伊作、仙蔵、小平太、女体化。
「腹減った」
と仙蔵が言った。文次郎の一歩先を歩いている。
「腹減ったぞ、文次郎。なんか美味い店は無いのか」
「うるせーな。女が腹減ったって言うな」
「腹が減った」
「馬鹿、この猫かぶり!」
仙蔵は文次郎の前でだけ口が悪くなる。とても我が侭になる。文次郎が、「オイ」と立ち止まって声をかけた。仙蔵が振り返る。
文次郎の親指が、くいっ、と通りに並んでいる店の一件を指差した。それはカツ丼屋だった。
キャベツおかわり自由、と張り紙がしてある。
「女をカツ丼屋に誘うな、阿呆。やり直しだ」
仙蔵の容赦ない蹴りが飛んできた。
「ちょ、う、じーッ!!」
放課後を過ぎて下校時刻の音楽が流れ始めるころ、土ぼこりにまみれた少女が図書室に駆け込んでくる。長次は読んでいた本を閉じた。今は、カミュの『異邦人』を読んでいる。
「部活終わった!帰ろう!」
高いところで結ったポニーテールがふわんと揺れている。汗と土の匂いがする。それから、制汗スプレーの偽物めいた強い甘い匂い。初めはそんなものつけなかったのに、伊作か仙蔵かにつけろと言われたらしい。
「汗の匂いそのままにして長次のところいくなんて恥ずかしくないの!」
別に恥ずかしくないもーんと笑っていたはずが、どういう心境の変化でつけはじめたのだろうか。長次は聞いてみたくて仕方がないような気がしている。
玄関を出ると、もう七時を過ぎているのに、夕陽が眩しかった。
「腹減ったなあ、長次、なんか食ってこー」
「・・・」
小さく呟かれた声に、小平太ははじけたように笑った。
「女をカツ丼屋に誘うやつなんて最低だって仙ちゃん行ってたぞー!うん、まあ、カツ丼食いにいって喜ぶ女なんて私ぐらいのもんだな。長次、私以外の女カツ丼屋に誘ったら駄目だぞ!」
長次は夕陽に目を細めて低く呟く。
「ああ。お前だけだ、お前だけ」
「カツ丼食いに行くか」
と食満が言ったので、伊作は笑ってしまった。なんだ、と目の前の男は不審な顔をする。
「いやさ、この間のカツ丼談義を思い出したから」
「?」
「仙蔵が女をカツ丼屋に連れて行くことをどう思う、というからさ、そのことについてこの間は盛りあがったのさ。小平太は自分は誘われたら嬉しいといって、でも仙蔵は最低だというから」
「お前はどう答えたんだ」
「うーん、誘われたことは嬉しいけれど、カツ丼屋というのがロマンの欠片もなくて嫌だねといった」
食満は胡乱な眼をして伊作を見た。
「何言ってやがる、お前が。ロマンチックに誘われたきゃ内省してからにしろ」
「あはは、そりゃそうだ」
伊作は笑いながら、持っていた石焼いもをほっくりと食んだ。
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