優タカって、幼馴染から恋人になる瞬間を妄想すると萌えで禿げ上がりそうになる。
友達から恋人とはわけが違うよね、だって近所のいいお兄ちゃんが悪いお兄ちゃんになっちゃうんだもんね。
はあはあ。
そっと身体を横たえられて、厚みのある指を柔らかい髪に梳き入れて、頭を捧げ持つように両手のひらに抱え持つ。あくまでも優しく接吻の雨を降らされて、タカ丸はくすぐったくて咽喉を鳴らして笑った。笑った先から泣き残しの涙が零れて、優作はそれを舐め取ると、やはり瞼に、頬に、なんども触れるだけの優しい口付けを落とした。
「優ちゃん、くすぐったい・・・!」
どうしても、タカ丸は笑ってしまう。瞳を開いて優作を見上げたら、自分を見下ろす彼の瞳があまりに優しかったので、むしろ心臓が痛んだ。優作はふいにタカ丸から立ち上がると、背を向けた。タカ丸はもそもそと起き上がって、畳に尻をつけたまま優作を見上げる。
「・・・優ちゃん?」
「ごめん、タオルケットをもってくるよ」
「いいよ、俺、平気だよ」
優作が何故そんなことを言い出すか、すぐに見当はついた。畳の上で行為に及ぶと背中がひどく擦れるから、それを心配したのだろう。どこまでも優しい男だ、と思う。優作は、「なんだか段取りが悪くてすまないな、もう少し、ムードを出せたらよかったんだが」と頭を掻いて苦笑をする。タカ丸も、くしゃりと顔をつぶして笑った。
「俺、始める前のこういうそわそわした雰囲気好きだよ。なんか、いたずらする前みたいでドキドキする」
優作が、すぐ戻ってくると言い置いて、部屋を出て行ってしまう。タカ丸は、所在無げに、部屋を見渡した。
どうしようか、と思う。
優作がわざと時間をつくってくれたのはわかった。別に、シャツを着たままだって行為に及べるのだし、そもそもタオルケットなら居間の押入れにも入っている。タカ丸は知っている。たぶん、優作が戻ってくるまでの数分間は、タカ丸に与えられた最後の逃げ道だ。今ならまだ戻れる、リセットできる。やっぱり嫌だといたら、優作は嘘をついてでも気にしないと笑って、タカ丸を逃がしてくれるだろう。
最後まで決心をつけがたく、タカ丸は、そんな自分を心底嫌らしいと思いながら、食事のときに優作に用意したビールの缶がそのまま卓袱台の傍らに置かれているのを発見して、手に取った。プルトップを引き抜いて、ぐいぐいと煽る。
「こら、未成年」
背中で優作の声がした。タカ丸が苦笑する。
「・・・気つけ。なんかどきどきして心臓止まりそうだから」
「タカ丸くん、」
優作が気遣うように名前を読んだ。タカ丸は優作が重たいほどに感じているだろう責任感を、冗談で混ぜっ返してしまう。
「ふつつかものですがどーぞよろしくお願いします!・・・って、なんか違うか。ははは」
優作が、タカ丸を抱きしめた。タカ丸は一瞬身を硬くしたが、すぐに努めて力を抜いて、優作に全身を預ける。広げたタオルケットの上に横たえられて、丹念な愛撫を受けていく。泣き声みたいな変な声がでて、俺は男だし気持ち悪く思われないかと余計な心配をして、けれど、見上げた優作と目があったら、よっぽど不安そうな目でもしていたのだろうか、大丈夫だと繰り返し囁かれて、口付けを貰った。こんなに好きな人と出会ってしまったのは、自分にとって一番の幸せだし、不幸だ。タカ丸は心の底からそう思う。
⑲力を欲する男たち
「力が欲しいか」
大川平次渦正は学園を立ち上げて以来、無数の生徒たちにその問いを発してきた。大川は、これまでに自分がその問いを発してきた子どもたちの、顔も名前も、そして答えも等しく記憶している。
忍術学園は、その教育プログラムが、上級生に上がるにつれて力のない生徒から淘汰される仕組みになっている。学園を辞めたいと大川を訪なう生徒は毎日のように後を絶たない。大川はそれを引き止めることも助長することもしない。ただ、静かに尋ねるのみだ。
「力が欲しいか」
久々知兵助がそう問われたのは、彼が忍術学園に入学する以前のことであった。兵助は賊に家族を殺された。そのころの兵助は、十に満たない子どもだった。有力な豪族の嫡子に生まれ、教養だけはきちんと身につけておらねばならぬという父の方針で、近所の寺に手習いに通っていた。ある日家に帰ったら、血みどろのなかに家族が死んでいた。父親と、母親と、その腕に抱かれた本当に幼い妹。
取り返さねばならぬ、と兵助は思った。人は生き返らない。兵助は知っていたが、それでも何もかもを奪われたままでいるのが耐え切れないように思えた。
(許せぬ)
孤児としてひとりで生きていく術を身につけたあとも、どうにかこうにかそれなりに安寧とした暮らしを送りながら、兵助はそればかりを考えていた。雷の激しい雨夜だった。兵助は、仇をとった。今思えば、相手の賊は弱かった。油断を取ったとはいえ、十にも満たない子どもに殺されたのだ。兵助は雨に打たれながら、懐に入れていた小刀でほとんど衝動的に賊を刺していた。罪悪感はなかった。手を濡らす血の生ぬるさと、突き刺すような錆びた臭いが腹に溜まって、ただただ気持ちが悪いと思った。人間というものはこうもあっけなく死ぬのかと思った。柔らかな肉を一突きするだけで、だたそれだけで。
ふいに背後から、「その男はもう死んでいる。刀を放せ」と落ち着いた男の声がした。しかし兵助は動けなかった。身体が泥のように重く、不自然に筋肉は強張っていた。近づいてきた男は兵助の背後から、兵助の指に己の腕を置いた。兵助は獣のように瞳をぎらつかせて、男の腕を噛んだ。男は同じように兵助を刺すだろうと思った。だが、そのまま腕に抱きしめて、優しく頭をなでた。
「よしよし、もう大丈夫だから手を離しなさい」
兵助は胸に抱かれながら、ほっと息をついた。途端、緩んだ手のひらからぽろりと短刀は零れ落ちた。兵助を抱きとめた男は、土井半助といった。兵助は彼に手を引かれて忍術学園の門をくぐった。対峙した老人は兵助に熱い茶と甘い菓子を与えた。兵助がそれを貪り食うのを黙って見守ると、重たげに口を開いた。
「兵助、お主、力が欲しいか」
「欲しい」
と、綾部は答えた。しれっとした表情だった。世の中のすべてを、等しく価値のないものだと蔑むような、そういう無感情の瞳をしている。それが綾部喜八郎の特徴だった。
ともかく容姿が美しい。少女めいた、華のような、という形容が似合った。
「なぜ欲しい」
問い質す大川に、綾部は返した。
「ではあなたは欲しくないのか」
「綾部、何故忍者を辞めたい」
「つまらなく思ったから」
「何を」
「わからない。けれど、とてもつまらない」
綾部は前日、実習でひとり同級生を殺していた。実践演習中の不意の事故だった。綾部はそれなりに実力があった。あったが、あくまでそれなりだったから、不意打ちにあって驚いたとき、力加減がうまくいかず思わず殺してしまったのだ。そのまま綾部はふらりと学園へ戻ってきて、手を二重にも三重にも洗い、布団を敷いて寝た。ぐっすりと眠り込んだあと、目を覚まして、学園長のもとを訪れ、
「学園を辞める」
と言い出したのだった。
「力は欲しい。けれど、私はここにいると力の使い方を間違えるような気がする。学園長、あなたは何のために力を欲したのです」
大川は頷いた。「もちろんわしにも理由はある。だがそれはあくまでわしの理由じゃ。お主はお主の理由を求めねばならん。それまではここにおるがよかろう」
タカ丸が目を開いたとき、最初に目に飛び込んできたものは苦無だった。己の首筋に押し当てられていた。本能的に逃れようとして身体を揺すると、がっちりと腕に抱きとめられていて身動きが取れない。
「目を覚ましたか、久しぶりだな」
耳元で低い声がした。タカ丸は息を呑む。古い、傷となった記憶が脳裏に蘇った。勝手に動機が早くなって、嫌な汗が全身から噴出した。
「・・・あ、」
「約束のものを取りに来たぞ。斉藤幸丸が持ち出した我が城の宝、返してもらおうか」
「・・・そんなもの、俺、知らない」
ゆるゆると首を振っても、相手の忍者は聞く耳を持たなかった。奪われた巻物と、歌。今は亡き幸丸からタカ丸が受け継いだものは、そのふたつだけだ。そのふたつがどんな意味を持つのかは、タカ丸さえ知らなかった。
「タカ丸さん、伏せて」
ふと近くで声がした。誰か知ったものの声だと認識して、慌てて身をちぢ込ませる。伏せた頭の後頭部を、さらに何者かにぐいっと勢いよく下に押し付けられた。
キンッ、と鋼同士がぶつかり合う音。ちいっ、と男の舌打ちが聞こえた。タカ丸が瞳を開けると、男の足首に縄標が巻きついている。中在家長次の仕業だ、とタカ丸はすぐに認識した。
「雷蔵。かまわん、へし折れ」
長次の低い声が飛んだ。「はい」と頭上からいつもは穏やかな声が少し震えて聞こえてきた。それは確かに雷蔵のものだった。「ぐうっ」と男の短い悲鳴。タカ丸の耳元でぽきっと小さく骨の軋む音がした。タカ丸は目を見開いて息を呑んだ。殺すのか。雷蔵は、殺すのか、この男を。タカ丸の脳裏に、冷たい過去の記憶に重なるように雷蔵の笑顔が浮かぶ。いつも親切そうな笑みを浮かべて、皆に慕われている。そうして、今日もいい天気ですね、とか、夕日が一段と綺麗ですね、とか、庭に菫が咲きましたよ、とそんな小さなことをとても喜ぶ。
殺させては駄目だ。タカ丸は強く思った。
タカ丸は懐に腕を忍ばせてようようの態で苦無を取り出すと、後ろ手で男と思われる身体の肉を刺した。
「うっ」
短く男が息を呑んだ。そうして、男の腕がわずかに緩んだかと思うと、強くタカ丸の首を絞めた。
「・・・ぐっ、」
「タカ丸さん!」
雷蔵は押さえつけていた腕を放すと、苦無で男の肩を刺した。男の腕が弱まる。タカ丸は男の身体を押しやるようにして慌てて男の拘束から逃れた。そうしてそのまま逃げ出した。
女の着物は裾が足に絡み付いて動きづらいことといったらなかった。だが、後ろも振り返らずにタカ丸は逃げ出した。
「先輩、タカ丸さんを追ってください!」
雷蔵が鋭い声を上げた。中在家は無言で首を振ると、縄標をぐいと引っ張った。男の身体が傾いで地に倒れる。
「いや、あとは俺がやる。不破、追え」
「いえ、できます。僕にやらせてください」
「駄目だ。追え」
駄目だ、という一言が雷蔵には重くのしかかった。殺すことに躊躇をした。それを責められているように感じたのだった。
「追え」
声を重ねられて、雷蔵は身を翻した。
背中越しに、ぼきり、と嫌な音が響いて、男の悲鳴はやんだ。
(力が欲しい)
雷蔵は思った。いざというときに躊躇しない心の強さが。欲しい。
もうちょっとだけ続く。
試験で祭りにいけないというのは嘘ではなかったのだ。
竹谷の中で、嘘になってしまっただけで。
試験が終わったとき、時計の針は八時ちょっと過ぎをさしていた。今から祭りに行こうか、そうしたら竹谷にも会えるかもしれない。そう考えて、しかし食満はふと思考をやめた。なぜ自分はそこまでして竹谷のそばにいてやらなくてはいけないと思っているのだろう。出会ったころから何においても竹谷を優先して面倒を見てきた。それは相手が病気の人間だという労りの心からだろうか。それとも、自分が世話好きな性格だからか。そのどちらもあるだろう、しかし、それだけが理由ではないように思えた。なぜだなぜだ、と考える。心が、竹谷のもとへ行きたがっている。だが冷静に考えれば、竹谷は今日は後輩と祭りに行くといっていたのではなかったか。今から祭りに行って、竹谷に出会えたとして、どうするというのだ。自分はどうしたいのだろう。
もやもやと考え込んでいたら、クラスメイトの伊作が話しかけてきた。外部模試だから周囲には他校の生徒があふれ帰っているのだが、どうやら近所の大学の構内を借り切った広い試験会場で、ふたりは同じ教室だったらしい。
「留さん、お疲れ」
伊作はにこにこと話しかけてくる。
「テストどうだった」
「数学がヤバイ。ありゃ確実に点落ちたな」
「僕は古典だよー。最近調子こいて理数ばっか勉強してたらわかんないのなんのって」
伊作は薬学部志望だ。食満は教育学部。お互いに進路は分かたれていく。田舎だから、伊作とは小学校からの付き合いだ。大学進学は伊作は東京へ行くし、食満も地元を離れる予定でいるから、こんなふうに当たり前に会話をするのも今年が最後だろう。人は、成長していくなかで必ず出会いと別れを繰り返す。
「いい判定もらえてる?」
「BとCを行ったり来たりって感じだな」
「僕なんかDもらうこともあるよ」
食満がかばんを持ち上げると、伊作は「あ、そうそう」と思いついたように行った。
「知ってる?今日諏訪部神社の祭りやってるよ」
「おう。毎年行ってる」
「え、ほんと?僕行ったことなくてさ、留さん、よかったら一緒に寄ってかない?」
「いいけど、終わりかけだぞ」
「いいよいいよ、一回くらい行っときたいんだよね。ほら、地元離れる前にさ」
祭囃子が聞こえる。橙の裸電球が境内沿いに社まで続いて、ずいぶんと賑やかな様相だ。祭りに行くといったら、孫兵の母親は、わざわざ浴衣を出してきた。
「いいよ、洋服で」
孫兵が嫌がるのを、「せっかくだから」と行ってきかなかった。昔から孫兵の母親は、孫兵が外へ出て行こうとするのを喜ぶ。
「お祭り、誰と行くの」
「・・・竹谷先輩。覚えてる?小学校のときよく遊んでもらった、」
「ああ、懐かしいわね。引っ越しちゃった子でしょう?元気なの?」
「うん」
「今は高校生ぐらいか。腕白な感じの子だったから、さぞ育ってるんでしょうね。祭りが終わったら連れてらっしゃいよ」
「う~ん・・・先輩こないと思うから」
「なんで、誘ってみなくちゃわからないじゃない」
「うん・・・」
孫兵の消極的な返事を、母親は不思議に思ったようだった。
竹谷とは境内にある大きな杉の木のもとで待ち合わせをした。竹谷は子供用の甚平に下駄を履いていた。
「あっ、お前浴衣だな!」
「はい。先輩も甚平ですね」
「久々知が着てけってさー。なんだか知んないけど、祭り気分を味わうためだってさ」
「涼しくていい感じですよ」
「ま、涼しいのは確かかな」
ふたりで連れ立ってぶらぶらと境内を歩く。時々屋台を冷やかして、竹谷が射的をやったり、金魚掬いをやったりした。孫兵は隣を歩いて、食べ物を買っては竹谷に分けている。
「先輩焼きソバ食べませんか」
「お前が買ったやつだしお前が食ったらいいのに」
「でも僕、腹いっぱいなんです」
「ならなんで買うんだよー」
「なんでだろ、先輩なら食べるかなーと思って」
「まあ、いいんならもらうけど」
「どうぞ」
プラスチックパックにつめられた冷たい焼きソバを竹谷が割り箸で持ち上げては口に運んでいく。小学生にしては上手に食べていくのを、孫兵はぼんやり見ている。
「孫兵、」
「はい?」
「別に敬語使わなくていいぞ、くすぐったいし」
「だって、先輩だから」
「先輩じゃねーよ。俺のが後輩じゃん」
「・・・」
「小学生にさ、敬語なんて使わなくっていいって。変な目で見られるぞ」
孫兵は何もいえなかった。竹谷はごちそうさまでしたと丁寧に手を合わせると、空きパックを自分のかばんに詰め込み、そのまま孫兵の手を引っ張った。
「たくさんいるからなー道に迷うなよ」
そのお兄ちゃんぶった姿を、すれ違った少女たちが「かわいい」と笑い声を上げていく。だけど孫兵は笑えなかった。