24 ふたりの下級生
タカ丸はひとりふらふらと街を漂っていた。女装束は水に濡れ、肌に張り付いている。ぽたぽたと髪から滴がたれて足元の土を濡らしていく。裸足の足がそれを踏みつけて、タカ丸は先へ進んでいく。どことなくうつろな瞳が、彼が精神的にひどく疲労していることを訴えている。立ち止まって休んでしまえばいいのに、それをしない。どこまでも、あてどもなく、奇異な視線を向けられながら市中をさまよっている。
そうして、ひとつの場所へ着いた。
それは滝夜叉丸と三木ヱ門が突然現れた刺客と刃を交えている場所だった。相当の手誰らしい、ふたりがかりでも決着はいまだついていないようだった。だが、4年といえども優秀な忍たまふたりを相手にして、刺客は押されてきているらしい。三木ヱ門の体術をどことなくふらつきの見える足取りで交わしながら、タカ丸の姿を見つけると、刺客は一瞬いぶかしむ表情をした。だが、標的がふらりと眼前に現れたのだ、すぐに好都合とばかりタカ丸に駆け寄って彼の身体を拘束した。背中に回り、腕をひねり上げると、タカ丸はたいした抵抗も見せずにその場に膝をついた。
「タカ丸さん!どうして・・・」
三木ヱ門が蒼白の表情で声を上げる。いつも朗らかで明るい同級生の哀れな様子に、彼は純粋に怒りをあらわにしていた。刺客は、タカ丸の首筋に小刀を押し付ける。少しでも動けば頚動脈が掻ききられる。そのまま髪を引っつかんで面を上げさせた。タカ丸の血を失って白い顔が、苦痛に眉をひそめていた。その唇の青さに滝夜叉丸も息を呑む。
突然巻き込まれた騒動だったが、滝夜叉丸はこれがタカ丸に関わるものではないかとすぐに勘付いていた。敵の多い忍術学園であるが、差し迫った火種といえば、彼に関わる事がいちばん大きい。以前誰より近くでタカ丸を守護してから、滝夜叉丸は彼の背負っている”やっかいごと”には多少なりとも注意を払っていた。
何が彼をここまで疲弊させたか事情は知れないが、ともかくも今は刺客の腕の内から彼を取り返すのが先決であろう。一分の隙も見逃さぬよう刺客を睨みつけていると、ふと妙なことに気がついた。
三木ヱ門が不信感をもって思考する滝夜叉丸に、そっと耳打ちした。
「おい、どうする」
どうたすける、ということであろう。滝夜叉丸は、眉をしかめたまま、「待とう」と答えた。これには三木ヱ門が声を荒げる。
「怖気たか、滝夜叉丸」
もういい、私独りで行く!と手首の棒手裏剣を引き抜いた少年の肩を、滝夜叉丸はぐいと掴んで引き止める。小声で耳打ちした。
「逸るな!よく見ろ、あれはタカ丸さんではない」
「え?」
三木ヱ門が眉を上げてタカ丸に視線を戻した。
その瞬間だった。グッ、と変な声が漏れた。それが刺客の出したものだとわかったのは、彼の首に縄標が巻きついていたからだった。だが相手もなかなかの実力者で、とっさに首と縄の間に自分の手首を入れていた。ぐいぐいと縄が引かれる。それを外そうともがいたところを、タカ丸が棒手裏剣で小腹を指した。刃は的確なところに打ち込まれたらしい、鮮血が噴出す。滝夜叉丸と三木ヱ門が止めとばかりに戦輪と小刀を投げつけた。
男が倒れる。失血して気を失ったようだった。まだ浅い息を吐いている。
タカ丸がふらりと立ち上がった。
「誰だ」
と滝夜叉者丸が問うのに、「俺だよ」といたずらげな笑みが返される。それはタカ丸の容姿を借りていても、本人では到底浮かべない鉢屋三郎らしい笑みだった。
「蜂屋先輩」
「よく持ちこたえたな」
「「当然です。私を誰だと思っているんですか!!」」
図らずも、滝夜叉丸と三木ヱ門の声が重なった。鉢屋は声を上げて笑ってしまう。
「迎えに来たんだ、力を借りたい」
「タカ丸さんはご無事なんですか」
滝夜叉丸が尋ねた。ひどく思いつめた声音だった。鉢屋はしばし逡巡したあとで、「死んでいない」と答えた。三木ヱ門の顔色が再び青くなる。鉢屋はひどい冗談を言っているのだと、倒れた男を見下ろしている雷蔵を見遣る。さきほど縄標を投げたのはこの男だった。雷蔵の背中はいつまでたっても振り返らない。
隣で滝夜叉丸が呟いた。
「生きているなら、いい」
簡単にものを言う、と三木ヱ門は恨めしい気持ちで彼を睨んだ。
「生きている限りは大丈夫だ」滝夜叉丸は嬉しそうに微笑んで三木ヱ門を見たので、三木ヱ門は何も言えなくなってぶっきらぼうに、ああ、と頷いた。
雷蔵は男を見下ろして小刀を握りなおした。震える右手が恨めしい。いっきに振り下ろしてしまえば仕舞いだと己に言い聞かせて振りかぶった。
その右手首を、背後から三郎に留められる。
「いいよ雷蔵、放っておこう」
「だが仕留めてしまわないと」
「大丈夫だ。もう動けまいよ」
「万が一ということがある」
「雷蔵、殺さなく済むならそっちのほうが好い」
雷蔵が小刀を取り落とした。三郎がそれを拾い上げる。行こう、と肩を叩いて、三郎は歩き出した。雷蔵は大声を上げて泣き出したいような気持ちに駆られたが、任務の途中だからとそれに耐えた。
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