず、三郎に縄を引きちぎらせない程度に押さえ込むことしか適わないでいた。
「俺を殺すか、下郎」
地を這うような声で三郎が吐き捨てた。伊作は知らぬ顔で呪文を唱え続けている。
「殺しても無駄ぞ、俺は滅した後もこの村だけは許さん。一生祟ってやるわ。作物の実り育たぬ死の土地にしてやろうとも」
けけけ、と三郎が笑う。伊作が呪を唱えているそばから、そんなことは無駄だとばかりに伊作の周囲の草木が枯れてゆく。伊作は三郎を睨みつけた。
「この村がお前に何をしたのだ」
「知ったことかよ。お前こそ、余所者だろう、北の匂いがするわ。この村に何の義理があるか知らぬが俺を放しや」
「おい狐、ひょっとしてお前の母親は数年前に退治られた玉藻御前ではないかね」
くわ、と三郎が怒りに口を開いた。ぶわりと体中の毛が逆立つ。三郎の前で玉藻の話は禁句だった。三郎が遠吠えすると、遠くでごろ、と雷がした。伊作が振り返る。
「む、いかん、鳴る神か。鵺が来る」
鵺は雷神で、鵺の参上するときは必ず雷が鳴るといわれている。三郎は表情ひとつ変えてはおらなんだが、内心では伊作以上に焦っていた。いかん、これでは間に合わん。鵺との約束が果たせぬ。
「おい坊主、貴様京の鵺退治を見に行くのだろ。ここにいて俺にかかずらっていてよいのか」
「お前を放して村人を喰わせるわけにいかん」
「ふん、ではお前一生俺の前で呪でも唱えているつもりか。阿呆が、お前程度の力で俺を見くびるでないよ」
確かに、気休めの封呪措置だとは伊作も気づいてはいた。死んだものならともかく、生きたあやかし封じなど、伊作の本職ではないのだ。伊作が苦々しい顔をすると、三郎狐はふふんと笑って、「お前を喰らう代わりに俺を放さぬか」と言った。伊作は首を振る。
「いやさ、私よりこの村の安全を約束してくれ」
三郎狐は酷薄そうな瞳を細めて伊作を見つめた。馬鹿な人間にかかずりあったと面倒な気持ちが湧いて出る。しかしやがて、よかろう、と頷いた。伊作は確かだな、と疑って簡単に呪を解くことをしない。三郎はしばし逡巡して、
「確約が欲しいのなら俺の尾を一本やろう」
と言った。伊作は驚いた。九尾の狐にとって、尾は魔力だ。「いいのか」と問うと「くどいわ、早くしろ」と返事。伊作は尾の一本を掴むと、根元から懐に忍ばせた短剣で切り落としてしまった。坊主がそんなものを持つなどと、どうもこれは怪しい男であると三郎は思ったが、ともかくも急がねばなるまい。伊作が縄を外すと、京に向かって一目散に駆け出した。冷たい夕の風が尾をなくした尻に酷く染みたが、そんなものに気をとられている暇もなかった。伊作は脱兎のごとく駆け出していった狐を見つめて、「こりゃあますますきな臭いぞ」と鼻をひくひくと動かして曇天を見上げた。ごろごろごろと音はどんどん近くなっている。びかびかと青い光が天を裂き始めた。
「いかんいかん、私も急がなけりゃあ」
立ち上がった途端、懐からころりと石が飛び出して、伊作は慌てて拾い上げた。その石は封魔の札で巻かれている。伊作はそれを両の手で大切に握り締めると、「玉藻御前、貴女の息子だ。見たかい、」と優しく語りかけた。
三郎は京へ行く途中に百鬼夜行をいくつも見た。鵺の参上で、京にいくつも門が開かれ、道が出来ているのだ。馬鹿な人間ども、鵺一匹を殺すために、それだけのあやかしを京に通すことになると思う。三郎は内心で嘲笑う。鵺の死体に化けて宮中まで運び込まれたら、そのまま宮中の人間総て屠ってしまおうかと邪悪なことを考える。ひたすら走っていたら、申し、と声をかけられた。申し、申し。それは魂震わすあやかしの声だった。妖怪の中でも位の高い三郎狐に、気安く話しかけられるものなどほとんどない。無礼者はだれぞ、と振り向いて、三郎は目の玉が零れ落ちてしまわんばかりに眼を見開いた。そこに立っているのは雷蔵だった。
青白い顔をして、青白い骸骨を背負って、三郎を呼び止めている。三郎は愕然として、岩で頭を殴りつけられたような衝撃を受けた。息を吸ったまま吐き出すことが出来なかった。雷蔵が、妖怪になってしまっている。俺の知らぬうちに、雷蔵は、死んだのだ。雷蔵は、「どちらへいったらよいのですか」と虚ろに尋ねている。身を揺らすたび骨が鳴った。狂骨だ。世に未練があると、たまにこうして成仏叶わずあやかしとなってしまう魂がある。
三郎は身動きすること叶わず、ぱたぱたと涙を零した。
「雷蔵、」と名を呼ぶと、雷蔵がよくわからぬふうに首を傾げる。
「それはなんですか」
「雷蔵はお前だよ、雷蔵。俺のことはわかるか、三郎だ、お前が助けた狐の三郎だよ」
雷蔵はぼんやり立っている。「三郎、聞いたことがあるなあ、とてもよいものにつけた名だったような・・・」
三郎が瞬きするたび、ぽたりぽたりと涙が零れた。ごうん、と鳴る神が頭上で騒いでいる。ああ、鵺が呼んでいる。行かなければ。しかし走り方も忘れてしまった。雷蔵は草臥れた形で立っている。
「申し、私はどこへ行ったらよいのです」
食満は天に現れた異形の生き物を見上げた。それは大きく、吠えるたびに地が震え、見守る人々は幾人も失神してしまうほどであった。しかし、食満は負ける気がしなかった。胸には昨夜の甘い思い出が居座っている。きっときっと、俺はこのおぞましい妖怪を倒して蔵人の頭になるのだ。そうすれば八左ヱ門もどん何か喜ぶだろう。食満はきりきりと弓を引いた。それはいつかに八左ヱ門から貰った破魔の弓だった。大きな弓で引くのにはひどく力が必要だ。食満はしっかり狙いを定めて、射た。びいいいいいん、と弦の震えが長く宮中に響いた。渦巻く灰色の雷雲が裂かれ、弓は天に昇っていく。
「あ、」
と食満は息を呑んだ。少し手先がぶれてしまったらしい、弓の方向が外れた。しまった、と思い慌ててもう一本の矢を用意する。だが、弓は見事鵺に当たった。食満は瞳を見開いた。そんなはずはない、と思った。
ヒエーッと鵺は一度大きく鳴くと、そのままどさりと紫宸殿の前の庭に落ちた。化け物の首を駆ろうと近寄った警備の者たちを、食満は、止めた。
「心無いことをするな!妖怪といえ、これ以上辱めることは俺が許さん」
食満はゆっくりと鵺に近寄った。そっと手を伸ばしても、鵺は荒い息を吐くばかりで抗うことはなかった。
「お前、自分から矢に当たったな」
食満は、鵺の瞳が見たこともないほどあたたかいことに驚いて慌てて顔を覗き込んだ。
「鵺、」と声をかけたが、鵺はそっと瞳を閉じたままもう動くことはなかった。
「食満様!おめでとうございまする!」
口々に叫んで宮中にいたものみんなが駆け寄る。食満は呆然としたままだ。自分は、とんでもないことをしてしまったのではないかという嫌な後悔が胸に渦巻いていた。あんな優しい瞳をしたものを、射殺してしまった。
「おめでとう、留三郎」
ふいに背後で声がした。八左ヱ門の声だった。食満は振り返って、眉を潜めた。立っていたのは八左ヱ門だが、雰囲気の違うようだった。酷薄そうな表情で、ぱちぱちと手を打つ。
「君は見事鵺を退治たのだ」
「貴様は誰だ」
「俺は、俺はそこに倒れている鵺だよ、留三郎」
にたり、と八左ヱ門の容姿をしたものが笑う。雷は晴れて、真白い月明かりが京を照らしていた。鵺が鳴く夜はもはや永劫こないだろう。
「お前が俺を殺したのだ」
「嘘だ」
食満は吐き捨てるように呟いたが、胸の痛みがそれを否定しきれないでいた。どうして鵺は、自ら矢に当たりに行ったのだ。どうして鵺は、優しい瞳で死んだのだ。どうして八左ヱ門は昨日のうちに逢いに来たのだ。どうして、今日では遅いといったのだ。
「嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!」
食満の懊悩を、眼の前の八左ヱ門がにたにたと見つめている。その尻に、尾が生えてくるのを食満は見た。八つの金色の毛並みをした狐の尾だった。
「お前が八左ヱ門を殺したのよ、馬鹿者が」
吐き捨てるように呟いて、青年はひらりと身を翻すと、紫宸殿から去っていった。
数日後、食満は帝から獅子王という名の弓をおし頂いた。
そしてその数日後、食満はひとりひっそりと京から姿を消す。
秋も盛りを過ぎ、地に落ちた花梨の実は甘く腐りはて、誰も伝えない過去の思い出をひっそりと辺りに匂わせている。
妖怪パロ。
---------- キリトリ -----------
帝が謎の熱病で危篤状態にある、という。京中の噂だった。蔵人として宮中勤めをしている食満にとって、帝の生死は非常に重要な話題である。今の華村天皇が亡くなれば、次に跡を継ぐのは弟の玲泉宮である。彼のシンパは食満の氏とは対立関係にあるから、政権交代がされれば食満は京を追い出されてしまうだろう。
ある日のこと、食満は蔵人の頭に呼ばれて其処で驚くべき話を持ちかけられた。
「鵺、ですか」
「そう、陰陽師が、帝の御病気は近頃毎夜のように木霊する鵺の鳴き声が原因だというのだ」
「ははあ、」
「それを退治してみよ、とのお上のお達しである」
食満はぼんやりしている。確かに、ここ最近は毎夜鵺の鳴き声が京に響いて人々を怖がらせている。鵺の鳴き声は人の霊魂を吸い取っていくというから、天皇の熱病もそれが原因と理由付けられなくも無い。しかし、食満にはどうしてもピンと来なかったのだ。帝の御病気は、心無いものの呪詛ではなかろうかと、もうひとつの噂か宮中でまことさやかに囁かれている。そちらのほうが、
(らしいな)
と思わずにはいられないのである。どこかとぼけたような食満の様子に、蔵人の頭はひとつ呆れたような息を吐いて、「これはお前を弓の名人と見込んでのお上直々のご命令である」と声高に、宣告した。それで食満は慌てて姿勢を正して蔵人の頭に向き合った。
「いつかに、お前が弓の弦を弾いて、その響きで殿中の百鬼夜行を退けたことがあったな」
それはいつぞやに八左ヱ門が入れ知恵をしてくれたものである。お前に破魔の弓をくれてやろう、これを一度、なるべく長く爪弾くのだ。音が響いている間は決して妖怪どもはお前のそばに近寄らぬだろうよ。
「帝はそのときのことを深く感謝して、いまだ覚えておられるのだ。有難いと思えよ」
「はっ」
「受けてくれるな」
「左様でございます」
食満が両の拳を板の間につき、深く平伏すると、蔵人の頭は満足げに「これに成功すれば、蔵人の頭の地位は私の次はお前だ、食満」と呟いた。食満は驚きに身体を揺らした。思わず顔を上げて蔵人の頭を見上げると、彼は恭しげに一度頷いた。
「出世の機会と思って気張れよ」
食満は「ははっ」と勢い込んで返事し、頭を下げ、今度はずっと頭を上げなかった。
その晩はああ、困った、と鵺が溜息を吐くこと甚だしかった。三郎狐は、そんなものは放っておけ、とけんもほろろに言った。
「お前が毎晩鳴くのは、西で戦をやっているからだ。帝の熱病など、知ったことじゃないのだろ、放っておけ」
「そんな、そんなわけにはいかん、俺を退治ることが出来ずば、留三郎はえらい恥をかいてしまう。蔵人の頭にも成れはせぬ。蔵人の頭はな、留三郎の積年の夢なのだ」
酷く焦った口調で鵺がそう零すのを聞き届けた三郎狐は、声高に、「大馬鹿者!」とぴしゃりと叱り付けた。
「お前は阿呆か、たかが人間一匹の恥だの名誉だのと、そんなものとお前の命ひとつを比較して迷うでないわ!放っておけ、」
最後は地を這うような声だった。鵺は猿の真っ赤な顔面を真っ青にして、やはり困り果てた表情をしている。今日の昼時、留三郎の屋敷へ赴いたら、彼は満面の笑みで、「おい、蔵人の頭になれるぞ!その機会を得た!」と随分と嬉しそうにはしゃいで八左ヱ門の腕を握った。
「見ておれ、八、俺はお前のために見事鵺を退治てやろうとも!」
八左ヱ門は綺麗に笑いかけてやることが出来なんだ。まさか、本当に退治られてやるわけにも行くまい。しかし、この嬉しそうな様はどうか。失敗すればきっとお咎めが来るのだろう。
どうしよう、困った。ああ、それにしても、困った。
鵺はその日一晩中溜息をついて、まんじりともせぬ夜を過ごした。朝を迎えてもまだしきりと悩んでいるようで、鵺の表情はいっこうに晴れることがなかった。三郎狐は人間は大嫌いだが、鵺のことは認めている。いささか鵺のことが可愛そうにも思えて、知恵を貸してやった。三郎狐は妖怪の中でも天狗と猫又と並んで知恵があるといわれている。
「鵺よ、ならばこうしてはどうか」
鵺は、三郎狐が知恵を貸してくれることを最初から期待していたに違いない、いつもならすぐにでも頼み込むところを、今回に限っては代の人間嫌いに遠慮して言い出せずにいたのだろう。嬉しそうな表情で三郎狐に耳を寄越した。
「どうする、」
「退治された振りでもしてやったらどうか、せいぜい哀れな悲鳴でも上げてやるのだ。もういっそのこと、その悲鳴で帝も殺してしまってもよいな」
「茶化すな、・・・しかし、死体が残らぬのは不味かろう」
「人間にそこまでしてやる義理はなかろう」
三郎狐は酷薄そうにコンとひと鳴きした。鵺はちろちろと三郎狐を見遣る。
「なんだ、」
「いやさ、お前は変化の達人であったよなあと思って」
「俺は嫌だぞ」
「一生の頼みだ」
「馬鹿な、人間ごときに一生ぶんの頼みなんかするんじゃないよ。俺は絶対に嫌だ」
「九尾の、頼む、この通りだ」
鵺は蛇で出来た尾をだらりと下げて頭を垂れて頼み込んだ。三郎狐は嫌な顔をした。三郎狐は冷酷でものの好悪が激しい。たいていは大嫌いなもののなかで、数少ない好きなものに対しては、途端に弱くなる。三郎狐はついに、
「一晩ばかりだぞ、せいぜいお前の死体でも真似してやったらよいのだろ!」
とやけくそ気味に叫んだ。鵺はありがたいありがたいと何度も頷く。
「まったく、礼ははずめよ!」
と甲高く鳴く姿さえ鵺には可愛らしく見える。結局お前は優しいのだ、と言おうとしたが、そんなことを言えば臍を曲げて口を利いてくれなくなることが目に見えたので、黙ってにこにこと微笑んだ。