②衣装選び、あるいは色彩の海と欲情と
その日、火薬委員の委員会室の床には所狭しと色とりどりの色彩が散らばっていた。
「いちおう、家に頼んだら数十は送ってくれたんですけど」
伊助は散らばった着物を畳みながら、同時に新しい着物をタカ丸に手渡す。今度のは深緋で、燃えるような真っ赤な色が、タカ丸の赤毛といい具合を作り出していたが、いかんせん、いくら敵の目を誤魔化すとはいえ、これでは人の目をひきすぎる。タカ丸は困ったように小袖を羽織った。
「どう」
「いいと思いますよ、よくお似合いです。町娘の格好だと出来ませんが、もしもう少し裕福な家の娘に化けるのでしたら、家から綸子を持ってきてもらってもいいですし」
「綸子はもったいないよ!」
「先輩、着物は着られるためにあるんですよ」
染物屋の息子らしいもっともな台詞だ。タカ丸は苦笑して、足元に落ちていた山吹の小袖を拾い上げる。
「うん、いい色の着物だ。変装で使うのが勿体無いくらいだよ」
猩々緋の袷を羽織り、下ろした髪を漆黒、枯竹、蘇芳などの様々な色で結い合わせた紐でたかく括る。すべてが女物の衣装であるのに、不思議と男としてのタカ丸を鮮やかに引き立たせる、魅せる。さすがセンスもテクニックも一流の髪結いの息子であった。自分を最大限に美しく豪奢に見せるための技術と表現力に優れている。「よくお似合いです」
「女装ではないけどね」
タカ丸は苦笑してひらりと舞って見せた。似合うものに着られるのこそ着物の喜びである。幼い頃から両親にそういわれ続けてきた伊助は、その言葉の意味がようやくわかったと思った。
「子どものころ、母さんの着物を着て街を歩いたことがあるんだ。ホラ、男の着物とは色々と着方が違うだろう、見よう見まねで。多分、色々なところがおかしかった。みんなは笑ったけれど、ひとりだけ似合うといってくれた人がいた。女物の着物が似合う、ということではなくて、艶やかさがとてもよく似合っているねって。だから、それからしばらく女物の着物をどうにかして自分のファッションのレパートリーに入れられないかなってずっと思ってるんだ。男物の着物って、大概が地味で渋いだろう?」
「母上の着物を内緒で着たんですか」
「いや、形見だよ。うち、父子家庭なんだ。父さんがたまに俺は母さん似だというものでね、だったら俺が女の格好をしたら母さんの面影が偲べるのかと思ったんだ。父さん曰く、”てんで違う雰囲気だった”そうだけどね」
いつの間にやらファッションショーの様相を帯びてきた委員会室に、兵助が戻って来たのは夕刻だった。夕陽に赤く燃え上がる薄暗い橙の世界のなかで、華美な恋人と、下級生が無心に戯れている。その色彩の渦に入り込んで、呆れた声をあげた。
「あのなあお前ら、こんなに散らかしやがって」
「あ、先輩おかえりなさい」
伊助は礼儀正しく頭を下げると、タカ丸を振り返った。「タカ丸さんと話してたんですけど、化けるなら未婚の町娘かなあって。タカ丸さん、町娘なら髪結いをやっていた頃によく見ているから仕草も他の女性より知ってるって」
「成る程、いいんじゃないか。一口に女装といったって、どんな女に化けるのかで全然仕草は変わってくる。自分がよく知っている女に化けるのが一番手っ取り早いし安全だ」
兵助が頷いたのに、タカ丸と伊助は手を打ち合って喜んだ。肯定されると、頑張って考えた甲斐があったというものだ。
「さあ、もう着物を片付けてお開きにするぞ」
「はーい」
3人でせこせこと着物を片付ける。
風呂敷いっぱいに包まれたそれを背負って、伊助は退出した。タカ丸の衣装合わせのためにわざわざ染物屋をしている実家から取り寄せたのだった。「伊助、わざわざありがとう」タカ丸が微笑んでもう一度礼を言う。伊助は「いいえ」と照れたように笑って、「タカ丸さん、実習頑張ってくださいね」と手をふった。正月は、礼としてタカ丸に髪を結ってもらうと約束した。そうして兵助を合わせた3人で初詣に行くのだ。そのためにとびきりいい着物を用意しようと、伊助もつい職人気質が出てウキウキした。
取り残された空間に、ふたりは並んで立っている。タカ丸は選び取った着物を着付けたままだ。
「可笑しい?」
「いや、派手目だが、まあ、未婚の女性ならそれもありだろう。後は仕草だな」
「頑張って身につけるよ」
タカ丸が苦笑した。それから隣に立つ兵助の腕にギュウとしがみついて、「兵助くん、今夜は離さないでね☆」と女の子ぶってみせる。その不自然さに兵助はぽかりと後頭部を叩き、「せいぜい頑張れ」と先輩顔で返す。そうしてタカ丸を壁際に追いやって、深く口付けた。手元がするりと袂を割り、入り込んだ指先が肌の敏感なところを撫でる。
(こいつ、)
とタカ丸は思う。慣れていやがる。でもまあそれは自分とて同じことではある。身体を壁に押し付けたまま滑らせふたりして床に倒れこみながら、互いを弄る。
「兵助、欲情した?」
「お前、緋色が似合うな」
「むしゃぶりつきたくなるような美女?」
「美女?それはない」
「ひっどー」
軽口を叩きあいながらも、暴き合いはやめない。ごそごそと目も眩むような色彩のなかで、密やかに繋がりあう。放課後の廊下をぎしぎしと鳴らして渡る生徒たちの足音に怯えながら、ふたりはそれすらもスリルとし、しばらくの快楽の波に溺れた。
にせものかぞくごっこB面。
あややとハッチ。
六年生の入浴時間は遅い。入れるようになったら合図を出すから、それまでは長屋に居ろと指示を受けて、こうして長屋で待っているわけだけれども、宿題はあらかたやり終えて他にすることはないし、ぼんやりと待っていると眠くてたまらない。
「タカ丸、君、風呂入った?」
「んん?まだ入ってない」
文机に頬杖をついてこっくりこっくり舟をこいでいたら、背後で同室の綾部が尋ねた。ぼんやりと、真っ白な頭のままタカ丸は首を横に振る。綾部が首を傾げた。
「もう入る時間ないよ」
「ああ、うん、」
眠たい。話半分で相槌を打つ。綾部は黙ってタカ丸の丸まった背中を見詰めていたが、やがてポツリと呟いた。
「誰か待ってるの」
「うん。合図」
「合図、何の」
「うーん、そうねえ、風呂の…」
ふひゅう、ふひゅうと寝息で語尾が紛れる。綾部は睫の重みでこんななのか、ともかくいつも眠たそうに見える半開きの瞳で、じいと同室の年上を見詰め、「ふむ、」と頷いた。
「寝てしまえ」
「はう?」
ぽつりと落とされた綾部の独白に、限界が近いタカ丸の表情が振り向く。綾部は相変わらずの無表情で傍に用意した打掛をむんずと掴むと、ふわりとタカ丸に被せた。
「うわ、だめだめ。今これやると俺寝ちゃうから~・・・」
タカ丸は打掛の呪縛から逃れようとよわよわしくもがいていたが、やがて完全に意識は途切れて打掛を身体に巻きつけると床に横たわって本格的に眠りに入ってしまった。
合図代わりの三郎が滝夜叉丸に化けて「は~い、夜中でも元気な滝夜叉丸だ☆」とか適当にハイテンションを装ってタカ丸の部屋を覗いたら、姿勢正しく打掛を羽織って眠る綾部と、その隣で転がったままのタカ丸を見つけた。標的が寝ているのは想定の範囲内だ。彼の恋人である同級生が、「多分あいつはもう寝てる」と諦めたように呟いていた。
(さて、どーしたもんかね)
眠っているのなら連れてこなくてもいい、寝かせておいてやってくれ。兵助はそういったのだが。三郎としてはそういうわけにも行かないのだ、起こしてでも連れてこなければ、翌日タカ丸に恨まれる。なんせ食堂で一緒になったときに兵助のいないときに、「俺が寝てたら殴ってでも起こしてくださいね、」と念を押されたのだから。雷蔵が気を利かせて「大丈夫だよ、もし寝ちゃっても朝風呂には入れるようにしてあげるから」といっても、タカ丸は「いえいえ、気持ちはありがたいですけど、朝じゃあ意味がないですから。兵助寝ちゃってるでしょう」と微笑んだので、なるほどそれならば絶対起こしてやらねばなるまいと、そう思ったのだ。
(レッツ拉致☆監禁)
気配を消してこっそりと十五歳の身体を抱き上げる。眠っていたはずの綾部がむくりと上体を起こした。
「滝夜叉丸、夜中にどうした。うるさいぞ、あほ」
「綾部は寝ててよし」
間近から目潰しを投げつける。こんな児戯めいた企みに何もそこまでと雷蔵ならば起こるだろう。しかし、児戯であろうとなんだろうと常に本気でかかるのが三郎のポリシーだ。本気でなければ何ごとも楽しめない。綾部もよくやるもので、羽織っていた打掛を一度叩いて目潰しをかわすと、内側に忍び持っていたらしい、縄標で足を捉えようと床すれすれに縄を滑らせる。三郎がひらりと飛んでそれを避けた。
「誘拐犯め」
「よい子は寝る時間だぜ、って」
至近距離で忍たまの友の乱定剣。とっさに払い落とした隙に、偽者滝夜叉丸はタカ丸を連れて夜の闇に消えた。騒ぎを聞きつけて、本物が現われる。三木ヱ門も一緒だ。一応、学年一の秀才というのは嘘ではないのだ。
「何の騒ぎだ」
「滝夜叉丸、腹立つから一発殴らせろ」
「わわ、なんだいきなり!私が何をしたというのだ!」
「斉藤さんがいないな」
三木ヱ門の呟きに、綾部はぽかりと滝夜叉丸を殴りつけると、「もう寝よ」と布団の中にもそもそと入り込んでしまう。駆けつけた二人は同級生のマイペースぶりに飲まれて途方に暮れた。
「なんだ?」
「さあ」
「五年生なんぞ大嫌いだ」
綾部の吐き捨てるような呟きは、誰の耳にも止まることなく空気に溶けて消えた。
誰がなんと言おうと忍術学園で一番のハーレムは火薬委員会なんだぜ!!(やけくそ的な意味で)
とうふばななといーちゃん。
委員会室に設けられた文机にのっぺりと伏せって、タカ丸は先ほどからぐったりしている。委員会中は身を起こして何とか話は聞いているふうだったが、ふうと溜息をついては視線を下にさげっ放しで、顧問の土井に心配されたほどだった。いつもならタカ丸の不躾を真っ先に窘めそうな久々知がその日に限って何も言わないのが、伊助には不思議だった。委員会が終わっていよいよ上体を机につけて眠りの姿勢に入ってしまったタカ丸に、伊助が声をかける。
「…タカ丸さん、大丈夫ですか?」
「ん~…」
声がしんどそうだ。伊助は眉を潜めて、風邪ですか、と聞く。保健室を勧めてみようかと口を開いたところで、タカ丸が気だるげに身を起こして、「だいじょーぶだよ」と微笑う。タカ丸の声は柔らかくて穏やかで、いつだってとても心地好く耳朶を打つ。
「昨日あんまり寝てなくて」
「寝不足ですか」
「まあ、そんなとこ」
ふああ、と大きく欠伸する。ふわりと揺れた髪からは、花のような甘い匂いがする。くのいちが知ったら欲しがりそうだ、どんな整髪剤を使っているんだろう。例えばタカ丸よりずっと女性的な容姿の立花仙蔵や綾部喜八郎からこんなような匂いが漂うんだって、やっぱり想像はつかないし、違和感を感じるような気がする。タカ丸は決して女性的ではないのに、こういう、女の好むようなわかりやすい華やかさがとても似合う。
「タカ丸さん、今日はもうあがって早めに寝たらどうです」
「うん。あー・・・風呂は入んなきゃ。伊助くん、一緒にはいろ」
「でも先輩、学年・・・」
忍たま長屋の風呂に決して学年別の時間指定など設けられてはいない。しかし、やはり下級生が上級に混じって風呂を使うのは気を使うもので、三年生と二年生が一緒にはいるのも激戦になるし、なにとはなしにいつのまにやら暗黙の了解で棲み分けがなされていた。
「でもまあ、タカ丸さんが僕等と一緒にはいるぶんには、変な遠慮もないからいいのか」
何せ専門教科授業のほとんどを一年生の教室で混ざって勉強しているタカ丸は、一年生メンバーにも親しんでいる。伊助の呟きに、タカ丸は満足げに頷いたが、すぐに後ろから久々知にぴしゃりと却下された。
「駄目だ」
なぜタカ丸のプライベートな行動に久々知が関与するのだろう。タカ丸といっしょにきょとんとした瞳で、伊助は常識派の五年生を見上げる。タカ丸はぷくうと頬を膨らませた。このひとは、髪結の腕は一流だし精神的にもとても成熟した考え方をもっている人なのに、言動がいちいち幼い。一年にしては落ち着きのあるほうだと称される伊助は、タカ丸のことを、そう見ている。
「だって、滝とか三木とかあややと一緒に入れないじゃんか」
「なんだ、あややって」
「綾部のこと。そう呼べって、本人が」
「相変わらずふざけてやがるな、あの作法委員」
「えー、でも、あだ名で呼び合うってなんかいいじゃん。は組もみんなあだ名呼びだよね」
ね、いーちゃん。タカ丸に微笑まれて、伊助もつられて笑う。苦笑に近い表情になってしまったのは、先日、タカ丸も「なんで俺のことはタカ丸さんのままなの」とわがままを言ってみんなを困らせた記憶があるからだ。
「火薬委員でもあだ名作ろうよ」
「馬鹿!委員会活動は縦社会!礼儀第一!あだ名は横のつながりで押さえておけ」
なるほど一理ある言葉だが、年齢や学年といった面ではまるで掟破りでアウトサイダーな存在のタカ丸には実感としてその言葉の意味を理解はしにくいだろう。伊助の考えたとおり、タカ丸は面白くなさそうな表情で、「でもさあ、」と言葉を続けた。
「ハッチ先輩は俺のことにゃんこさんってあだ名で呼んでくれるんだけど」
「にゃんこさん、ですか」
伊助が噴きだす。タカ丸は笑顔で、己の唇を指差す。「俺って口元のあたりが猫っぽいんだって」
「ははあ」
「いーちゃんもそうやって呼んでいいよ」
「えー?」
くすくす笑いあうふたりの後輩の横で、久々知の表情だけが渋い。苦虫を五千匹ほど噛み潰したかのような形相をして空を睨んでいる。
「三郎殺す」
「殺さないで、俺ハッチ先輩好きだから」
「叩き潰す」
どうにも、先ほどから久々知が穏やかでないようだ。伊助は瞳をパチパチを瞬かせて、「久々知先輩、今日は機嫌が悪いですね。どうかなさったんですか」尋ねる。気遣い屋の後輩に指摘されて、久々知の頬がにわかに赤くなった。
「べつにそういうわけじゃないから、二郭は気にしなくていい」
タカ丸が苦笑した。
「そうそう、不機嫌なわけじゃないよ。むしろご機嫌だよ」
「なーにが!」
タカ丸の言葉の何がいけなかったのか、久々知は眉を顰めてタカ丸の頭をぺしりと叩く。
「だってそうじゃん、昨日あんなに好きにして。おかげで俺今日眠たいし。みんなと風呂に入れないし」
「う…でもお前だってわりとはまってた」
「そうだけど、俺途中でもう勘弁してって泣き入れたじゃん。無視して続けたのはそっち」
「だから悪かったって!昼のいちご大福やっただろうが」
「ぶー。俺、昼にでた冷奴兵助にあげたからそれで打ち消しでーす」
「なんだよ、あれは親切心でくれたものだろ!?」
「にゃんのことやら」
ぎゃいぎゃいといい争いをする上級生の隣で、何ごとかを考え込んでいた伊助は、「あ、そーか!」と掌を打った。ふたりが喧嘩をやめて伊助を見やる。伊助は首を傾げて、真面目に提案する。
「久々知先輩はもしかして、タカ丸先輩と風呂に入りたいんですね?」
「なんでそこでそうなる!?」
「え、でも、そうとしか取れないんですけど…」
「いやいや、そんなことない」
「違うんですか?」
「ほんとに察しがいいなあ、この子」
タカ丸は見たことのない笑顔で伊助の頭をなでる。兵助はこほんと照れ隠しの咳払いをして、「いくら一年にはわからないといったって、あんなもの見せるわけにいかないだろ。六年が入り終わった後にこっそり入ろう。三郎に工作は頼んだから、先生方の入浴までは、少し時間が取れるはずだ」
「はいはい、じゃあそうしましょう」
タカ丸が伊助を膝に載せて後ろから抱き締めながら、嬉しそうに頷く。あ、たしかにちょっと、猫に似てるかも。タカ丸の纏うかすかな甘い匂いのなかで、伊助は思う。ごろごろと、今にも咽喉が鳴りそうだ。
「伊助も一緒に入る?」
タカ丸が尋ねた。伊助はなぜだか許可を求めなければいけないような気がして久々知を見上げた。複雑そうな表情に、また気を使ってしまう。
「やめときます。ご飯前に入っちゃいたいので」
「うん、そっか」
タカ丸の細くて長い節くれだった指先がそろそろと伊助の髪を梳く。「悪いな、」と、なぜだか久々知が謝って、伊助は苦笑した。父ちゃんと母ちゃんに似ている。どっちがどっちとかは、ないけれど。子どもは知らなくていい秘密を抱えたその様子が、傍で見ていてくすぐったくて、羨ましくて、知らない他人のようで。
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大人にしかわからない話と察しのよい子ども