⑰忍術学園の客人、そして、過去と秘密
一方その頃。
忍術学園にひとりの客人があった。事務員小松田秀作はいつものように、まるでそれが彼の宿命であるかのように入門票を抱え忍術学園の門を守っていた。そして、その客人を見るなり、人懐っこい笑顔を浮かべて
「お久しぶりです」と頭を下げた。「お久しぶりです、斎藤君のお父さん」
*
「いやはや、忙しいところを突然御呼び立てして申し訳ありませんな」
忍術学園学園長大川平次渦正は皺に隠れた顔をニィ、と笑わせ、小さな身体を屈託なくぺこりと折った。対面する客人は、斎藤タカ丸の父、斎藤幸隆である。艶やかな目元をした男で、顔の作りはタカ丸と似ていなかったが目元のあたりの不思議な艶が同じだった。幸隆は同じように低く頭を下げると、それから真っ直ぐ顔を上げて翁を見た。
「息子のタカ丸がいつもお世話になっております」
「ああ、いやいや。彼もなかなか学習を楽しんでおるようで。好奇心旺盛で、学ぶ態度が素直で大変よい」
「素質はございますかな」
幸隆はそういう言い方をした。つまり、忍者に向いているか、ということである。だがこの場合、オールマイティーになんでもこなせる忍者、と教義の意味で捉えたときには、大川は首を横に振らざるを得ない。タカ丸の年齢では既に運動技術の大半は出来上がってしまっていて、今更練習して体術や素早い身のこなしを見につけられるかといえばその可能性はほとんどない。だがそうした期待は、よもや幸隆もしておるまい。大川にはそれが分かっていたから、
「さよう」
と深く頷いた。
「素質はありまする」
幸隆は嬉しそうな表情はしなかった。長い息をひとつ吐いて、瞳を閉じた。
「私はできることならタカ丸を忍者にしたくはなかった」
庭の獅子脅しが長く響く。大川は茶を啜った。幸隆の茶はまだ一度も口がつけられないままだ。冷えたろう、と思った。だが新しいものを持ってこさせるわけにもいかない。
「七つの旋毛の男の件は、まったく失敗でした。タカ丸に知られるような事故でもなければあんなものはこちらで処理をして絶対に気づかせなかった。使者殿が何を血迷うたかタカ丸に声をかけましてな、”よう忍んで居るか”と。全く余計なことをしてくれる。あれは鈍感だが、分からぬ知らぬことを聞くとそれを知ろうとする好奇心の強さがある。すぐに私のところへやって来て訊いました。”忍んで居るか”とはなんだと。本当のことを答えずには済みますまい」
「そしてあなたは忍者の家系であることを忘れた振りをなさったのか」
幸隆はニィと笑った。
「タカ丸は忍者にならずともよい。父の幸丸は生前くれぐれもタカ丸に闇の道を歩ませるなと強く私に言っておりました」
「だが、そろそろ彼も負うた宿命から視線を外し続けるというわけにもいきますまい」
大川は立ち上がった。障子を閉める素振りをして、外の様子を窺う。そこに何の気配もないことを確かめると、部屋を締め切り、声を潜めた。
「タカ丸が何者かに狙われておる」
幸隆の瞳が剣呑に光った。タカ丸に何かあればお前をどうにかするとでも言いたげであった。
「六年の任務としてあります」
「生徒で事足りますかな」
「事足る。――と思うております」
「タカ丸は幸丸の生前にも一度狙われました。幸丸は我が系譜の秘密を守るのに、何も知らぬタカ丸を使いました。実は幸丸は以前勤めていた城のある重要な内部事情に深く絡んでおります。その詳細は私も知らない。タカ丸だけが知っている。タカ丸もそうと気づかぬ方法で幸丸が教え込みました。恐らく今回タカ丸を狙って居るのもその秘密を知りたがる者が正体でしょう」
「抜け忍の捕縛ではない?」
幸隆は小さく咽喉を鳴らす。「抜けておりませんからな。抜け忍の捕縛など、来る由もない」
「生前に一度狙われたと仰ったが」
「そうです。十になったばかりのころだった。タカ丸にはかどわかしに会ったのだ、とそう教え込んであります。だが事実はそうではない。何も知らぬ”と思っている”タカ丸から情報を聞きだそうとした。そのときひとつ、巻物を奪われている。だがそれだけ持っていてもあまり効果のないものだから、そのときは放っておいた。いつ他の巻物を奪おうとしても不思議でない」
「他の巻物」
「つまり、タカ丸のことです。奪った巻物を読み解くには、タカ丸のここがいる」
と、幸隆は長いひと差し指で、己のこめかみをとんとんと叩いた。
祖父に抱きかかえられ生還したタカ丸は泣いてはいなかった。蒼白な顔で、黙って震えていた。歯を食いしばっていて、それをやめさせるのに苦労をした。強く握りこんだ拳も不自然に力が入って解かせるのに苦労をした。
「タカ丸、怖かったな」
幸丸の腕から抱き取ったとき、タカ丸はようやくぽろりとひと粒涙を零した。
「怖かったな」
「・・・ごめんなさい」
「タカ丸は悪くない」
「ごめんなさい。じいちゃんにもらった、あの綺麗な巻物、とられちゃった」
幸丸の瞳がタカ丸の見えぬところで鋭くなった。だが口調は何処までも柔らかく、「なあに、いいのさ」といった。
「綺麗な絵が描いてあったからタカ丸にあげただけだよ。また別の、もっと綺麗なのを買ってあげよう」
「ごめんなさい。あれに描いてあったのは、俺の、ば」
「タカ丸」
幸丸の声が制した。低くゆったりとした口調だったが有無を言わせぬ重みがあった。タカ丸は口をつぐんだ。
「でも、歌は言わなかったよ」
「そうか」
幸丸は頷くと、何処ぞへ出かけていった。母親が来た。そのときはもう病気にかかっていたが、よろよろと走り寄ってきて泣きながらタカ丸に頬ずりした。
「タカ丸、」
その柔らかな声に誘われたか。タカ丸も声をあげて泣いた。
「怖かったよう」
背中を切られた、といった。伸し掛かられて、背中を切られた。
また来る、と男は言った。
(タカ丸、必ずお前とまた会うよ。)
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