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蛇と蝶々

孫竹よ増えろという願いを込めて。


孫兵は時々人に酔う。長い時間ひとの群れの中にいると、中てられる。孫兵からしてみれば、人間は、毒虫なんかよりもずっとずっと面倒な毒を持っている。妬みやら嫌悪やらそういうものを抱いて平気で美しく微笑むことのできる複雑怪奇でなんて判り難い生き物。孫兵とて人だから、そうした人の在り方を責めるつもりはもちろんないし、ひととはこうあるべきだ、などというもったいぶった偉そうな講釈をたれる気もない。そもそも孫兵は、毒虫ならともかく、こと人に関してはたいした理想もないのだ。いや、そもそも興味がない。人が毒虫を見て、ああ、毒虫だ噛まれぬよう気をつけなければ、それにしても、ああ、この乳白色の蛇腹に赤黒い鱗が気持ちが悪い、などと観察してそのまま離れ、自分に実害なくば遭ったことをすぐ忘れてしまうように、孫兵にとっては人間がそれに当たるのである。しかし、ひとといると、時たまひとに中てられて、ひどく気分が悪くなる。
孫兵は打ちのめされたような気分で、長屋の廊下をふらふらと渡っていた。
昼間の長屋は全員が出払っているから、ひどく静かだ。
ひたひたと足音を立てず歩み行けば、鴬張りの床板がぎしぎしと鳴る。その音を聞きながら進んでゆくと、やがて廊下の先に虫籠を見つけて、孫兵はア、と思った。竹ひごで作られたそれは、簡素なつくりをしているけれどもとても丁寧で丈夫につくられていて、使い込まれて飴色に光っていた。それは竹谷のものだった。昔、食満に作ってもらったのだといつかに自慢げに話してくれたっけか。それは五年の長屋に続く廊下の岐路にぽつんと置かれていた。
今は籠の中に、青い羽を広げたるりしじみが捕らわれている。
孫兵は少し遠いところからそれを眺め、やがて近寄った。ははあ、先輩、日光浴のつもりでこんなところに出しっぱなしにしたのだな。ひねもす日に当てられ続けているのもかわいそうだ、籠に薄布でも被せてやろうかと孫兵と近づくと、ふと右に別れた廊下の向こうからひそひそと声がした。それは、六年の長屋だ。生徒たちの休日は原則一斉に設定されているけれども、六年生ともなると個人のプログラムが多くて休日も個人的でまちまちになる。誰かが休みで、部屋で話し込んでいるのだろう。孫兵はそう思って、気にも留めなかった。
竹ひごに指先が触れたとき、ふいに竹谷の声がした。孫兵はびっくりして、心臓を冷たい手でぎゅうと引っ掴まれたような驚きでもって、顔を上げた。先ほどの部屋からだ。六年の誰かの部屋に、竹谷が遊びに来ているらしい。孫兵は、眉を潜めて下唇をかんだ。六年の正体は、いわずとも知れたと思った。
(――食満先輩)
そのひとは、竹谷と懇意にしている六年だった。孫兵はたいした繋がりもなくあまり話したことはない。鋭い印象の男で、瞳やら顎の形やら、みんな細く尖っていて、鋭い。そのくせ、性格もそうなのかというと、同級生の潮江相手にはよく突っかかっていくが、後輩にはひどく優しいらしい。しんべヱと喜三太がよく懐いて、という話を虎若と三治郎から聞いたような覚えがある。竹谷と食満がいっしょにいるところを、孫兵はほとんど見ない。ふたりっきりで仲がよさそうにしているところなぞ、今の今まで終ぞ見たことはなかった。しかし、竹谷の言葉からはよく、食満という言葉が出た。食満先輩が、食満先輩から、食満先輩の・・・。それで、孫兵は竹谷と食満は仲がいいのだろうということを知ったのだった。
「ねえ、先輩ってば」
竹谷の声はどこか拗ねたような甘えたような響きをはらんでいて、孫兵はひどく戸惑った。孫兵の知らない竹谷が其処にいる。くすくすと、小さくふたりぶんの忍び笑いが零れて、孫兵の足元まで廊下を転がって行く。
「駄目でしょう、そんなんじゃあ」
「でもな、お前、」
「ほんとうにしようのないひとだなあ」
孫兵はひどく頭が痛むと思い、ああ、そういえば自分はひとに酔っていたのだったと思い出して思い溜息を吐いた。足元のるりしじみが美しい羽根をふわんふわんと動かした。唐突に、孫兵は理解した。ああ、これはもしかして、食満のものになるためにここに置かれているのではないか。
ひどく美しい蝶だった。これを捕まえていたときの竹谷の指先を思い出す。壊さないように、いとおしむように、細心の注意を払って動かされた指先。その指が綺麗だと、孫兵は瞳を細めてじっと見守っていた。
ああ、あの指先は、食満のためのものであったのか。
孫兵はひどく落胆した気分で、首に巻きついたジュンコを撫でた。やっぱり、ぼくにはおまえだけのようだよ。ジュンコが口を開けてちらりと赤い舌を覗かせた。ねえ、あなた、そんなものは食べておしまいなさいよ。そういっているようだった。孫兵はそろそろと息を呑んだ。ジュンコが身体を伝ってしゅるしゅると廊下へ滑り降りてゆく。孫兵の意識を読んだように、音もなく、ひそやかに。
小さな竹かごに、ジュンコは顔を突っ込んだ。それから、くわ、と大きく口を開けた。るりしじみはぱくんと吸い取られるように奥へ消えた。それだけだった。
孫兵は心臓がひどく大きく脈打っているように感じた。頭が痛い。けれど、芯のほうはすっきりしている。
部屋の奥から、悩ましげな声が漏れた。
「あ、うん、先輩、」
しゅる、と帯を解く音が、蛇の伝う音にも聞こえる。聞きたくないと思って、孫兵はそのまま廊下を引き返した。頭痛がする。けれどもこれは、寝たって治らない。
「ジュンコ、さっさと飲み込んでしまえ、そんなもの」
呟いて、ジュンコを持ち上げて首に巻くと、そのまままた木漏れ日の差す廊下をひたひたと。
歩み去った。
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