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よいこわるいこふつうのこ

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だって夏はこれからだから

26 日焼け(佐吉女体化)


清潔的で機能的な大手予備校の教室には、ずらずらと並べられるだけ並べられた縦長のテーブルをびっしりと蠢く頭が埋めている。窓の外を見ても、高い高架を走る線路と電線が見えるだけだ。空調の効き過ぎたなかに一日中押し込まれて、さすがに肌が粟立つ。佐吉はバッグから長袖シャツを取り出すと、他の邪魔にならないようにひっそりとそれを着込んだ。
理数の成績はずっと伝七に負けていなかったのに、先だっての外部模試では生物で点を抜かれてしまった。伝七は文型選択だから、生物はサブ教科のはずなのに。正直、焦る。佐吉はシャープペンシルのへりを前歯で軽く噛んだ。それから、はっと我に返って慌てて黒板にぶつけられるエネルギッシュな講師の授業に集中した。『一日一日の積み重ねが勝利を招く!』黒板の上にでかでかと掲げられたメッセージに、知らず溜息が漏れる。夕方からは、伝七といっしょにとった別の塾の講義がある。昼にもうひとつ、他塾の夏期講習に通っていることを、どうしても伝七に言い出せず、結局秘密で通っているかたちになってしまった。でも、いわないだけで伝七もきっともうひとつかふたつ、塾に通っているのだろう。伝七は親友で、ライバルだ。刺激的でいっしょにいて楽しいし、成長できるけれど、時々疲れる。
夕方からの塾に移動するには、まだ少し時間があった。いつもなら自習室で勉強をして時間をつぶすのだけれど、今日はそんな気になれず、ぶらぶらと街へ出た。寒すぎる校舎から一歩踏み出せば、湿気をはらんだ熱気が佐吉を包んだ。ぽかぽかする。そうしてそのうち、じっとりと汗をかき始めるのだろう。どこか店に入ろうかと思いつつ、そんな気になれない。とぼとぼ歩いていたら、だんだん気分が悪くなってきた。スクランブル交差点で人に押し合い圧し合いされながら流されるようにして歩いていたら、つまずいて転んでしまった。ああ、もう、なにをやっているんだろ、情けない。立とうとしたら、予想以上に自分の体が重くて、自由が利かなかった。びっくりして呆然としたまま交差点の真ん中でへたり込んでしまう。アスファルトが熱い。ブッブーと苛立ったようにクラクションが鳴らされる。いけない、ほんとに、立たなきゃ。白んだ意識で強く思いながら、のろのろと立ち上がる。信号が赤に変わっていて、周りには誰もいなくて、驚いた。立とうとしたら膝が笑っている。人々が口々に何か言うのがわかったが、何を言われているのかわからない。あの、立てないんです、助けて。声を出そうとして、咽喉がからっからに乾いていることに気がついた。
(水が欲しいなあ)
そう思って、ひどく疲れたので瞳を閉じたら、脇からぐいっと身体を持ち上げられたのがわかった。
「すいません、あの、」
「立てる?」
「お水が・・・ちょっと、気分が悪くて、すいません」
「謝らなくていいから、さき」
さき、と呼ばれて、ホッとした。佐吉のことをこんなふうに呼ぶのはひとりだけだ。危なっかしいけど、頼りになるひとだから、そのひとに助けられたんだったらもう大丈夫だ。佐吉は遠慮なく意識を手放した。
気がついたら、どこかの公園の日陰にあるベンチに寝かされていた。慌てて起き上がったら、頭がくらくらした。誰が助けてくれたのだろう、人前でえらい醜態をさらしてしまった。息をついて手元のバッグを持ち上げる。財布も携帯もどうやら手はつけられていなかったようで、ホッと胸をなでおろす。あたりを見渡していたら、向こうから男の子が駆け寄ってきた。見知ったひとだった。
「おーい、佐吉!」
団蔵は両腕にいっぱいペットボトルを抱えて駆け寄ってきた。
「気がついたんだ、具合どう」
「やっぱり、団蔵が助けてくれんだ。ありがと」
「ほんとに偶然でさあ、信号待ってたらどうもみんな騒いでるだろ、みたら佐吉が真ん中でぶっ倒れてるんでびっくりした」
「熱中症かな、突然気分が悪くなっちゃって」
「どれが好きか知らなかったから、買えるだけ買ってきたけど・・・好きなの好きなだけ飲んでいいよ」
団蔵は佐吉の前にペットボトルを並べていく。熱中症なら生理食塩水がいいのだろうな、と佐吉はポカリを手に取った。
「びっくりした。熱中症って初めてだった」
「太陽になれてないんじゃん?夏なのに、なんでそんな真っ白なの」
「ちょっとは焼けたけど」
「どこが!俺なんか、見ろよ、真っ黒」
団蔵がぬっと腕を突き出してくる。面白いくらいに真っ黒で、佐吉は目を丸くしてじっと見つめた。筋肉が張って、触ると固そうだ。無意識に指でつついていたら、団蔵がくすぐったいような表情で、「あのさ、虫触るようなやりかた、やめて」と言った。
「あ、ごめん。珍しくて」
「何が、日焼けが?」
「日焼けっていうか・・・日焼けした、男の、子?」
自分でもよくわからなかったから語尾が疑問系になってしまった。団蔵はからりと明るく笑って、「まあ確かに、い組の男は日に焼けなさそうだよな」とにやにや笑った。
「佐吉、夏休み何してんの」
「塾」
「好きだねえ」
「別に、好きじゃないけど」
「毎日塾あんの」
「うん」
団蔵は眼を丸くして、それから、好きじゃないと続かないよ、そんなん。と言った。佐吉は、そういわれて、好きなのかな、と考えてみる。私は勉強が好きなのかな。よくわからない。だけど、勉強をがんばっておかないと、目指す夢に近づけないから。だけど、こんなにがんばって、将来のために毎日を消費して、じゃあ佐吉の15歳はどこにあるのかなって思ったりもするのだ。未来の自分をつくるための今だけじゃなく、今のための佐吉は、どこにいるのかなとたまに思ったりするのだ。
「佐吉、夏休みなんか予定あるの」
「別に。おばあちゃんは一緒に住んでるし、近所にお墓参りに行くぐらい」
「しけてんなあ」
「うるさいな!」
佐吉はガツンと団蔵の足を蹴った。団蔵は痛い痛いと大仰に痛がって、それから、「でもまあ、俺も似たようなもん。父ちゃんの仕事手伝うばっかでさ、なんにも予定はいってないんだ」といってにっかり笑った。団蔵の実家の仕事は、配達業だったはずだ。じゃあ、腕の筋肉も、日焼けも、炎天下の中汗をかき続けた結果か。
「どっか行きたいんだよなあ」
「行けばいいじゃん」
「じゃあ、佐吉、海行こうぜ」
「なんで私が団蔵と行くの!?」
「別に伝七誘ってもいいけど。でもあいつ、俺のこと嫌いっぽいからこなさそうだけど」
「私、いい。行かない」
「山のほうがよかった?」
「そうじゃなくて!」
団蔵が二本目のペットボトルに手を伸ばした。佐吉は一本目をようよう飲み終える。それを見計らったように、団蔵がぐいっとお茶のペットボトルを突き出した。
「ほら、さき、二本め!」
団蔵が佐吉をさきと呼ぶときは、いつも有無を言わせない。乱暴で、命令口調になる。
「これ以上飲んだらおなかがたぷたぷになる」
と弱弱しく反論すると、「さきははもうちょっと水分とったほうがいいんだ。ゆっくりでいいからちゃんと飲め」とぐいっと押し付けられた。仕方がないから受け取って、キャップを開ける。団蔵ががぶがぶとペットボトルの水を仰ぎ飲んだ。
「別に俺とが嫌なら、誰とだっていいんだ。だけど、佐吉、ちゃんと遊んどいたほうがいいぞ」
「どうして」
「わかんないけど。でも、父ちゃんも清八も俺に言うからさ。大人って、思ってたほど大人じゃないんだってさ。だから、未来のために、なんて思って、そればっかりに苦労してるとあとからあれもしたかったこれもしたかったって結構後悔する、らしい」
「よくわかんない」
「うん、俺も。よくわかんない。だけど、佐吉と話してたら、なんとなく父ちゃんにいわれたこと思い出してさ。言っただけ。えらそうでごめん」
団蔵はこういうことを惜しげもなく言ってさらりと謝ってしまうから、駄目だ。人に、恨ませない絶対的な力をもっているから。
「山なら、行ってもいいよ」
「そっか、じゃあ、山行くか」
団蔵が言うので、佐吉は、うん、と素直に頷いていた。時計を見たらとっくに電車に乗らなきゃいけない時間だったので、慌てて立ち上がった。遅刻すると思って走ろうとしたら、「歩いて行け」といわれた。「さき、そんなん遅れてもいいからゆっくり歩いてけ」
「うん」
団蔵はすぐ、命令する。えらそうなのに、嫌いになれない。素直にしたがってしまうのは何でだろう。
「佐吉、山、楽しみだな。また計画立てておくから」
「うん」
「勉強がんばれ」
団蔵が大きく手を振って送り出した。恥ずかしいからやめてって思ったけれど、心のどこかで嬉しいって思った。小さく手を振り返したら、団蔵がにっこり笑ってくれた。それだけのことが嬉しい。夏は夕方になってもなかなか日が沈まないから、どこまでも白んだような景色のなかで、佐吉はゆっくりと夕焼けを待った。
明日は、空き時間に、服を見に行こう。それから、パンフレットも、探そう。いいのが見つかったらいい。なんだかうきうきと明日を待つ気分に、らしくないと15歳の佐吉がはにかみ笑いを浮かべている。
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リトル・バイ・リトル

30 宿題(伊助女体化)


夏休みに入ってから、毎日庄ちゃんと電話している。
そう話したら、乱太郎は、すごい、と大げさに驚いてみせて一言言った。
「すごいって、そうすごくもないんだよ」
伊助は昼飯の素麺を湯がきながら、首で携帯を挟み込みながら器用に会話を続けている。学園は寮生で、色んな場所から生徒たちは通ってきているから、夏休みになると途端に会いたくても会えない人が増える。だから、学園の生徒にとって電話の存在は非常に貴重だ。
「だって、毎日話してるなんて、恋人みたい」
「あはは、残念。そんなロマンチックなもんじゃないよ。あのね、宿題のわかんないところ聞いてるの」
夏休みがはじまって初日に、いきなり難しい問題にチャレンジした。これは、土井先生がスペシャル問題だぞと嬉しそうに言っていたやつで、解けたら今度の期末テストで5点追加してやると宣言した。きり丸が手を上げて、じゃあ期末が満点だったやつは105点ですかと尋ねたので、土井先生は鼻白んだ表情を浮かべて「そういう質問は一度でも満点を取ったやつがするもんだ」と言ったので、みんなで笑ったのだった。
どれくらい難しいのかと興味本位で問題を開いたら、シャーペンの活躍がまったくないままに15分がゆうに超えるほどの問題だった。どうしても解いてみたくなって、庄ちゃんに電話した。彼なら、絶対この問題に眼を通し終えていると思ったから。尋ねたら、やはり難しくて唸っているというので、ふたりして問題についてあれこれ一時間半も喋ってしまった。電話を切る頃になって、庄ちゃんが、解き方がわかったらまた電話するね、と言ったので、伊助はこれはチャンスと思って「あのね、それもいいけど、宿題でわからない問題があったらまたこうやって電話してもいい?」と強請ったのだった。
これは大変いい法だった。なにせ、庄ちゃんと喋れるうえに、いいわけづくりのために毎日勇んで宿題をこなすのだ。去年まで夏休み最終日ちかくまで宿題をないものとみなして放っておいたことを思えば、これはまったく充実した日々だと言えよう。そうして夜ごろになって、わからなかった問題と、くだらない世間話をして、寝る。
そうこうしているうちに、庄ちゃんが驚くべき提案をした。「もうすぐ宿題が終わりそうだ、後はあの難しい問題だけ」と告げた伊助に、
「あの問題、僕のうちに来ていっしょに解かない。そのほうが、電話で話しているより効率がいいしさ。どうかな、僕んちに泊まりにきなよ」
と言ったのだ。伊助はほんとに驚いた。だってまさか、庄ちゃんのうちにお泊りだなんて!?絶句する伊助に、庄ちゃんは、慌てて言い差した。
「あの、ちゃんとうちの家族がいるから大丈夫だよ。・・・いつもの仲の良さでつい簡単に提案しちゃってけど、よく考えたら女の子に対して、うちに泊まりにこいだなんてすごい提案しちゃったな。ごめんね、あの、無理だったら断ってくれてかまわないから」
「う、ううん、行く!」
勢い込んで伊助が答えると、受話器の向こうで、庄ちゃんがホッとしたみたいに息をついて笑うのがわかった。
「うちの家のあたり、観光名所もいくつかあるんだよ。伊助、京都の洛北って来たことある?」
「ううん、ない。市内しかない」
「そっか、じゃあ、案内するね。観光旅行だと思って気楽にきなよ」
電話を切ると、伊助は慌てて旅行鞄をクローゼットの奥から引っ張り出した。いくつかあるうちの一番かわいいものを選んだ。使い勝手なんて二の次だった。それから、クローゼットの服を次々引っ張り出しては吟味して、着ていく服を決めた。いつもジーンズばっかりなのだけれど、すごく悩んでからこの間兵太夫に選んでもらったミニスカートをはいていくことにした。それからパジャマを選んだ。夏はいつも色気のないTシャツと短パンで寝るから、手ごろなかわいい夏のパジャマがない。
「おかーさん、夏の、パジャマ、買ってくる、かわいいやつ!」
と叫んで財布を引っつかんで表に出たら「なに、どうしたの、」とつられて慌てたような母親の声が追ってきた。
ひとりの旅行は初めてだ。向こうに着いたら、庄ちゃんが待っててくれているわけだけど。鞄に宿題となけなしのお小遣いも詰め込んで、電車に乗った。通勤ラッシュで途中まで押しつぶされそうで大変だった。ようやく田舎のほうにきて電車がすいてくると、携帯に庄ちゃんからのメールが入っていたことに気がついた。
『ここまで気をつけてきてください。ついたら連絡をしてね』
相変わらず、顔文字一つない几帳面な文章だ。それでも伊助は嬉しくて、にへにへしてしまう。向かいに腰掛けた品のいいおばあちゃんが「いいわねえ、お出かけ」と尋ねたので、「旅行です。あの、遠くの友達のところに行くの」と答えたら、眼を細めてもう一度「いいわねえ、きっと大切な人のところへ行くのね」と繰り返された。
京都駅からは電車を乗り継いで洛北まで行った。山のほうで、緑がすごく綺麗でいいところだった。終着駅では、庄ちゃんが待っていた。
「いらっしゃい。荷物持つよ」
伊助はお礼を言って一番軽い荷物を渡した。そうしたら、庄ちゃんはそれを受け取ってから、重い旅行鞄もいっしょに奪ってしまった。
「あ、じゃあ、軽いのは自分で持つ」
「いいよ、両方とも僕が持ってく」
「でも重いから」
「軽いよ、このくらい」
「・・・ありがとう」
女の子扱いされていると思ったら、なんだか胸の辺りがむずむずして、恥ずかしくて俯いてしまった。お礼なんだから、まごまごしたりせずにちゃんと言えたらよかった、と伊助は後悔した。
「じいちゃんが、鮎を食わせるってはりきっちゃってさあ。鮎は好き?」
「うん」
「じゃあよかった」
庄ちゃんの家は駅から、新緑のゆるい坂道をずっと登ったところに会った。黒い品のいい木造の家で、格子窓や瓦屋根がちゃんと残っている昔ながらのお屋敷だった。門をくぐったら大きい蔵があったのでぼうっと見上げていたら、「それは炭蔵、」と教えられた。
「つくった炭が入ってるんだよ」
「すごい広いんだね」
「うん。まだ焼く前の薪も入ってるから」
庄ちゃんがただいまーと声を上げて引き戸をひいた。広い玄関に上品な感じのお母さんが出てきて笑顔で応対してくれた。家の中は夏なのにひんやりして、白檀のいい匂いがしていた。庄ちゃんが育ってきた家だな、と伊助は納得した。すごく、庄ちゃんらしい雰囲気の家だった。凛として涼しい。
奥座敷に案内された。畳敷きの床にふかふかの座布団を引いてくれて、そこに座った。ちょこんと正座をしたら、「足がしびれるからくずしていいよ」といわれた。それで、お尻をぺたんとつけて座ると、庄ちゃんのお母さんの持ってきてくれた冷たいほうじ茶を飲みながら、夏休みの宿題を出して二人で解いた。友達とやる宿題なんてすぐにおしゃべりに取って代わってしまってなかなかはかどらないものだけれど、庄ちゃんとやるとすごく静かな時間が続いた。ふたりして真剣にノートと向き合って、でも伊助は集中力が途切れるとひそかに顔を上げて、向かいの庄ちゃんの顔を観察した。眉がきりっとしていて、ぎゅっと真一文字にひいた唇が、ある。見るからに生真面目で、意志の強そうな、顔だった。ちりん、と風鈴がなって、庄ちゃんが顔を上げた。
「解けた?」
「ううん、難しい。全然駄目」
「途中までは、わかったのにね」
「この先が難しいよね」
夜になったら、宿題をした奥座敷に布団を引いてもらった。おじいさんが蚊帳をつってくれるというので喜んだら、庄ちゃんはクーラーはあるのにって苦笑した。だけどクーラーをつけなくてもちゃんと涼しかったので、蚊帳はそのままにして窓を開けて寝ることにした。蚊取り線香の匂いが懐かしかった。庄ちゃんは、自分の部屋で寝るつもりみたいだった。だけど、ふたりして蚊帳の中に入って話し込んでいるうちに、すっかり夢中になってしまって、庄ちゃんは「二階に上がるの面倒くさくなった」といって、押入れからタオルケットを出してきて、自分の腹にかけて、寝転んでしまった。
「なんにもしないから、ここで寝ていい?」
「もちろんいいよ」
言ってから、伊助はおかしくなって笑ってしまった。
「どうしたの」
「だって、なんにもしないって、わざわざいうんだもん。庄ちゃんが何にもしないことぐらい、ちゃんと知ってるよ」
庄ちゃんはちょっとむっとしたみたいだった。
「だって、僕だって、男だもの」
それから伊助のほうをむいて、手を伸ばした。伊助は逃げなかった。伊助の腕をぎゅっと掴んだ。庄ちゃんの体温はびっくりするくらい熱かった。
「男だから、こういうこと、したいって思ってるんだよ、ほんとは」
伊助はびっくりして、何もいえなかった。庄ちゃんはごめんね、といって起き上がると「やっぱり上で寝るね」と言った。伊助は、固まってしまったみたいに動けなかった。庄ちゃんに隣にいて欲しいのか、上にいって欲しいのか、よくわからなくなってしまった。涙が出そうだと思った。伊助がぱちぱちと瞬きを繰り返しているうちに、庄ちゃんは蚊帳から出ていてしまった。
風鈴がちりんと鳴った。
伊助は、しばらく目を閉じていたけれど、眠れないと思って、携帯を取り出して庄ちゃんに電話をかけた。庄ちゃんはちゃんと出てくれた。布団にもぐりこんで、家族の人を起こさないように声を潜めた。
「あの、さっきはごめんね」
「伊助が悪いんじゃないよ」
「庄ちゃんも、悪くないよ」
「・・・」
「ねえ、眠れないよ」
「僕も眠れない」
「下に来て。いっしょに寝よう」
それから庄ちゃんが来てくれるのを待つわずかの時間の間、伊助は、庄ちゃんも自分も宿題をいいわけにしたりして遠回りしているとおもったらおかしくなった。不器用で、へたくそで、かわいい恋だ。

桃の匂い

23 汗(タカ丸女体化で、優タカとも久々タカともとれぬなにか)


帰宅した途端高熱が出て寝込んでしまった。初めてですべてがわからないことだらけの生活から、とにもかくにも一時的に開放されて、緊張の糸がぷっつりと切れてしまったのだろうというのがお医者さんの見解。店に出て父さんの手伝いをすることを楽しみにしていたのに、貴重な夏休みを一日中ベッドの中で過ごすことになってしまった。
「私は今日は出張で外に出なきゃならんのだが、お前一人で平気かい」
布団を被ってめっそりとため息をつくタカ丸に、父親が声をかけた。タカ丸は布団からこっそりと顔を覗かせて、「らいじょうぶ、」とろれつの回らない口調で言った。
「熱は何度だった」
「んと、38度6分」
「高いね」
「ごめんらさい」
「別にお前が謝ることじゃあないさ」
額に乗せた氷嚢を、父親が取り替えてくれた。そこまでは覚えている。薬が効いてきたのかうとうとと白む意識の向こうで、「どうしようか」とか「やっぱりひとりは心配だな」とか呟くのに、大丈夫大丈夫と返していたような、いや、返そうとした記憶はあるけれども、果たしてちゃんと言葉になっていたかどうかは怪しい。間も無くタカ丸は寝入ってしまった。
夢を見たような気がする。初夏の頃に仲良くなった、年下の先輩の夢だ。「熱を出したって?まったくしょうがないなあ、あんたは」とちょっと面倒くさそうにため息をつく。それから、「何かして欲しいことありますか」と聞いてくれるので、タカ丸は「桃が食べたいです」と答えた。そうしたら彼はまじめな顔して桃をトラックの荷台に文字通り「山ほど」積んで運んできて、タカ丸は瞳を丸くして驚いた。久々知くんはすごくよい人だなあと思って、それを思ったまま告げたら、彼はやっぱりむすっとした表情で「病人に優しくするのは義務です」と言った。そういう夢だった。
ぱちりと目を覚ましたとき、ひどく咽喉が渇いていたので、ああ、夢の中の桃はおいしそうだったと思って思わず「桃・・・」と呟いていた。そうしたらひょっこり顔を覗き込まれたので、タカ丸は今度こそ本当にびっくりした。
「桃が食べたいの?」
「うあ!」
目の前にぬっと現れた顔は、父親じゃなかった。すごく会いたくて会いたくてたまらないけれど、こういうときに会うのはすごく複雑で緊張を強いられる男の人だった。
「ゆ、ゆ、優ちゃん!」
タカ丸が慌てて布団を頭から被ると、優作は朗らかな笑い声を上げた。
「驚かせてごめんね」
「なんでここにいるの!?」
「うん、君が熱を出しているって君のお父さんから聞いてね」
「お、お父さんが優ちゃんに電話したの!」
「うん、ほら、うち今日は定休日だから」
ちょうどよかったと優作が笑うのにタカ丸は布団から真っ赤な顔を覗かせていった。
「せっかくのお休みにごめんなさい」
「いいんだよ、そんなことは。どうせすることもないしね」
にこにこと微笑む優作は相変わらずとても優しい。タカ丸が寝ている間にいろいろと甲斐甲斐しく働いていてくれたらしい。タカ丸のベッドの横に配置されているテーブルには、ポカリスウェットだの体温計だの薬だの果物だのがきちんと用意されていて出番を待っていた。その横に、タカ丸が寝ている間暇つぶしで読んでいたらしい文庫本がおいてあった。それは。優作が学生の頃から好きだった藤沢周平で、タカ丸はやっぱり優ちゃんは優ちゃんだなあとぼんやり思う。文字を読むときだけかける眼鏡をはずして、優作は、「熱を測ろう」と体温計を渡してくれた。タカ丸はそれを受け取って布団のなかでごそごそと脇に挟む。勇作が不意にくすりと笑って、指先でタカ丸の頬に微かに触れた。
「ほっぺた真っ赤だよ」
タカ丸はそっと眼を閉じる。「帰ってきてすぐ熱が出てしまって、かわいそうだね。ゆっくりやすみなさい」と汗で濡れて額や頬にぺったりと張り付いた髪を、かき上げてくれた。頬が赤いのは、身体がカッカするのは、絶対に熱のせいだけじゃだけないと心のうちだけでタカ丸は呟く。それから、ここにいない父親に文句を言った。私、女の子なのに。女の子なのに、どうしてひとりでいるときに優ちゃんに看病を任せるの。なにかあったらって父さんは思わないの。なにかあってほしいって娘が考えたらどうするの。なにかあっても、父さんはいいの。優ちゃんなら、いいの?
こんなひどい話ってない、とタカ丸はぐったりと疲れた意識でそう考える。
高い電子音を立てて体温計が鳴った。熱は少しも下がってなかった。
「何か食べる」
「・・・何にも。食べたくない」
布団にこもったまま弱弱しくタカ丸が答えるのを聞いて、優作は気の毒そうにため息をはいた。ふうふうと息を吐くタカ丸の熱のせいで茹で上がったみたいに真っ赤だ。クーラーはつけてあるが、身体に障るといけないから高めに温度設定がしてあって、とくに涼しさが体感できるわけでもない。真夏日に布団を被って寝ていなければいけないことを考えるだけでも、可哀そうで仕方がなかった。美容師の腕だけでも十分食べていけるだけの技術を身につけたのに、いまさら新しい勉強がしたいといって、タカ丸は街を出て行ってしまった。出来は悪いけれど向上心はある妹のように、タカ丸の決心を全力で応援したい気持ちはあるけれど、こんなふうに負担が高熱となって少女を苦しめているのを見ていると、つい、「なぜ」と詮無い思いが浮かぶ。なぜ、この手から離れていこうとするの。か弱いだけの、守られるために生まれてきた雛のような子だったら、手のひらに包んでどこにもやらないのに。けれど、そんな思いも所詮は優作のわがままだ。飛び立とうとする鳥を縛り付けるような真似をしてはいけない。
またタカ丸は眠ってしまったようだった。優作は時計を見ながら、ふと先ほどの彼女の寝言を思い出す。そうか、桃。桃なら食べられるかもしれない。
タカ丸はまた夢を見た。どうしようどうしようと焦っているところを、また、久々知に出会った。「何を慌てているんですか」「優ちゃんが着てくれたのにパジャマなの!」どうしようどうしようと縋ったら、久々知はなぜだか魔法使いの格好をして、紺色のローブに樫の木の杖を振り上げて「ちちんぷいぷい」と例のぶっちょうづらで言った。そうしたらタカ丸の汗まみれのみっともないパジャマは素敵な桃色のドレスに変わったのだった。「わあ、素敵!」手を打って喜んだら、久々知は、「12時までに帰ってきてください」と真剣な顔で言った。「絶対に12時までに帰ってきてくださいね」なんだかシンデレラのような話だ。12時までに帰らなかったらどうなるのだろうとタカ丸が思ったら、久々知はちょっと悲しそうに言った。「別に、どうにもなりませんよ。俺がさみしいだけです」
起きたら優作が消えていたのでタカ丸はびっくりした。優ちゃんを見たとき、あんまりびっくりして慌ててしまったから、優ちゃんは自分はいないほうがいいと思って、帰ってしまったんだろうか。大変だ、大変だ、とタカ丸はふらふらベッドから起き上がると、階段を下りてリビングへ行った。部屋はしんと静まり返っている。空っぽの暗い部屋を見ていたら、なんだかすごく寂しくなってしまった。母さんが死んでしまったときの夜みたいだと思った。父さんはタカ丸が寝ている間に病院に行ってしまって、夜中にひとりで目が覚めたとき、怖くて怖くて寒いリビングで暖房もつけずにずっとしゃがみ込んでいた。お母さん、お父さんっていくら泣き叫んで名前を呼んでも、誰も返事をくれなかった。クリスマスの夜だった。人生のうちでサンタクロースの来なかった最初で最後の夜だった。
トイレとかお風呂とか庭とか、ふらつく身体で必死に探し回っていたら、ガチャリと玄関の音がした。タカ丸が慌てて走り寄ると、優作がスーパーの袋を提げて入ってくるところだった。
「優ちゃんどこ行ってたのお!」
と責めるように名前を呼んだら、それがあんまり涙声だったんで自分でびっくりしてしまった。優作はぎょっと驚いた表情をしたけれど、しがみ付いてくるタカ丸の身体を抱きしめてあやすように背中を叩いた。
「ごめんね、買い物に行ってた」
「起きたらいなかったから、帰っちゃったかと思った」
「携帯で確認してくれればよかったのに」
「あ」
タカ丸はごしごしと乱暴に涙をぬぐった。鼻を啜ってから、「思いつかなかった」きょとんと呟いた。
「だいぶ熱が引いたみたいだね、さっきほど身体が火照ってない」
桃をむいてあげよう、と優作が自慢げにポリ袋からまるい桃を取り出した。
「ベッドに戻って待ってておいで」
「ううん、ここにいる」
「それなら何かはおらなきゃ駄目だよ」
優作はきょろきょろとあたりを見遣って、ダイニングチェアにかけてあるタカ丸のカーディガンを手渡した。それをいそいそと着込んで、キッチンで優作が桃をむいてくれるのを、タカ丸はじいっと見ていた。男っぽい節くれだった指に桃の汁が滴って落ちる。パジャマだし、髪はぼさぼさだし、病み明けで顔色はよくないし、とんでもないところを大好きな人に見られてちょっと散々だったなと思う。優作に看病されるのは、初めてでもないのに。手慰みに寝乱れた髪を手櫛で整えながら、タカ丸は桃のむけるのをじっと待った。
「また夏休み明けにね」って挨拶したときの久々知の笑顔とも哀しみともつかないなんともいえない表情を思い出しながら、大人になると、どんどんうまく言葉に出来ない想いが増えていくんだなあと思いながら、じっと。

バトンと妄想

強制バトン だそうです。

*指定された人見た人は必ずやること!
だそうですが、別にやりたいひとがやればいいとおもいますよん。

1.最近思う〈竹谷〉
つくづくかわいいなこいつ。
とても常識人でいい人のような気がしてならない。

2.こんな〈竹谷〉には感動!!!!
がんばれーがんばってくれーの手の小ささ。
なにこいつ五年生のなかで一番幼児体系なんじゃないの。
なのに性格が体操のお兄さん(さわやかで面倒見がいい)なところ。

3.直感的な〈竹谷〉
かみのけやきそば。
ガタイのいい男前お兄さんタイプ。でも、アニメ見ているうちにこいつはどうも違うぞと思い始めた。

4.好きな〈竹谷〉
きがつくとこどもとちょうちょに囲まれている竹谷。

5.こんな〈竹谷)は嫌だ!
がきうぜえ。まじめんどくせえ。虫きもい。

6.この世に〈竹谷〉がなかったら・・・
久々知「泣いてしまうだろう」

7.次に廻す6人(キャラ指定付きで)
やりたい方やってください。ただしキャラ指定は伊助で!伊助を空気と呼ばないでくれ!

***

生物係の「青い鳥(要英訳)」を聞いていたら、5年の女体化テニス妄想が浮かんできて駄目だった。パワーファイターはふつう竹谷に設定するところをあえて久々知で押したい。久々知は一番幼児体系で背も低いんだけど、テニスの天才で両手でラケット握ってめちゃくちゃ力強い球を打ってくる。モブに、「い、今ガットがすごい音立てたぞ・・・(ごくり)」とか驚かせたい。ライバルはイギリスウィンブルドンからの帰国子女斉藤さん。金髪色白の超絶美少女。お嬢様校で名高い4年生高校に通っている。性格がすごくいい人なので、久々知が街で会うたび「ライバルとは口利きません!べーだ。ばーかばーか、いひひ!」と笑って行ってしまうのを悲しんでいる。<久々知は少しあほの子かもしれません。
竹谷は髪の毛が焼きそばだけど明るくていい子。試合で点が入るたび満面の笑みで「よっしゃー!」ってガッツポーズするからファンからスマイルちゃんと呼ばれている。貧乳のことを言われると言葉に詰まる。でも、テニスを教えてくれた近所の留兄は、「ま、貧乳のほうが動きやすくていいんじゃないか?」とよくわからない慰めをくれる。留兄にボディマッサージしてもらう時間が人生で一番幸せなとき。

***

ふう。じゃ、仕事やるか。

いつか忘れてしまう

09 部活(三治郎女体化


お母さんは私にピアノとか、お習字とか、お料理とか、お裁縫とか、女の子らしいことをいっぱいやらせたがった。私は本当は、スポーツ観戦とか、男の子と一緒に外で動き回ることが大好きで、特に野球なんて見るのもやるのも大好きだ。だけど私が泥だらけになって帰ってくるとお母さんはいい顔をしないので、私は大人しくスカートをはいてピアノレッスンに通っておく。
小学校の頃、強い少年野球チームがあるというんで、自分で何度も頭を下げて入団をお願いして、入れてもらった。虎若とはそこで知り合った。お母さんは女の子がそんな、と卒倒しそうになっていたけれど、私にとってはいい思い出だ。お前は筋があるよと監督(虎若のお父さん)がことあるごとにまじめな顔で褒めてくれた。筋があってもそれを発揮する機会は、女の私にはもちろん与えられていないんだけれど、それでもどんなにか嬉しかった。炎天下の中筋トレのためにグラウンドを何十週も走らされ、背中で「おら、どうした、速度下がってるぞ!」なんて挑発されるのも、お母さんは児童虐待みたいとか野蛮で嫌とか言っていたけれど、私にとっては本当に楽しい思い出だ。
学校の部活は吹奏楽に入った。真夏の音楽室は窓を開け放っても茹った温泉に浸かっているようで地獄だった。グラウンドでは高い音を立てて毎日野球部が練習している。それを窓から見下ろしながら、私は、いいなあって思う。どうして同じ練習でも、炎天下での野球は楽しそうで、室内で楽器吹いているのをこんなに退屈に思っちゃうんだろう。
帰りにグラウンドの脇に立ってぼんやりと野球部の練習を見ていた。中休みになって、気づいた虎若が駆け寄ってきた。
「三治郎!どうしたの、部活?」
「うん」
「吹奏楽だったよね。練習はどう」
「うん、まあまあ」
楽しいっていえばよかったのに、野球部を前にして(野球やりたい)って気持ちが前に出ちゃって、どうしてもその一言が出てこなかった。虎若は眉をハの字にして、ちょっと困ったみたいな顔をした。野球をやりたくても出来ない私の気持ちを慮ってくれているのだろう。虎ちゃんは優しくっていい男だ。
「楽しいよ」
と私は笑顔で言いなおした。
「そう、それならよかった」
虎ちゃんは生真面目に頷いた。
「少し振ってく?」
「でも、部員じゃないし」
「今中休みだし、誰が振ったっていいじゃん。な、振ってけよ!」
虎若はわざと男友達にするみたいな言葉遣いで私の背中をばしばしと叩いた。それから、制服に泥がついてしまったことを顔を真っ青にして謝った。
「いいのいいの、気にしないで」
「でも、三治郎のお母さんがまた怒るよね」
「転んだってことにしておく」
「背中から?」
「あ、」
久しぶりに握ったバットは手に良くなじんだ。気持ちのいい重さだと思った。虎若が球を投げてくれたので、思いっきりバットを振ってそれを叩いた。カーン!と気持ちのいい音がして、球は青空に吸い込まれていく。
それから、虎若の練習が終わるのを図書室で待って、一緒に帰った。
「驚いた。全然勘が鈍ってないんだね」
「内緒でバッティングセンター行ってるから」
「え、本当。俺も時々行くから、誘ってくれたらよかったのに」
「うん」
私は汗で濡れた髪を指で後ろへ流した。剥き出しになった首筋に夏風がさやぐのが気持ちよかった。虎ちゃんが、私たちが抜けたあとの少年団野球がどうなっているかとか、中学の野球部はどうだとかそんな話を一生懸命はなしてくれるのをうんうんと相槌を打ちながら聞いていたら、ふいに虎ちゃんは言葉を失ったようにぴたりと話すのをやめてしまった。
私はびっくりして、虎ちゃん、って声をかけたら虎ちゃんは、何度か瞳を瞬かせて「ごめん」と言った。なにがごめんなのか私は全然わからなくて、首を傾げたら、虎ちゃんはもういちど私に向き合って「ごめん」と頭を下げた。最初のごめんは、無意識に出てしまったみたいなぽろっと零れたようなごめんだったけれど、今度のは、ゆっくりはっきりと噛み締めるようにして言われた。
「何、なんのこと」
私は嫌な予感がした。謝られるのは、謝るのと同じくらい、勇気がいる。許すか許さないかじゃない。そんなことはもう、結論は決まっている。私が虎ちゃんに関して許さないことなんて、ひとつもない。私のなかで虎ちゃんはいつだって正しい。絶対に間違わない。
「あの、手紙の、こと」
「ああ、うん」
来たな、と私は思った。あの一件以来、伊助がすごく落ち込んでしまって、やっぱり今の虎ちゃんみたいに「ごめんね」ばかり口にするし、私のほうまで恐縮してしまって大変だった。なんだか、私わがままな恋をしてしまったみたいで申し訳ないなあと兵太夫に零したら、兵太夫だけは私のちっぽけで無意味な感傷なんか吹き飛ばすように笑って、「いいじゃん、わがままで。恋ってそういうもんでしょ」と言った。兵太夫はやっぱり強い。物事の本質を絶対に見失わない。
「俺、三治郎の気持ちに応えられない。あの、好きな子がいるんだ。俺なんか、見向きもされてないんだけど、でもどうしても好きなんだ。だから、ごめん」
「うん、わかってたからもういいよ。もちろん謝らなくてもいいし、だって、虎若が悪いわけじゃないじゃない」
「でも、」
「伊助のことが好きなんだよね」
虎若が顔を上げた。茹蛸みたいに真っ赤になってた。かわいいな、と私は思った。出来ることなら、かわいいねって言って、世界中の人に、これは私のだよー!って自慢したかった。誰のものにもしたくなかった。
「知ってたの」
「馬鹿にしないで。私がどれだけ虎ちゃんのこと見てきたと思ってるの」
虎ちゃんが誰が好きかわかるくらい、私の眼は毎日虎ちゃんのことを追ってきたのだ。虎ちゃんはほっぺたを真っ赤にして、私を見ていた。試合のあとで、激しい運動をして頬を真っ赤に上気させたまま、「勝ったね」とか「負けたね」とか言いに来てくれた。それから、手を握って、「俺たちがんばったね。次もがんばろう」といってくれた、昔の素敵な男の子のままの表情だった。
「私やっぱり男の子に生まれればよかったよ」
私は呟いてしまった。え、と虎若が不思議そうに私を見たけれど、私は言葉の意味を絶対に説明しないと思った。未練たらしいのは嫌いなのだ。せめて男の子との友達だったら親友ポジション狙えたかもしれないじゃない。なんて、思う自分はなんて負けず嫌いなのだろうとちょっと可笑しかった。
ふたりして家までの畦道をとぼとぼと帰りながら、広がる青々とした水田とか、空とか、点々と続く電信柱とかそういうものを黙ってみてた。とくに何も話さずに、でもそれは全然悪い気分じゃなくて、ふたりして並んで歩いた。それから心の中で、今まで欲しかったあれこれで、手に入ったものと、諦めてきたものを丁寧に思い出しては数えていった。
隣で虎ちゃんもおんなじように思い出を数えているなら、いい。この時間をいい思い出として、やっぱり私が女の子として生まれてしまったことを惜しむみたいにして、少しずつ受け入れていつか全部、忘れてしまうのだろう。それは、かなしいけれど、きっと仕方のないことなんだろう。瞼の奥で、大好きだったいつかの男の子が、
「次もがんばろう」って泥だらけのままほっぺを真っ赤にして、笑っている。

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