25.忍びの覚悟
豪徳寺が焼け果てことは、あちら側にもそろそろ知れ渡っている頃だろう。誰かが必ず、巻物の確認に来るはずだ。そこを討つ。これ以上の手間はかけられん、一気に仕掛けてとっとと終わらせる。いいな?
***
それぞれが作戦に向けて行動を開始すると、伊作は再び茶屋の二階に上がった。六畳ほどの部屋の隅に、ひとりの少年が壁にもたれるようにしてぼんやりと座っている。市井で求めてきた安い着物を着て、肩に綿入りの半纏を引っ掛けていた。伊作が部屋の敷居をまたぐと、少年の放心したような虚ろな瞳が、ふと彼を見上げた。
「タカ丸さん、辛かったら寝ていてもいいですよ」
タカ丸はのろのろと首を横に振る。ひどく疲れた表情だった。出血のせいで血の気が引いた顔は、青白く、唇も紫色に染まっている。真冬の河に落ちたことで、身体もひどく冷やした。だが、伊作が言うには、河が凍りつかんばかりに冷たかったせいで出血もすぐに止まったのだそうだが。
「背中は痛みますか」
「・・・ねえ、どこへ行っていたの。みんなはどうなったの」
「作戦の練り直しです。大丈夫、じきに終わりますよ。あなたはゆっくり休んでいればいい」
伊作は膝をついて火鉢をかき回す。ふわあと火の粉が上がった。店主に求めた白湯も、伊作が用意した薬も、どっちも手付かずのまま火鉢のそばに除けてあった。白湯はすっかり冷えてただの水に変わっている。伊作はそれを見て溜息をつくと、タカ丸を振り返った。
「飲まなければ酷くなりますよ」
「僕だけそんな・・・できない」
「そんなってなんです、何ができないんですって?」
タカ丸の瞳が潤んだ。「だって、」声が震えている。
「だって、食満くんに人を殺めさせてしまった。僕のせいで、・・・不破くんにも、恐ろしいことをやらせようと・・・僕のせいで、僕に力がないせいで。僕だけこんな、無様に生き延びてしまって、こんなところでぬくぬくと・・・できるわけない」
ぽろり、とタカ丸の瞳から涙が零れ落ちた。伊作は膝を進めるとタカ丸に近寄り、手のひらをかざしてその頬を張った。パシン、と乾いた音がして、タカ丸は驚いたように伊作を見つめた。伊作は声こそ荒げたりはしなかったが、静かに怒っていた。鋭い視線でタカ丸を見つめ返すと口を開いた。はっきりと、ゆっくりと、タカ丸の心臓に打ち付けてでも行くかのように言葉を発した。
「貴方は、僕たちを舐めているんですか」
「・・・いさ、」
「僕たちはまだ未熟だけれど、忍者です。食満も不破も、そんなことは覚悟済みだ。学園に入ったときから、とっくに覚悟を決めていなきゃいけないことなんです。貴方にそれを哀しむな、とは言わない。貴方が哀しんでくれることで、辛い覚悟を堪え忍んでいる人もいるから。だけど、そんなことを気に病んで、貴方が負い目を感じるのは間違っている。貴方も、日は浅いけれど学園に籍を置いた一人の忍たまでしょう、覚悟を決めてください」
「覚悟、」
伊作が頷いた。
「人のために己の手を汚す覚悟。それから、自分のために誰かの手を汚させる覚悟」
タカ丸は息を呑んだ。そのまま、無意識に身体が逃げようとするのを、伊作がしっかりとその手を握った。熱い、とタカ丸は呟いていた。彼の冷え切った手のひらに伊作の手はあまりにも熱かった。
「生き抜く覚悟をしなければならない。忍者はぎりぎりまで自分の命を諦めないんです。自分が死ねば、そのぶん戦力が欠けますからね。理想のためにその身を犠牲にするとかなにかに殉ずるなんてそんなことをしてはいけない。ぎりぎりまで足掻くんです、しぶとく生き残ろうともがくんです。そのために誰が手を汚したって辛い思いをしたって、必要以上にそのことを気負ってはいけない。貴方が生きていることでその誰かは報われている、そう考えてください」
タカ丸は眉を寄せた。酷い覚悟だと思った。「できませんか?できないなら早々に学園を去ったほうがいい。まがりなりにも六年在籍した僕からの、おせっかいな忠告です」
伊作の言葉はどこまでも遠慮がなかった。優しい雰囲気を纏った男だけれど、誰より芯が強い、とタカ丸は思った。伊作は、おそらくは学園の生徒のなかで最も死体に出会ってきた男だった。
「食満や雷蔵に報いたいと思うのなら、薬を飲んでください。そして、ゆっくり身体を休めて、出番までになるべく回復しておくんです。貴方が体調を酷くすると、仲間に迷惑をかける。わかりますね?」
タカ丸はそろそろと頷いた。伊作はにっこりと微笑む。それから、タカ丸に向かって頭を下げた。
「貴方の優しさにひどい口を利いてすみません」
タカ丸はふるふると首を振った。口を開こうとしたら、伊作は先に言葉を吐いた。
「果報です。取り返しましたよ、貴方の巻物。今は作戦のために潮江がもっていますが・・・事が済めば貴方にお返しします」
タカ丸の頬に朱がのぼった。
「巻物が見つかった、・・・本当に?」
「はい」
「ありがとう」
声が震えてうまく礼がいえなかった。タカ丸はありがとう、ありがとう、と何度でも言葉を繰り返した。幼い頃の恐怖に縛られていた自分が、ようやっと、消えるかもしれないと思った。伊作は微笑んだままだった。
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