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こんなめに君をあわせる人間は僕の他にありはしないよ⑳

⑳無力の力、あるいは、迎え討て。


タカ丸は慣れぬ女装束の裾を捌きながら駆け逃げていく。
途中、草履のせいで転んだ。石で抉れた膝の痛みなど、もはや感じない。草履を捨てて裸足でなおも駆けていく。一日中走りとおしの身体が、限界を訴えてくる。顎から伝って汗が滴り落ちてくるのを拳でぬぐって、鉄の味がする渇いた咽喉を、唾液を飲むことで紛らわせた。
(俺は足が遅いから)
すぐに追いつかれるだろうことが不安でならない。誰かが追ってくる気配がする。振り向きたいという気持ちを掻き消して、前だけを睨んだ。タカ丸の脳裏には、食満の血に染まった右手がだらんと垂れている。殺した男の血液は滴り落ちて、タカ丸の足を濡らした。耳元には、先ほどの骨音。あの心優しく穏やかなばかりの雷蔵が出したとは思えぬ、冷たい死の音。死んだ男がぎょろんと目をむいてタカ丸を見つめる。お前のせいだ、と口が開く。お前のせいだ、お前が俺を殺した。食満が苦無を握ったまま疲れた顔でタカ丸を振り返る。あんたのせいだ、と口が動く。あんたが殺させた。雷蔵の声が耳音でする。本当は殺したくなんかなかったのに。
考えると挫けそうになるから、タカ丸は雑念を振り払って市井を駆け抜けていく。聞こえてくる呪詛にも似た声には、蓋を。手のひらで両の耳を覆って、前だけを睨みつける。
行き先は、あった。
タカ丸は市井で生まれ育った子どもだった。タカ丸の家は町の終わりにある橋のたもとにあった。ここは、町への出入に必ず人が通らなければ行けない区画になるから、客が引きやすい。だが本当は、町に出入する人間の選別という目的があったのだと、学園に入ってから土井に教えられた。演習の場所はタカ丸の生まれ育った町とは違ったが、同じように町のはずれに橋が架かっていることは知っていた。川は時に自然の堀になる。川に沿って町の区画を決めることは、利が大きいから、同じような特徴を持った町は多い。地形はすでに演習前に穴が開くほど見た地図で、確認をしていた。
肩で大きく息をつきながら、ようようの態で町の外れまできた。
のったりのったりと通行人が行き交う橋の上で、タカ丸は息を落ち着かせると、懐から櫛を取り出して髪を整えた。それから、携帯していた紅を取り出して、唇を赤く染め上げる。血色が悪くなって蒼白に近かった唇を、せいぜい女らしく整えると、頬紅も簡単に刷いた。血色のいい女が出来上がる。川面に自分の姿を映して見栄えを確認すると、タカ丸は泥だらけの着物を叩いて泥を落とし、汚い爪先も指で擦って綺麗にした。血にぬれた膝小僧は手ぬぐいを縛り付けて、裾で隠した。そうして橋の欄干に座って、高いか細い声で、
「女はいらんかえ、女はいらんかえ」
とうたった。小汚いはした女が鳴いておるわと眉を潜める通行人あれば、興味なさ気に表情も変えず通り過ぎる者もある。タカ丸は気狂いのように咽喉を震わせるばかりだ。


雷蔵はタカ丸を追った。どうやら彼が怖気てただ逃げているわけではないらしいことに気がついたのは、タカ丸の前だけを見つめるはっきりととした強い視線と、足取りの確かさだった。疲れで震える膝が彼の足を遅くしていたので、雷蔵が追いつくのは早かった。だが彼は、隠れて見守ることに決めた。
男は追ってこない。長次が捕らえたのだろう。殺しはしないはずだ、ぎりぎりまで。生け捕りにして、拷問にかけるのだ。長次は雷蔵にそれをさせなかった。タカ丸を追わせるのに託けて、雷蔵を逃がした。雷蔵にはそれが悔しくて悔しくてたまらなかった。怯えがばれたのだ。男の悲鳴に、殺人に、心が竦んだことが、ばれてしまった。雷蔵は長次を尊敬していた。だからこそ、その男に自分の情けない怯えが伝わったことが恥ずかしくて情けなくてならなかった。彼はきっと自分に呆れただろう。
と、そのとき、不思議な音がした。それは、笹の葉が擦れ合ってさらさらなるような幽かな音だった。雷蔵は顔を上げた。矢羽音だ。鉢屋からのものだとすぐに知れた。卒業したら双忍になろうと、お互いに考えている。矢羽音も示し合わせてふたりだけのものを決めた。お互いに、双忍になろうと口に出してはっきりと約束したことはなかったが、相手も同じ未来を見ていることを、お互いがうっすらと気づいていた。雷蔵と三郎の関係は、男女が恋人同士になる前の、あのふたりで呼吸を合わせていく不思議に通じ合っている時期の関係に似ていた。ふたりは別段恋人同士ではなかったが、ふたりが考えている”友情”という言葉でも、言い表せない不思議な重みを持っていた。
雷蔵が矢羽音で応えた。間も無く、音もなく、気配さえも消して傍らに男が立った。
「三郎、呼びつけてごめん」
「なに、いいのさ。困ったことでもあったかい」
「少しね、事態がややこしくなってしまって」
「にゃんこさんだね」
三郎の瞳が猫のように細くなって、眼前を駆けるタカ丸を捉えた。
「そうなんだ、守りたい」
「うん、ならそうしよう」
雷蔵はふと気がついたように、三郎の前に手のひらを差し出した。三郎はそれを迷いなく握りこんだ。雷蔵の手のひらの小さな震えは、それで止まった。三郎の手のひらの震えも、同じように止まった。
「ありがとう、三郎」
「いや、こちらこそありがとうよ、雷蔵」


タカ丸の前に一人の男が立った。薬師のようであった。編み笠を深く被っていて顔は見えない。
「女はいらんかえ」
タカ丸が鳴いた。男は低く押し殺したような声で、
「お前がすがや様の、」
と呟いた。タカ丸は色素の薄い瞳をまっすぐ男に向けた。
「そうです」
「よく似ておられる」
「祖父にも言われました」
「ああ・・・幸丸か、あれは、恐ろしい男だった」
男の腕がタカ丸に伸びた。ゆっくりといとおしむように頬に触れて、そのまま首を掴まれた。ぎゅうと力を入れられて、タカ丸は苦しさに身をよじる。タカ丸はそのまま声を絞り出すようにして、言った。
「もう、やめませんか。犠牲があまりにも多く出たから、僕はもう嫌です」
「怖いか」
「怖い」
「斉藤タカ丸、お前は忍者を目指しているそうな。お前みたいのでは忍者にはなれんよ」
「そうかもしれない。あなたに、祖父が託した和歌をお教えしようと思って」
「和歌」
「そうです、巻物を読み解くために必要だと、幸丸が一緒に僕に教えた」
「・・・言ってみろ」
「・・・恋しくば・・・」
男の瞳が酷薄に光った。「わかった、もういい」
鋭く言うと、そのままタカ丸を抱き込んだ。背中に鋭いものが押し付けられた感覚があった。タカ丸は瞳を閉じると、そのまま黙ってうつ向いた。
ごめんなさい、ごめんなさい、弱くて。守ってばっかりで。ただ、弱いものには弱いものなりの戦い方があると、先生は教えてくれた。
タカ丸は土井のことを思い出している。皮の厚い、見た目以上に戦いに慣れた男の大きな手のひらが、タカ丸をなでた。
「タカ丸、最初に行っておこう。お前は忍者には向かないよ。ひどいことを言うと思うかもしれないが、そういうことをはっきりといっておくことが大切なときもある。恨むのなら私を恨みなさい。ただね、タカ丸、だからといって戦うのをやめてはいけない。弱いものは弱いものなりに戦い方がある。私はそれを教えてあげよう」
学園長はタカ丸に問うた。
「力が欲しいか、タカ丸」
「欲しい」
「なぜ」
「誰も傷つかないために。守る力と抗う力が、欲しいんです」
タカ丸はそれから、ちょっとだけ死ぬのが怖いと思ったから、そんな自分を励ますために兵助の顔を思い浮かべた。兵助は忍者になりたいタカ丸の意思を汲んで、俺があなたを守るとは絶対に約束しなかった。力を手に入れたい男にそんなことを約束しても、それが侮辱にしかならないと考えたからだった。タカ丸は兵助のそういう考え方が嬉しかった。そうだ、俺はね、守られたかったんじゃない。いつだって、守る力が欲しかった。
(兵助、ねえ、これは俺なりの戦い方なんだから、泣いたりしたら駄目だよ)
笑って頑張ったなとでも褒めておくれ。
タカ丸は瞳を閉じた。トン、と背中に押されたような衝撃があった。刺されたのだ。血が噴出した。
タカ丸は、熱い、と思って、それを最後にそのまま力を失って、背中から川に落ちた。
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ふがいないや

優タカって、幼馴染から恋人になる瞬間を妄想すると萌えで禿げ上がりそうになる。
友達から恋人とはわけが違うよね、だって近所のいいお兄ちゃんが悪いお兄ちゃんになっちゃうんだもんね。
はあはあ。

そっと身体を横たえられて、厚みのある指を柔らかい髪に梳き入れて、頭を捧げ持つように両手のひらに抱え持つ。あくまでも優しく接吻の雨を降らされて、タカ丸はくすぐったくて咽喉を鳴らして笑った。笑った先から泣き残しの涙が零れて、優作はそれを舐め取ると、やはり瞼に、頬に、なんども触れるだけの優しい口付けを落とした。
「優ちゃん、くすぐったい・・・!」
どうしても、タカ丸は笑ってしまう。瞳を開いて優作を見上げたら、自分を見下ろす彼の瞳があまりに優しかったので、むしろ心臓が痛んだ。優作はふいにタカ丸から立ち上がると、背を向けた。タカ丸はもそもそと起き上がって、畳に尻をつけたまま優作を見上げる。
「・・・優ちゃん?」
「ごめん、タオルケットをもってくるよ」
「いいよ、俺、平気だよ」
優作が何故そんなことを言い出すか、すぐに見当はついた。畳の上で行為に及ぶと背中がひどく擦れるから、それを心配したのだろう。どこまでも優しい男だ、と思う。優作は、「なんだか段取りが悪くてすまないな、もう少し、ムードを出せたらよかったんだが」と頭を掻いて苦笑をする。タカ丸も、くしゃりと顔をつぶして笑った。
「俺、始める前のこういうそわそわした雰囲気好きだよ。なんか、いたずらする前みたいでドキドキする」
優作が、すぐ戻ってくると言い置いて、部屋を出て行ってしまう。タカ丸は、所在無げに、部屋を見渡した。
どうしようか、と思う。
優作がわざと時間をつくってくれたのはわかった。別に、シャツを着たままだって行為に及べるのだし、そもそもタオルケットなら居間の押入れにも入っている。タカ丸は知っている。たぶん、優作が戻ってくるまでの数分間は、タカ丸に与えられた最後の逃げ道だ。今ならまだ戻れる、リセットできる。やっぱり嫌だといたら、優作は嘘をついてでも気にしないと笑って、タカ丸を逃がしてくれるだろう。
最後まで決心をつけがたく、タカ丸は、そんな自分を心底嫌らしいと思いながら、食事のときに優作に用意したビールの缶がそのまま卓袱台の傍らに置かれているのを発見して、手に取った。プルトップを引き抜いて、ぐいぐいと煽る。
「こら、未成年」
背中で優作の声がした。タカ丸が苦笑する。
「・・・気つけ。なんかどきどきして心臓止まりそうだから」
「タカ丸くん、」
優作が気遣うように名前を読んだ。タカ丸は優作が重たいほどに感じているだろう責任感を、冗談で混ぜっ返してしまう。
「ふつつかものですがどーぞよろしくお願いします!・・・って、なんか違うか。ははは」
優作が、タカ丸を抱きしめた。タカ丸は一瞬身を硬くしたが、すぐに努めて力を抜いて、優作に全身を預ける。広げたタオルケットの上に横たえられて、丹念な愛撫を受けていく。泣き声みたいな変な声がでて、俺は男だし気持ち悪く思われないかと余計な心配をして、けれど、見上げた優作と目があったら、よっぽど不安そうな目でもしていたのだろうか、大丈夫だと繰り返し囁かれて、口付けを貰った。こんなに好きな人と出会ってしまったのは、自分にとって一番の幸せだし、不幸だ。タカ丸は心の底からそう思う。

こんなめに君をあわせる人間は僕の他にありはしないよ⑲

⑲力を欲する男たち


「力が欲しいか」
大川平次渦正は学園を立ち上げて以来、無数の生徒たちにその問いを発してきた。大川は、これまでに自分がその問いを発してきた子どもたちの、顔も名前も、そして答えも等しく記憶している。
忍術学園は、その教育プログラムが、上級生に上がるにつれて力のない生徒から淘汰される仕組みになっている。学園を辞めたいと大川を訪なう生徒は毎日のように後を絶たない。大川はそれを引き止めることも助長することもしない。ただ、静かに尋ねるのみだ。
「力が欲しいか」

久々知兵助がそう問われたのは、彼が忍術学園に入学する以前のことであった。兵助は賊に家族を殺された。そのころの兵助は、十に満たない子どもだった。有力な豪族の嫡子に生まれ、教養だけはきちんと身につけておらねばならぬという父の方針で、近所の寺に手習いに通っていた。ある日家に帰ったら、血みどろのなかに家族が死んでいた。父親と、母親と、その腕に抱かれた本当に幼い妹。
取り返さねばならぬ、と兵助は思った。人は生き返らない。兵助は知っていたが、それでも何もかもを奪われたままでいるのが耐え切れないように思えた。
(許せぬ)
孤児としてひとりで生きていく術を身につけたあとも、どうにかこうにかそれなりに安寧とした暮らしを送りながら、兵助はそればかりを考えていた。雷の激しい雨夜だった。兵助は、仇をとった。今思えば、相手の賊は弱かった。油断を取ったとはいえ、十にも満たない子どもに殺されたのだ。兵助は雨に打たれながら、懐に入れていた小刀でほとんど衝動的に賊を刺していた。罪悪感はなかった。手を濡らす血の生ぬるさと、突き刺すような錆びた臭いが腹に溜まって、ただただ気持ちが悪いと思った。人間というものはこうもあっけなく死ぬのかと思った。柔らかな肉を一突きするだけで、だたそれだけで。
ふいに背後から、「その男はもう死んでいる。刀を放せ」と落ち着いた男の声がした。しかし兵助は動けなかった。身体が泥のように重く、不自然に筋肉は強張っていた。近づいてきた男は兵助の背後から、兵助の指に己の腕を置いた。兵助は獣のように瞳をぎらつかせて、男の腕を噛んだ。男は同じように兵助を刺すだろうと思った。だが、そのまま腕に抱きしめて、優しく頭をなでた。
「よしよし、もう大丈夫だから手を離しなさい」
兵助は胸に抱かれながら、ほっと息をついた。途端、緩んだ手のひらからぽろりと短刀は零れ落ちた。兵助を抱きとめた男は、土井半助といった。兵助は彼に手を引かれて忍術学園の門をくぐった。対峙した老人は兵助に熱い茶と甘い菓子を与えた。兵助がそれを貪り食うのを黙って見守ると、重たげに口を開いた。
「兵助、お主、力が欲しいか」



「欲しい」
と、綾部は答えた。しれっとした表情だった。世の中のすべてを、等しく価値のないものだと蔑むような、そういう無感情の瞳をしている。それが綾部喜八郎の特徴だった。
ともかく容姿が美しい。少女めいた、華のような、という形容が似合った。
「なぜ欲しい」
問い質す大川に、綾部は返した。
「ではあなたは欲しくないのか」
「綾部、何故忍者を辞めたい」
「つまらなく思ったから」
「何を」
「わからない。けれど、とてもつまらない」
綾部は前日、実習でひとり同級生を殺していた。実践演習中の不意の事故だった。綾部はそれなりに実力があった。あったが、あくまでそれなりだったから、不意打ちにあって驚いたとき、力加減がうまくいかず思わず殺してしまったのだ。そのまま綾部はふらりと学園へ戻ってきて、手を二重にも三重にも洗い、布団を敷いて寝た。ぐっすりと眠り込んだあと、目を覚まして、学園長のもとを訪れ、
「学園を辞める」
と言い出したのだった。
「力は欲しい。けれど、私はここにいると力の使い方を間違えるような気がする。学園長、あなたは何のために力を欲したのです」
大川は頷いた。「もちろんわしにも理由はある。だがそれはあくまでわしの理由じゃ。お主はお主の理由を求めねばならん。それまではここにおるがよかろう」

タカ丸が目を開いたとき、最初に目に飛び込んできたものは苦無だった。己の首筋に押し当てられていた。本能的に逃れようとして身体を揺すると、がっちりと腕に抱きとめられていて身動きが取れない。
「目を覚ましたか、久しぶりだな」
耳元で低い声がした。タカ丸は息を呑む。古い、傷となった記憶が脳裏に蘇った。勝手に動機が早くなって、嫌な汗が全身から噴出した。
「・・・あ、」
「約束のものを取りに来たぞ。斉藤幸丸が持ち出した我が城の宝、返してもらおうか」
「・・・そんなもの、俺、知らない」
ゆるゆると首を振っても、相手の忍者は聞く耳を持たなかった。奪われた巻物と、歌。今は亡き幸丸からタカ丸が受け継いだものは、そのふたつだけだ。そのふたつがどんな意味を持つのかは、タカ丸さえ知らなかった。
「タカ丸さん、伏せて」
ふと近くで声がした。誰か知ったものの声だと認識して、慌てて身をちぢ込ませる。伏せた頭の後頭部を、さらに何者かにぐいっと勢いよく下に押し付けられた。
キンッ、と鋼同士がぶつかり合う音。ちいっ、と男の舌打ちが聞こえた。タカ丸が瞳を開けると、男の足首に縄標が巻きついている。中在家長次の仕業だ、とタカ丸はすぐに認識した。
「雷蔵。かまわん、へし折れ」
長次の低い声が飛んだ。「はい」と頭上からいつもは穏やかな声が少し震えて聞こえてきた。それは確かに雷蔵のものだった。「ぐうっ」と男の短い悲鳴。タカ丸の耳元でぽきっと小さく骨の軋む音がした。タカ丸は目を見開いて息を呑んだ。殺すのか。雷蔵は、殺すのか、この男を。タカ丸の脳裏に、冷たい過去の記憶に重なるように雷蔵の笑顔が浮かぶ。いつも親切そうな笑みを浮かべて、皆に慕われている。そうして、今日もいい天気ですね、とか、夕日が一段と綺麗ですね、とか、庭に菫が咲きましたよ、とそんな小さなことをとても喜ぶ。
殺させては駄目だ。タカ丸は強く思った。
タカ丸は懐に腕を忍ばせてようようの態で苦無を取り出すと、後ろ手で男と思われる身体の肉を刺した。
「うっ」
短く男が息を呑んだ。そうして、男の腕がわずかに緩んだかと思うと、強くタカ丸の首を絞めた。
「・・・ぐっ、」
「タカ丸さん!」
雷蔵は押さえつけていた腕を放すと、苦無で男の肩を刺した。男の腕が弱まる。タカ丸は男の身体を押しやるようにして慌てて男の拘束から逃れた。そうしてそのまま逃げ出した。
女の着物は裾が足に絡み付いて動きづらいことといったらなかった。だが、後ろも振り返らずにタカ丸は逃げ出した。
「先輩、タカ丸さんを追ってください!」
雷蔵が鋭い声を上げた。中在家は無言で首を振ると、縄標をぐいと引っ張った。男の身体が傾いで地に倒れる。
「いや、あとは俺がやる。不破、追え」
「いえ、できます。僕にやらせてください」
「駄目だ。追え」
駄目だ、という一言が雷蔵には重くのしかかった。殺すことに躊躇をした。それを責められているように感じたのだった。
「追え」
声を重ねられて、雷蔵は身を翻した。
背中越しに、ぼきり、と嫌な音が響いて、男の悲鳴はやんだ。
(力が欲しい)
雷蔵は思った。いざというときに躊躇しない心の強さが。欲しい。

子どもの体温

もうちょっとだけ続く。


試験で祭りにいけないというのは嘘ではなかったのだ。
竹谷の中で、嘘になってしまっただけで。
試験が終わったとき、時計の針は八時ちょっと過ぎをさしていた。今から祭りに行こうか、そうしたら竹谷にも会えるかもしれない。そう考えて、しかし食満はふと思考をやめた。なぜ自分はそこまでして竹谷のそばにいてやらなくてはいけないと思っているのだろう。出会ったころから何においても竹谷を優先して面倒を見てきた。それは相手が病気の人間だという労りの心からだろうか。それとも、自分が世話好きな性格だからか。そのどちらもあるだろう、しかし、それだけが理由ではないように思えた。なぜだなぜだ、と考える。心が、竹谷のもとへ行きたがっている。だが冷静に考えれば、竹谷は今日は後輩と祭りに行くといっていたのではなかったか。今から祭りに行って、竹谷に出会えたとして、どうするというのだ。自分はどうしたいのだろう。
もやもやと考え込んでいたら、クラスメイトの伊作が話しかけてきた。外部模試だから周囲には他校の生徒があふれ帰っているのだが、どうやら近所の大学の構内を借り切った広い試験会場で、ふたりは同じ教室だったらしい。
「留さん、お疲れ」
伊作はにこにこと話しかけてくる。
「テストどうだった」
「数学がヤバイ。ありゃ確実に点落ちたな」
「僕は古典だよー。最近調子こいて理数ばっか勉強してたらわかんないのなんのって」
伊作は薬学部志望だ。食満は教育学部。お互いに進路は分かたれていく。田舎だから、伊作とは小学校からの付き合いだ。大学進学は伊作は東京へ行くし、食満も地元を離れる予定でいるから、こんなふうに当たり前に会話をするのも今年が最後だろう。人は、成長していくなかで必ず出会いと別れを繰り返す。
「いい判定もらえてる?」
「BとCを行ったり来たりって感じだな」
「僕なんかDもらうこともあるよ」
食満がかばんを持ち上げると、伊作は「あ、そうそう」と思いついたように行った。
「知ってる?今日諏訪部神社の祭りやってるよ」
「おう。毎年行ってる」
「え、ほんと?僕行ったことなくてさ、留さん、よかったら一緒に寄ってかない?」
「いいけど、終わりかけだぞ」
「いいよいいよ、一回くらい行っときたいんだよね。ほら、地元離れる前にさ」


祭囃子が聞こえる。橙の裸電球が境内沿いに社まで続いて、ずいぶんと賑やかな様相だ。祭りに行くといったら、孫兵の母親は、わざわざ浴衣を出してきた。
「いいよ、洋服で」
孫兵が嫌がるのを、「せっかくだから」と行ってきかなかった。昔から孫兵の母親は、孫兵が外へ出て行こうとするのを喜ぶ。
「お祭り、誰と行くの」
「・・・竹谷先輩。覚えてる?小学校のときよく遊んでもらった、」
「ああ、懐かしいわね。引っ越しちゃった子でしょう?元気なの?」
「うん」
「今は高校生ぐらいか。腕白な感じの子だったから、さぞ育ってるんでしょうね。祭りが終わったら連れてらっしゃいよ」
「う~ん・・・先輩こないと思うから」
「なんで、誘ってみなくちゃわからないじゃない」
「うん・・・」
孫兵の消極的な返事を、母親は不思議に思ったようだった。
竹谷とは境内にある大きな杉の木のもとで待ち合わせをした。竹谷は子供用の甚平に下駄を履いていた。
「あっ、お前浴衣だな!」
「はい。先輩も甚平ですね」
「久々知が着てけってさー。なんだか知んないけど、祭り気分を味わうためだってさ」
「涼しくていい感じですよ」
「ま、涼しいのは確かかな」
ふたりで連れ立ってぶらぶらと境内を歩く。時々屋台を冷やかして、竹谷が射的をやったり、金魚掬いをやったりした。孫兵は隣を歩いて、食べ物を買っては竹谷に分けている。
「先輩焼きソバ食べませんか」
「お前が買ったやつだしお前が食ったらいいのに」
「でも僕、腹いっぱいなんです」
「ならなんで買うんだよー」
「なんでだろ、先輩なら食べるかなーと思って」
「まあ、いいんならもらうけど」
「どうぞ」
プラスチックパックにつめられた冷たい焼きソバを竹谷が割り箸で持ち上げては口に運んでいく。小学生にしては上手に食べていくのを、孫兵はぼんやり見ている。
「孫兵、」
「はい?」
「別に敬語使わなくていいぞ、くすぐったいし」
「だって、先輩だから」
「先輩じゃねーよ。俺のが後輩じゃん」
「・・・」
「小学生にさ、敬語なんて使わなくっていいって。変な目で見られるぞ」
孫兵は何もいえなかった。竹谷はごちそうさまでしたと丁寧に手を合わせると、空きパックを自分のかばんに詰め込み、そのまま孫兵の手を引っ張った。
「たくさんいるからなー道に迷うなよ」
そのお兄ちゃんぶった姿を、すれ違った少女たちが「かわいい」と笑い声を上げていく。だけど孫兵は笑えなかった。

子どもの体温

こども竹谷パロ。続き。


「先天性不可全成長症候群」
真夜中。真っ暗闇の診療所に豆電球ひとつだけをつけて、食満は必死でカルテを漁っていた。医師である親に見つからないように、自宅とはいえ作業は慎重に進めなくてはいけない。竹谷八左ヱ門と古風な名前の書かれたカルテを見つけると、食満は手元のメモに病名を書き付けていく。
先天性不可全成長症候群。
震える指で、持ってきた「家庭の医学」全集を引いた。オレンジの裸電球に一匹の蛾が飛んでいた。そのおかげで手元がふっふっと薄暗くなるのが鬱陶しいと思った。よく覚えている。あとにも先にもあんなに怖かった夜はないからだった。暑い日だった。じっとりと肌に汗を湧かせながら、診療所の隅っこで、真剣に文字を追っていた。覚えている。風のない真夏の夜のことだった。
先天性不可全成長症候群。説明文は、当時中学生一年生だった食満には難しかったが、それでもどんな病気なのかはなんとか理解することができた。それは、決して大人になれないという呪いのような病気だった。

「今度の夏祭り一緒にいけなくなっちまった。ごめんな」
「別にいいよ」
ひどく騒ぎ立てるだろうと思ったのに、覚悟して謝ったわりには、八左ヱ門の反応はあっさりしていた。
「統一模試の終了時刻が、八時なんだよな。そんな遅くまでテストなんてうんざりしちまうよ」
「受験生は大変だなー」
「お前も来年は受験生だろ。覚悟しとけよ」
食満の言葉に、八左ヱ門はうんざりした表情で舌を出した。
「祭りは孫兵と行こうーっと」
「ああ、小学校時代の後輩だったか?」
「そう。今は中学三年生!」
「受験生じゃねえか。連れまわしていいのかあ?」
「いいんだよ。孫兵は頭いいから、留兄と違って一日くらい受験勉強さぼっても合格できるの!」
食満はにっこり笑って、生意気なことを言う八左ヱ門のこめかみを拳で両側からぐりぐりと押した。いたいいたい!と八左ヱ門が身をよじる。暴れるのを食満の父親が食満をにらみつけることで終わらせた。
「留三郎!診察の邪魔をするなら出て行け」
「あ、ごめん、先生。俺、ちゃんと大人しくするから」
なぜか殊勝に謝ったのは八左ヱ門のほうだった。ちょこんと診察椅子に腰掛けている。その細い足は床まで届いていない。子供用のスリッパが足からつるんと滑り落ちてリノリウムの床に散らばっていた。ぺらりとシャツを捲って肌を見せる。そこにあるのは小学生のまるんとした柔らかな輪郭の腹で、食満は見てはいけないものを見ているような気がしてそっと視線をそらせた。
「心音異常なし。じゃあ、向こうで体重と身長を測ろうか」
留三郎、と呼ばれて、彼は診察室の奥から体重計と子供用の身長測定器を運んできた。
「じゃあ、靴下脱いでな」
「うん」
八左ヱ門は靴下を脱ぐと身長測定器のほうに立った。彼の身長は成長の止まった12歳のときからずっと140センチ台で止まっていた。
「留兄、何センチだった?」
「ん~・・・143」
「マジ?一センチ伸びてる!」
八左ヱ門は目を輝かせてその場で飛び跳ねた。「一センチ伸びてるっ!ヤッタ!」ぴょんぴょんその場で飛び跳ねるさまは、実年齢が高校二年生なのだとはとてもわからない。食満は「よかったな」と声をかけて、苦笑した。

食満が最初に八左ヱ門と出会ったのは、中学二年のときだった。その頃、八左ヱ門は患者として食満の診療所に通っていた。田舎の村の小さな診療所に、彼の母親は彼を連れて毎日通っていた。そうして熱心に「何とかして治らないんですか」「本当にもう手はないんですか」としきりに繰り返すのだった。はじめのうちは形だけでも診察していた父親も、しまいには竹谷母子が来てももう聴診器を取り上げることもせず、母親の話をただ黙って聞いてやるだけになった。それはほとんど、カウンセリングと同じだった。父親が、八左ヱ門の母親の心の傷を癒している間、食満は八左ヱ門と遊んでやるようになった。彼が何の病気にかかっているかは知らなかったが、母親の様子から、何かとても大変な病気にかかっているだろうことが知れた。
ある日の夕食時、父親は「彼女は」という言い方で竹谷の母親のことを話題に出した。
「八左ヱ門君を誰にも見せたくなくて、こんな田舎につれて逃げてきたのだろう。八左ヱ門君がかわいそうだな」
食満は、八左ヱ門が何の病気か尋ねた。だが、父親はそのうちわかる、といって決して自分から病名を明かそうとしないのだった。それから一年たって、食満は八左ヱ門の抱える異常性に気がついた。年のわりに幼い顔立ちだとは思っていた。だが、それは成長が遅れているためではなかった。
まったく成長していなかったのだ。
八左ヱ門は中学二年生になった。だが、彼の姿は小学生のままだった。そのことに気がついた日、食満は内緒で八左ヱ門のカルテを探った。先天性不可全成長症候群。それは、成長が止まって一生子どものままの容姿でいるという病気だった。

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