現パロ。へーすけとたかまる。
寮で一番不可解で厄介な規則といえば、携帯電話の使用が一切禁止されていることだろう。このご時勢に、それはあまりにもあんまりだ。近頃寮の使用者が、存続を危ぶむほどにめっきり少なくなっているのは、ひとえにこの規則の存在が要因になっているのだと、寮生たちは口をそろえて言う。教師陣に文句を行ってみても、誰もが「それは確かになァ」と苦笑いで同情してくれる。だが、何度学園長に掛け合ってみてもいっこうに規則改定は行なわれない。横暴だ、職務怠慢だ、ワンマンだ、独裁政治だ、ファシズムだと罵り声を上げても、学園長のお気に入りの汚い柴犬”ヘムヘム”が、どことなく意地の汚い鳴き方で、かわいそうな寮生たちを嘲笑うだけだ。そんなわけで、寮生が電話をしたいときには、休憩室の廊下に並ぶ公衆電話を使うしかない。しかもきっちり10円を請求するのだから性質が悪い、強欲だ。
久々知兵助がその男を見かけたのは、今はもうほとんど使うもののないテレフォンコーナーの一角だった。立ち並ぶ緑色の大きな電話器に向かって、すらりとした長身が、項垂れている。ぼそぼそと、潜めた声。アシンメトリーな、多分にファッション性の高い独特の髪型に、金髪。編入生として全校集会でタカ丸が紹介されたとき、まことしやかに、「学園長、よくあんなの入れたなあ」と囁かれたものだ。どう見ても校則違反の彼は、しかし、見過ごされているのか、咎められても反抗しているのか、ともかく変化のないままだ。派手めな容姿をしているくせに、変なところで律儀なのは、例えばこうしてきちんと公衆電話を使ってしまうところだろう。寮生は、誰もがこっそり携帯電話を持ち込んで、使っている。むろん、兵助も持っている。部屋の、鍵つきの引き出しに入れてある。携帯電話というのに持ち歩けないのが不便だが、まあ、部屋で電話が出来るのは助かる。この年になれば誰にも聞かれたくない電話だってする。
公衆電話の10円は、すぐに切れる。入学当初は兵助だって律儀に使っていたのだからそれくらい知っている。タカ丸は、大きな掌で10円玉を幾つも包んで、こまめに継ぎ足しては会話を続けている。
「うん、・・・そうだね、そう。あはは、うん、それはわかってるよ」
笑う表情は、苦笑に近く、穏やかな声の割りに華やかさがない。兵助はなんだか不穏に思ってしまって、思わず彼のほうへ歩み寄っていた。
「うん、うん、大丈夫。なんも心配ないよ、ありがと」
何となく、電話の相手は年上かと知れた。話の内容というより、声が、甘えていた。このひと甘えると掠れたようなふうになるんだなあ、とぼんやり兵助は思う。隣で立ち尽くしていたら、タカ丸が兵助の肩を叩いて、ごめん、と、それから10円玉頂戴のジェスチャーをした。兵助はすっかり慌てて、さっき風呂場の自販機で受け取ってきた釣り銭をパジャマ代わりのジャージの尻ポケットからそのままつかみ出す。タカ丸の前でその掌を開いたら、タカ丸は長い指で、10円玉を一枚掴んだ。
「あ、ねえ、優ちゃん、ちょっと待って!」
タカ丸は切羽詰った声をあげると、そのまま声を低く低く抑えた。
「優ちゃん、まだしっかり言ってなかったから、その・・・結婚おめでとう。結婚式行けなくてごめんなさい、またおめでたい話しあったら教えてね、そんときは俺、今回の分も合わせてめちゃくちゃ盛大にお祝いするつもりでいるから。…えー、次来るおめでたい話って言ったらアレしかないじゃん。あー、ははは。ともかくおめでとう、俺、ほんとにおめでとうって思ってるからね。やだなあ、そこで謝らないでよ、俺かっこ悪いじゃん。じゃあねー、優ちゃん、お幸せにね。うん、…ばいばい」
ばいばいと言ってから、しばらく、タカ丸は受話器を握ったままただ黙って立っていた。向こうでプチと電話を切る気配がして、それからようやく振り切るように重たい緑色の受話器を置いた。
「ごめんねー、独占しちゃってて。次どうぞ」
「いえ、別に、使うわけではないんですけど」
「あれ、そうか、使うんだったら隣とか使ってるよねえ」
笑うタカ丸に兵助はぽり、と首筋をかく。
「10円・・・」
「あ、ごめん!さっきはありがと。今千円しかないからどっかで崩してくるよ、待ってて」
「いえ、いいんですけど、あの、携帯もったらどうですか」
「でもここ、携帯禁止なんでしょう」
「みんな持ってますよ、内緒で」
「えー、そうだったんだ」
タカ丸の瞳がぱちりぱちりと大きく瞬きする。いわゆるギャル男のような風貌で、そのくせ仕草はやけに子どもっぽいところがあるのだな、と兵助は観察する。謎の編入生には、他の生徒同様兵助にもそれなりの興味はある。
「ここくる時うちにおいてきちゃったよ。おかげで恥ずかしい会話聞かれちゃった」
兵助を見て、はにかむ。兵助はいまいち言わんとしている事がわからなく、はあ?と曖昧に頷いただけだった。タカ丸はバツの悪そうな表情で、告白する。
「失恋電話だったんだよねえ、今の」
「は、は、あ…?」
話の流れについていけない兵助の肩に手をおいて、深く項垂れる。
「と、いうわけで、ひとりで泣いていい場所教えてください~」
言葉の最後は啜り泣きですでに潰れてしまっていた。兵助は大きな瞳を瞬かせながらも、ようよう、
「じゃあ、俺ン部屋でも、来ますか?」
呟いていた。
大人虎伊。
伊助は稼業の染物屋継いでいます。虎若も佐武村の鉄砲隊で活躍しています。
虎若は戦場から帰ってくるといつも真っ先に伊助のもとを訪れるよという話。
虎若は、低く殺したような息を漏らして、伊助の手首を掴んだ。
手を引き寄せられ板の間の上に転がされる。視界の端に水桶と、その中から手拭いを取り出す虎若の手が見えた。軽く絞った布を片手に虎若が改めてにじり寄ってくる。僅かに腰を上げさせられる。意図を察して、伊助が反射的にその手を押し留めると、虎若は愚図る子供を相手にしたような、それでいて、嫌がる相手を捻じ伏せる快感を知っているような、奇妙に優しい笑みを口元に浮かべた。ごねるなよ、と声にも苦笑が滲む。
「あいにくと滑りを良くするようなもの、何も持ってないんだ。だけど、多少湿らせた方がましだろ、多分」
返事の代わりとして、伊助はふうと息を吐いた。虎若は、激しい戦に駆り出された後は、いつも決まって伊助のもとを訪れる。そうして伊助を食いたがる。求められることに否やはないが、戦神にとり憑かれた虎若は、平生と違ってただただ激しいから、伊助としてはそういうときの彼に抱かれるのはあまり好きではない。興奮を収めるためとはわかっていても、体が壊されそうなほどに乱暴に揺さぶられれば、もっと理性から離れた根源的な感情の部分で、この男を怖いと思う。己の声が届かぬのではないかと畏怖する。けれど、虎若を戦神に連れて行かれたままなのも嫌なのだ。
伊助は忌々しい気持ちで手を伸ばし、視界を覆う虎若の顔の右頬を緩くつねった。どう曲解したのか其れを是と解釈したらしく、虎若は濡れた布を、伊助の股下、更に奥に宛がってくる。後孔に湿った布の感触がゆっくりと押し付けられ、徐々に指で押し込まれる。内側を撫でるように清められ、濡らされる。快感というよりはむず痒い、嫌悪に近い感覚が腰から背筋に這い登って、伊助は虎若の剥き出しの肩に爪を立てた。非難の意図もある。虎若は、同情するような様子で「気持ち悪いか、」などと気遣ってきて、その可笑しな優しさが、この時の伊助には気に食わない。
布は奥までは上手く押し込めなかったのか、指だけが、深く挿し入れられ、内側を撫でる。深い位置で虎若の中指の先が小刻みに蠢いて伊助から快感を引き摺り出そうとしている。下腹部に何かが滲み出すような、そんな官能の気配がして唇を噛み締めた。何度も何度も虎若の指先が腹の裡を擦り、時折指を曲げて引っ掻くので、徐々に身体の力が抜けた。解される時に感じるのは、いつも快感というよりは脱力だ。空いた方の手が伊助の口元に宛がわれる。太い指がやんわりと口内に差し入れられ、伊助はそれを軽く噛んだ。虎若は意に介さず、やわっこいなあ、と虎若の国の言葉で零しながら、頬の内側の肉を、そして下での体内をまさぐる。しみじみしたような長閑な呟きに、しかし、隠しようのない獣の気配が滲んでいる。彼の大らかさに取り残されたように、或いは添うように、剥き出しの本能が瞳の奥に熱く潤みながら浮かんでいる。顔を持ち上げて視線を注げば、虎若の中心は、申し分なく熱り立っていた。
埋めていた右の指を引き抜き、布も引き出して、伊助の唾液に濡れた左の指を今度は二本、伊助の後孔に埋める。わずかに曲げた指先で何度も何度も同じ場所を擦られる。腰が自然と浮き上がるような気配を感じながら、伊助は手を伸ばした。虎若の凶暴に手を触れる。肉塊とは思えぬ歪な形、輪郭を撫でる。日焼けして浅黒い肌とも違って、其処は赤黒くて、疲れ皺けた肉の色をしていて、奇妙なものだと、自分も持っているものなのに呆けたような感想を抱く。虎若が二本の指を引いて、今度は三本に揃えて改めて押し込んでくる。息を引き攣らせた瞬間すぐに引き抜かれた。にじり寄った虎若の切っ先が解された場所に押し当てられ、呼吸を整える間もなく其のまま貫かれた。奥まで、一息に埋没する。埋められる。満たされる。ぴたりと閉じていた場所を無理矢理に抉じ開けられるような、それでいて、体内に僅かに生まれて落ち着かなかった隙間を、度を越して満たされたような、烈しい痛みを伴う埋没感。身体が自然にずり上がって逃げようとする。獣の両腕が伊助を押さえつけて、それを許さない。
戦の興奮冷めやらぬ虎若の捻じ込みは、急だった。奥まで収め、その痺れるような圧迫と快感を暫時留まったまま味わってから、動き出す。緩急を意識しない性急なだけの揺さぶりに伊助は引き摺り込まれぬよう手を握り締めた。虎若の肩に、背中に掴まって、遠慮なく爪を立てる。硝煙の匂いが染み付いた肌に疵は多く残っておれど、新しい疵はないようだ。無事に男が帰ってきたことに伊助は安堵する。滑りが足りぬせいなのか、虎若は際まで引き抜いて、一気に突き入れるという大雑把で乱暴な動きを繰り返す。初めは臓腑を叩かれるような衝撃に息が詰まるばかりだったが、徐々に、引き抜かれる際の声が漏れそうになる。快感に、意識が傾き始める。余裕のない虎若の顔にも、引き抜く度に笑みのような、泣き顔のような引き攣りが生じる。怒ったような切羽詰ったような獣の形相が、穏やかな人に戻っていく瞬間が伊助は好きだ。自らも快楽に流されるとその顔を観察できなくなるので、伊助はいつも此岸に留まって、交わりを他人事のような眼で見ていたくなる。
「きつい」
虎若が童のように素直な感慨を口にする。呟きながら、今まで触れることを忘れていた伊助の中心を握り締める。不意の接触に両脚が先端まで痺れたようになって腰が浮く。力が込められ益々締め上げがきついのか、伊助は、恍惚か痛みかに、長く湿った息を吐く。敷布の上に身体を押し付けられ激しく抽迭を繰り返される。茣蓙、布を何重敷いてはいても硬い床板の上。背中に堅い感触。平らな場所に押し付けられて背が、背骨が軋む。
――――不意に、彼がいない間の平穏で退屈過ぎる日常はようやっと終わったのだと伊助は理解した。柔らかな褥の上でなく、余裕のないこんな交わりがなんとも自分たちらしいじゃないかと伊助は苦笑する。逢いたかったのは、伊助も同じだ。否、戦に夢中になっていた虎若より、よほど。自分も相手も交わる前の清めは不十分で、相手に至っては、尋常でない。声は優しく、気性も柔らかに思えるが、彼の本質は優しくとも、戦帰りの彼は、翻って、興奮と衝動のままに自分を犯す。獣の内面を曝け出して伊助にぶつかってくる。受け止めるのは苦しくとも、己しか果たせぬ役目とあらば、嫌な心持がしないのが惚れた弱みというやつだろう。
一度目の限界が近いのか虎若は伊助を抱きすくめ、揺さぶりを繰り返す。繋がった場所に麻痺を感じながら伊助はただ受け止めた。彼の肩口に顔を埋める。
「と、とらわ、か」
舌ったらずな口調で名を呼べば、ふいに鼻を突く、強い香り。血と死霊の気配よりも強く匂うそれは、火薬の匂いだった。狭い平原を焦土と貸した虎の容赦無き火力の、名残。虎若は火縄銃の話は嬉々として伊助に語るけれど、戦場でのことはほとんど語らない。たくさんの血が流れて、人が大勢死んだろう。虎若も誰かを、殺したろう。それでも帰ってきて嬉しい、と伊助は思う。怪我ひとつないことに安堵する。激しく抱き締められている間じゅう、混沌とした薄暗い感情と、理性と、野生に突き動かされ途方に暮れる男を、伊助は許す。お前は何も悪くないのだと、それでいいのだと言い聞かせる。これは、獣が、人間に戻るための儀式なのだ。
一際強く奥まで穿たれて、伊助は男の腰に足を絡ませ、引き寄せた。最奥で虎若が果てる気配がする。低く呻いて自分に縋りつく獣を、心底愛しいと思った。腹の中に温もりが吐き出されゆっくりと潤むような心地がする。背筋を悪寒が、快感が走って、益々強く虎若の腰に足を絡み付かせる。射精しながら責められて強すぎる快感に伊助は目を閉じて耐えている。或いは味わっている。いくさ場での興奮の末、今この男は自分の中で頂点を感じているのだと思うと、凄まじいまでの支配の実感が伊助の中に湧き上がった。分け与えられている、と思う。痛みも苦しみも興奮も、口では決して伝えきれる獣としての領分を、確かに分け与えられている。腰を捕らえ決して引き下がれぬようにしたまま、両手でその顔を挟み、引き寄せる。閉じられた瞼が、ゆっくりと、虎若の為に開く。
「おかえり、虎ちゃん」
「ただいま、伊助」
口付け、口内をまさぐると味がする。虎は、戦場で生者或いは死者を喰らいでもしたのだろうか。虎若の舌は強い血の味がした。