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よいこわるいこふつうのこ

にんじゃなんじゃもんじゃ
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子どもが寝たあとで①

やもめのような食満竹。(食伊がほのかにあるので注意)


伊作と別れた。
いや、分かれたという表現では正確ではない。なぜなら、正しい意味ではふたりは付き合っていなかったからだ。告白だの意思の疎通だのという儀式を飛び越えて、いきなり関係を持ってしまった。
今考えても、どうしてあんなことになったのか、本当に、魔が差したとしか思われなかった。夏の夕べで、縁側に座ったまま伊作が団扇を使っていた。暑い、暑い、としきりに呟く彼の首筋を食満はぼんやり見ていた。伊作はずっと文次郎が好きだった。食満は伊作の想いなどとうに知っていたから、彼も隠すようなことはなくて、よく自分の恋がままならぬのを、冗談めかして笑っていた。「仙ちゃん相手じゃ、僕の微か過ぎるほどの幸運じゃ手が出せないさ」
ごろ・・・と、遠雷が鳴った。「おい、降るから閉めるぞ」と食漫が伊作の背後から障子に手を伸ばした。伊作は、精神的に参っていたのかもしれない、そのまま食満の胸元にもたれ掛かってきた。それが始まりだった。
それから何度か関係を持った。食満は伊作が好きだったから、不毛な関係だとは思いつつ止める気にならなかった。やっぱりやめよう、と言い出したのは伊作のほうからだった。
「やっぱりやめよう。こんなのは、間違ってる」
「俺はお前が好きだ」
「知ってる。でも、ごめん」
ひどく疲れた、と食満は思った。そう思いながらぼんやり日々を過ごしていた。
落ち込む日は、仕事に没頭するのが一番だ。食満は用もなく用具倉庫に足を向けては、日がな一日そこで過ごした。そのうち、律儀な富松が食満が手慰みに用具の整理やら修補などをするのを手伝い始めた。そうなるとあとはもう委員会が始まってしまったようなもので、時間が空くたびに一、二年生たちも集まってくるようになった。
竹谷と詳しく口を聞くようになったのは、そんな時期のことだった。

ある放課後、いつものように用具の整備をしていると、生物委員が尋ねてきた。生物委員は一年ばかりだから、「失礼します。用具委員、入ります!」と声がかかったあとで、小さい子どもたちがきゃわきゃわと入ってきた。それから三年の伊賀崎が相変わらず首に毒蛇を巻きつけて、失礼します、と倉庫の奥に作られた小部屋の敷居をまたいだ。最後に入ってきたのが、委員長代理の竹谷だった。
「失礼します!委員長代理の竹谷八左ヱ門です。食満先輩にお願いがあってきました」
はきはきと気持ちのいい挨拶をすると、そのまま「せいれーつ!」と声を上げるので、突然のことに食満は面食らった。竹谷の号令に、わやわやと倉庫に散らばっていた下級生たちが戻ってきて横一列に並んだ。運動会か体育の号令のようだと食満は思った。
「気をつけ!」「食満先輩に、礼!」
「「「おねがいします!」」」
全員で声を合わせて、ぺこりと礼をされたのが、とてもかわいかった。富松が横で、小さく吹き出すのが聞こえた。

竹谷のお願いというのは、飼育小屋の鍵の修理だった。
「はじめは誰かの悪戯だと思ってたんです。でもあんまりよく壊れるんで、もしかしたら、鍵自体が悪いのかと思って。見ていただきたいんです」
竹谷は鉄でできた錠を食満に渡した。食満は手に取ると、目を細めて色んな角度からまじまじと見つめた。
「いつ買ったやつだ」
「えっと、去年の今頃です。委員長が市で買ってきてくださったんです」
「粗悪品だ。合わせの部分がゆがんでる」
「買い換えたほうがいいですか」
「まあ、そうだな」
「直せませんか」
「いつも生き物が逃げて困ってるんじゃなかったか。新しい、もっといいものを買ったほうが無難だぞ」
「予算が足りなくて」
竹谷が苦笑して、ぼさぼさの頭を掻いた。食満は溜息をつくと、「ま、暇だしな。直してやる」とそれを請け負った。
「ありがとうございます!」
竹谷が嬉しそうに笑った。それがあんまり明るいものだから、食満は、花が咲いたか、太陽が照ったようだと思った。竹谷の足元にぎゅうぎゅうとしがみ付いていた一年生たちが、竹谷の後に続いて「ありがとうございまーす!」と明るい声を上げて頭を下げた。それから竹谷を見上げて「先輩よかったですね」「もう虫逃げないの?」「先輩嬉しいですか」などときゃわきゃわ尋ねた。竹谷はひとりひとりの頭を大振りに撫でると、笑顔で「おう、やったな!」「うん、もう、ミーちゃんもチュウべヱも迷子にならないぞ」などと答えてやっているのだった。食満は瞳を細めながら、その光景を見つめた。これは子どもにもてるだろう、と竹谷を見遣る。その視線に気がついたか竹谷は顔を上げると、食満に向かって、無邪気な笑みを返した。

鍵の修補にはちょっとした時間がかかった。その間生物委員たちは倉庫の中で思い思いに遊んでいたようだった。倉庫は光が届かぬから、子どもたちはすぐ嫌になるだろうと踏んでいたのだが、竹谷が待ち時間をいっしょに遊んでやっているから退屈しないでそこにいるらしい。おかげで食満は、鍵を直す作業に集中することができた。しばらくたって、喜三太が食満の腕を引いた。
「先輩、僕のなめ千代がお外にいっちゃいました。探してきていいですか?」
用具倉庫の周辺には、危険な薬草園だの実習で仕掛けられたトラップだのが張られていて間違って入ると危ない場所がいくつもある。食満はいつも自分が一緒についていくことにしていた。
「喜三太、少し待て。今火を使っているからすぐにやめられんのだ」
「でもなめ千代が」
「だったら富松に、」
と顔を上げて、ア、と口をつぐんだ。富松は孫兵とふたりで鉄を打つための火を用意していた。富松が困ったようにこちらを見ている。ふいに、横から声がかかった。
「俺が行きましょうか?」
竹谷だった。「頼めるか、」というと「はい」と明るく頷く。しゃがみ込んで喜三太に背を合わせると、笑顔で話しかける。喜三太は可愛らしいけれど、特殊な性癖があるしマイペースで掴みづらいから面倒がる上級生も少なくない。竹谷は喜三太に苦痛を感じていないようで、食満はひとまずほっとした。
「俺と一緒になめ千代を探そうな!名前は?」
「山村喜三太です」
竹谷が喜三太の手を握る。その首には一平がしがみ付いている。背中からは喜三太のクラスメイトの虎若と三治郎としんべヱも覗いていた。子どもに囲まれているなかで竹谷は明るい声を上げる。
「よーし、なめ千代探しにしゅっぱ~つ!」
「僕も行く~」「僕も~」次々と子どもたちがついていって、倉庫は一気に空になった。
「凄いな、子どもに好かれるんだな」
感心したように呟いたら、伊賀崎が自慢するような口ぶりで少し胸をそらせて「そうですよ」と頷いた。富松は何を思ったか、「食満先輩も負けてないっすよ!」と頬を紅潮させて勢い込んで呟くので、「なに対抗してんだ、ばーか」と笑ってやった。
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蛇と蝶々

孫竹よ増えろという願いを込めて。


孫兵は時々人に酔う。長い時間ひとの群れの中にいると、中てられる。孫兵からしてみれば、人間は、毒虫なんかよりもずっとずっと面倒な毒を持っている。妬みやら嫌悪やらそういうものを抱いて平気で美しく微笑むことのできる複雑怪奇でなんて判り難い生き物。孫兵とて人だから、そうした人の在り方を責めるつもりはもちろんないし、ひととはこうあるべきだ、などというもったいぶった偉そうな講釈をたれる気もない。そもそも孫兵は、毒虫ならともかく、こと人に関してはたいした理想もないのだ。いや、そもそも興味がない。人が毒虫を見て、ああ、毒虫だ噛まれぬよう気をつけなければ、それにしても、ああ、この乳白色の蛇腹に赤黒い鱗が気持ちが悪い、などと観察してそのまま離れ、自分に実害なくば遭ったことをすぐ忘れてしまうように、孫兵にとっては人間がそれに当たるのである。しかし、ひとといると、時たまひとに中てられて、ひどく気分が悪くなる。
孫兵は打ちのめされたような気分で、長屋の廊下をふらふらと渡っていた。
昼間の長屋は全員が出払っているから、ひどく静かだ。
ひたひたと足音を立てず歩み行けば、鴬張りの床板がぎしぎしと鳴る。その音を聞きながら進んでゆくと、やがて廊下の先に虫籠を見つけて、孫兵はア、と思った。竹ひごで作られたそれは、簡素なつくりをしているけれどもとても丁寧で丈夫につくられていて、使い込まれて飴色に光っていた。それは竹谷のものだった。昔、食満に作ってもらったのだといつかに自慢げに話してくれたっけか。それは五年の長屋に続く廊下の岐路にぽつんと置かれていた。
今は籠の中に、青い羽を広げたるりしじみが捕らわれている。
孫兵は少し遠いところからそれを眺め、やがて近寄った。ははあ、先輩、日光浴のつもりでこんなところに出しっぱなしにしたのだな。ひねもす日に当てられ続けているのもかわいそうだ、籠に薄布でも被せてやろうかと孫兵と近づくと、ふと右に別れた廊下の向こうからひそひそと声がした。それは、六年の長屋だ。生徒たちの休日は原則一斉に設定されているけれども、六年生ともなると個人のプログラムが多くて休日も個人的でまちまちになる。誰かが休みで、部屋で話し込んでいるのだろう。孫兵はそう思って、気にも留めなかった。
竹ひごに指先が触れたとき、ふいに竹谷の声がした。孫兵はびっくりして、心臓を冷たい手でぎゅうと引っ掴まれたような驚きでもって、顔を上げた。先ほどの部屋からだ。六年の誰かの部屋に、竹谷が遊びに来ているらしい。孫兵は、眉を潜めて下唇をかんだ。六年の正体は、いわずとも知れたと思った。
(――食満先輩)
そのひとは、竹谷と懇意にしている六年だった。孫兵はたいした繋がりもなくあまり話したことはない。鋭い印象の男で、瞳やら顎の形やら、みんな細く尖っていて、鋭い。そのくせ、性格もそうなのかというと、同級生の潮江相手にはよく突っかかっていくが、後輩にはひどく優しいらしい。しんべヱと喜三太がよく懐いて、という話を虎若と三治郎から聞いたような覚えがある。竹谷と食満がいっしょにいるところを、孫兵はほとんど見ない。ふたりっきりで仲がよさそうにしているところなぞ、今の今まで終ぞ見たことはなかった。しかし、竹谷の言葉からはよく、食満という言葉が出た。食満先輩が、食満先輩から、食満先輩の・・・。それで、孫兵は竹谷と食満は仲がいいのだろうということを知ったのだった。
「ねえ、先輩ってば」
竹谷の声はどこか拗ねたような甘えたような響きをはらんでいて、孫兵はひどく戸惑った。孫兵の知らない竹谷が其処にいる。くすくすと、小さくふたりぶんの忍び笑いが零れて、孫兵の足元まで廊下を転がって行く。
「駄目でしょう、そんなんじゃあ」
「でもな、お前、」
「ほんとうにしようのないひとだなあ」
孫兵はひどく頭が痛むと思い、ああ、そういえば自分はひとに酔っていたのだったと思い出して思い溜息を吐いた。足元のるりしじみが美しい羽根をふわんふわんと動かした。唐突に、孫兵は理解した。ああ、これはもしかして、食満のものになるためにここに置かれているのではないか。
ひどく美しい蝶だった。これを捕まえていたときの竹谷の指先を思い出す。壊さないように、いとおしむように、細心の注意を払って動かされた指先。その指が綺麗だと、孫兵は瞳を細めてじっと見守っていた。
ああ、あの指先は、食満のためのものであったのか。
孫兵はひどく落胆した気分で、首に巻きついたジュンコを撫でた。やっぱり、ぼくにはおまえだけのようだよ。ジュンコが口を開けてちらりと赤い舌を覗かせた。ねえ、あなた、そんなものは食べておしまいなさいよ。そういっているようだった。孫兵はそろそろと息を呑んだ。ジュンコが身体を伝ってしゅるしゅると廊下へ滑り降りてゆく。孫兵の意識を読んだように、音もなく、ひそやかに。
小さな竹かごに、ジュンコは顔を突っ込んだ。それから、くわ、と大きく口を開けた。るりしじみはぱくんと吸い取られるように奥へ消えた。それだけだった。
孫兵は心臓がひどく大きく脈打っているように感じた。頭が痛い。けれど、芯のほうはすっきりしている。
部屋の奥から、悩ましげな声が漏れた。
「あ、うん、先輩、」
しゅる、と帯を解く音が、蛇の伝う音にも聞こえる。聞きたくないと思って、孫兵はそのまま廊下を引き返した。頭痛がする。けれどもこれは、寝たって治らない。
「ジュンコ、さっさと飲み込んでしまえ、そんなもの」
呟いて、ジュンコを持ち上げて首に巻くと、そのまままた木漏れ日の差す廊下をひたひたと。
歩み去った。

子どもの体温

もうちょっとだけ続く。


試験で祭りにいけないというのは嘘ではなかったのだ。
竹谷の中で、嘘になってしまっただけで。
試験が終わったとき、時計の針は八時ちょっと過ぎをさしていた。今から祭りに行こうか、そうしたら竹谷にも会えるかもしれない。そう考えて、しかし食満はふと思考をやめた。なぜ自分はそこまでして竹谷のそばにいてやらなくてはいけないと思っているのだろう。出会ったころから何においても竹谷を優先して面倒を見てきた。それは相手が病気の人間だという労りの心からだろうか。それとも、自分が世話好きな性格だからか。そのどちらもあるだろう、しかし、それだけが理由ではないように思えた。なぜだなぜだ、と考える。心が、竹谷のもとへ行きたがっている。だが冷静に考えれば、竹谷は今日は後輩と祭りに行くといっていたのではなかったか。今から祭りに行って、竹谷に出会えたとして、どうするというのだ。自分はどうしたいのだろう。
もやもやと考え込んでいたら、クラスメイトの伊作が話しかけてきた。外部模試だから周囲には他校の生徒があふれ帰っているのだが、どうやら近所の大学の構内を借り切った広い試験会場で、ふたりは同じ教室だったらしい。
「留さん、お疲れ」
伊作はにこにこと話しかけてくる。
「テストどうだった」
「数学がヤバイ。ありゃ確実に点落ちたな」
「僕は古典だよー。最近調子こいて理数ばっか勉強してたらわかんないのなんのって」
伊作は薬学部志望だ。食満は教育学部。お互いに進路は分かたれていく。田舎だから、伊作とは小学校からの付き合いだ。大学進学は伊作は東京へ行くし、食満も地元を離れる予定でいるから、こんなふうに当たり前に会話をするのも今年が最後だろう。人は、成長していくなかで必ず出会いと別れを繰り返す。
「いい判定もらえてる?」
「BとCを行ったり来たりって感じだな」
「僕なんかDもらうこともあるよ」
食満がかばんを持ち上げると、伊作は「あ、そうそう」と思いついたように行った。
「知ってる?今日諏訪部神社の祭りやってるよ」
「おう。毎年行ってる」
「え、ほんと?僕行ったことなくてさ、留さん、よかったら一緒に寄ってかない?」
「いいけど、終わりかけだぞ」
「いいよいいよ、一回くらい行っときたいんだよね。ほら、地元離れる前にさ」


祭囃子が聞こえる。橙の裸電球が境内沿いに社まで続いて、ずいぶんと賑やかな様相だ。祭りに行くといったら、孫兵の母親は、わざわざ浴衣を出してきた。
「いいよ、洋服で」
孫兵が嫌がるのを、「せっかくだから」と行ってきかなかった。昔から孫兵の母親は、孫兵が外へ出て行こうとするのを喜ぶ。
「お祭り、誰と行くの」
「・・・竹谷先輩。覚えてる?小学校のときよく遊んでもらった、」
「ああ、懐かしいわね。引っ越しちゃった子でしょう?元気なの?」
「うん」
「今は高校生ぐらいか。腕白な感じの子だったから、さぞ育ってるんでしょうね。祭りが終わったら連れてらっしゃいよ」
「う~ん・・・先輩こないと思うから」
「なんで、誘ってみなくちゃわからないじゃない」
「うん・・・」
孫兵の消極的な返事を、母親は不思議に思ったようだった。
竹谷とは境内にある大きな杉の木のもとで待ち合わせをした。竹谷は子供用の甚平に下駄を履いていた。
「あっ、お前浴衣だな!」
「はい。先輩も甚平ですね」
「久々知が着てけってさー。なんだか知んないけど、祭り気分を味わうためだってさ」
「涼しくていい感じですよ」
「ま、涼しいのは確かかな」
ふたりで連れ立ってぶらぶらと境内を歩く。時々屋台を冷やかして、竹谷が射的をやったり、金魚掬いをやったりした。孫兵は隣を歩いて、食べ物を買っては竹谷に分けている。
「先輩焼きソバ食べませんか」
「お前が買ったやつだしお前が食ったらいいのに」
「でも僕、腹いっぱいなんです」
「ならなんで買うんだよー」
「なんでだろ、先輩なら食べるかなーと思って」
「まあ、いいんならもらうけど」
「どうぞ」
プラスチックパックにつめられた冷たい焼きソバを竹谷が割り箸で持ち上げては口に運んでいく。小学生にしては上手に食べていくのを、孫兵はぼんやり見ている。
「孫兵、」
「はい?」
「別に敬語使わなくていいぞ、くすぐったいし」
「だって、先輩だから」
「先輩じゃねーよ。俺のが後輩じゃん」
「・・・」
「小学生にさ、敬語なんて使わなくっていいって。変な目で見られるぞ」
孫兵は何もいえなかった。竹谷はごちそうさまでしたと丁寧に手を合わせると、空きパックを自分のかばんに詰め込み、そのまま孫兵の手を引っ張った。
「たくさんいるからなー道に迷うなよ」
そのお兄ちゃんぶった姿を、すれ違った少女たちが「かわいい」と笑い声を上げていく。だけど孫兵は笑えなかった。

子どもの体温

こども竹谷パロ。続き。


「先天性不可全成長症候群」
真夜中。真っ暗闇の診療所に豆電球ひとつだけをつけて、食満は必死でカルテを漁っていた。医師である親に見つからないように、自宅とはいえ作業は慎重に進めなくてはいけない。竹谷八左ヱ門と古風な名前の書かれたカルテを見つけると、食満は手元のメモに病名を書き付けていく。
先天性不可全成長症候群。
震える指で、持ってきた「家庭の医学」全集を引いた。オレンジの裸電球に一匹の蛾が飛んでいた。そのおかげで手元がふっふっと薄暗くなるのが鬱陶しいと思った。よく覚えている。あとにも先にもあんなに怖かった夜はないからだった。暑い日だった。じっとりと肌に汗を湧かせながら、診療所の隅っこで、真剣に文字を追っていた。覚えている。風のない真夏の夜のことだった。
先天性不可全成長症候群。説明文は、当時中学生一年生だった食満には難しかったが、それでもどんな病気なのかはなんとか理解することができた。それは、決して大人になれないという呪いのような病気だった。

「今度の夏祭り一緒にいけなくなっちまった。ごめんな」
「別にいいよ」
ひどく騒ぎ立てるだろうと思ったのに、覚悟して謝ったわりには、八左ヱ門の反応はあっさりしていた。
「統一模試の終了時刻が、八時なんだよな。そんな遅くまでテストなんてうんざりしちまうよ」
「受験生は大変だなー」
「お前も来年は受験生だろ。覚悟しとけよ」
食満の言葉に、八左ヱ門はうんざりした表情で舌を出した。
「祭りは孫兵と行こうーっと」
「ああ、小学校時代の後輩だったか?」
「そう。今は中学三年生!」
「受験生じゃねえか。連れまわしていいのかあ?」
「いいんだよ。孫兵は頭いいから、留兄と違って一日くらい受験勉強さぼっても合格できるの!」
食満はにっこり笑って、生意気なことを言う八左ヱ門のこめかみを拳で両側からぐりぐりと押した。いたいいたい!と八左ヱ門が身をよじる。暴れるのを食満の父親が食満をにらみつけることで終わらせた。
「留三郎!診察の邪魔をするなら出て行け」
「あ、ごめん、先生。俺、ちゃんと大人しくするから」
なぜか殊勝に謝ったのは八左ヱ門のほうだった。ちょこんと診察椅子に腰掛けている。その細い足は床まで届いていない。子供用のスリッパが足からつるんと滑り落ちてリノリウムの床に散らばっていた。ぺらりとシャツを捲って肌を見せる。そこにあるのは小学生のまるんとした柔らかな輪郭の腹で、食満は見てはいけないものを見ているような気がしてそっと視線をそらせた。
「心音異常なし。じゃあ、向こうで体重と身長を測ろうか」
留三郎、と呼ばれて、彼は診察室の奥から体重計と子供用の身長測定器を運んできた。
「じゃあ、靴下脱いでな」
「うん」
八左ヱ門は靴下を脱ぐと身長測定器のほうに立った。彼の身長は成長の止まった12歳のときからずっと140センチ台で止まっていた。
「留兄、何センチだった?」
「ん~・・・143」
「マジ?一センチ伸びてる!」
八左ヱ門は目を輝かせてその場で飛び跳ねた。「一センチ伸びてるっ!ヤッタ!」ぴょんぴょんその場で飛び跳ねるさまは、実年齢が高校二年生なのだとはとてもわからない。食満は「よかったな」と声をかけて、苦笑した。

食満が最初に八左ヱ門と出会ったのは、中学二年のときだった。その頃、八左ヱ門は患者として食満の診療所に通っていた。田舎の村の小さな診療所に、彼の母親は彼を連れて毎日通っていた。そうして熱心に「何とかして治らないんですか」「本当にもう手はないんですか」としきりに繰り返すのだった。はじめのうちは形だけでも診察していた父親も、しまいには竹谷母子が来てももう聴診器を取り上げることもせず、母親の話をただ黙って聞いてやるだけになった。それはほとんど、カウンセリングと同じだった。父親が、八左ヱ門の母親の心の傷を癒している間、食満は八左ヱ門と遊んでやるようになった。彼が何の病気にかかっているかは知らなかったが、母親の様子から、何かとても大変な病気にかかっているだろうことが知れた。
ある日の夕食時、父親は「彼女は」という言い方で竹谷の母親のことを話題に出した。
「八左ヱ門君を誰にも見せたくなくて、こんな田舎につれて逃げてきたのだろう。八左ヱ門君がかわいそうだな」
食満は、八左ヱ門が何の病気か尋ねた。だが、父親はそのうちわかる、といって決して自分から病名を明かそうとしないのだった。それから一年たって、食満は八左ヱ門の抱える異常性に気がついた。年のわりに幼い顔立ちだとは思っていた。だが、それは成長が遅れているためではなかった。
まったく成長していなかったのだ。
八左ヱ門は中学二年生になった。だが、彼の姿は小学生のままだった。そのことに気がついた日、食満は内緒で八左ヱ門のカルテを探った。先天性不可全成長症候群。それは、成長が止まって一生子どものままの容姿でいるという病気だった。

子どもの体温

「すきなものをたべる」の回で突っ込みを入れている竹谷があまりにも子ども体型でかわいかったのでうまれたわけのわからんパロ。

---------- キリトリ -----------

小学生のころは六年生のお兄さんがすごく大人に見えた。
孫兵が小学校三年生のとき、孫兵には六年生に憧れのお兄さんがいた。竹谷八左ヱ門という名前のそのお兄さんは、孫兵の住んでいる地区で地区リーダーをやっていた。地区リーダーというのは、地区の子ども会のリーダーのようなもので、孫兵の通っていた小学校は土曜日や特別予定で一斉下校になった日は、地区ごとに分団と呼ばれる班を作ってみんなで帰る決まりだったので、そういうときに交通安全とかかれた旗を持って、横断歩道に立ってくれたりする仕事があった。
八左ヱ門はごわごわの硬い髪の毛をもっていて、あまり梳かれていなくていつもぼさぼさに乱れていた。太い眉毛をもっていて目がくりくりしていた。いつもにこにこ笑って、動物や昆虫に好かれていた。
ファーブル昆虫記が大好きだった孫兵が、ある日本を読みながら帰っていると、「本を読みながら歩くと危ないぞ」って注意したあとに、「おれもその本好き。あと、シートン動物記も好き。おおかみ王ロボって知ってる?おれ、その話が一番好きなんだ。うちにあるから、明日もって来て貸してやろうか?」といって、にこっと笑った。それが、孫兵が最初に八左ヱ門を好きだと思った瞬間だった。
孫兵は人見知りの激しい性格で、虫ばかりを可愛がってなかなか友達を作ることをしなかったから、孫兵が八左ヱ門になついて、彼の後ろをまるでひよこのようについてまわりはじめると、孫兵の親はそのことをとても喜んだ。八左ヱ門とはいっぱい虫取りをした。動物園や水族館にも出かけた。とても楽しい日々だった。
ところが、八左ヱ門は小学校の卒業と同時に引っ越してしまった。孫兵が手紙を書きたいから新しい住所を教えて欲しいと頼むと、八左ヱ門は少し困った顔をした。電話番号でもいいと熱心に頼み込んだら、八左ヱ門のお母さんが車から出てきていった。
「孫兵君、今日まで八左ヱ門と遊んでくれてありがとうね。でももう、ハチのことは忘れてちょうだいね」
どうしてそんなことを言われるのかわからなくて、孫兵は走り去る車を見えなくなるまでただただ黙って見つめていた。
今はもう、昔の話だ。


県内の色んな中学の制服が、青空の下ごった返していた。むくむくとわきあがる入道雲を見上げて、孫兵はカッターシャツの釦を二つ目までくつろげると、持っていた学校案内のパンフレットで胸元に風を送った。
「あっつー」
「高校見学ってさあ、なんで夏にばっかやるのかな。秋にやればいいのに」
「クーラーついてる学校あったらさ、今なら俺、即効そこに願書出す」
「あはは、わかるわかる」
連れの三之助と富松の会話を話半分に聞きつつ、孫兵はぐったりとグラウンド沿いに置かれたベンチに座り込んだ。三之助と富松に付き合っただけで、孫兵の受験予定校ではない。孫兵は県下で一番の進学校を受験することに決めている。午後からは炎天下の中部活見学だ。
「どこ行くんだよ」
と富松に声をかけると、「見たいのはバスケ。でも真夏の体育館に行く気になれん」と暑さに食傷した返事が返ってきた。
「俺、バレー見に行こーっと」
三之助がすたすたと歩き始めると、富松は「げ!」と声を上げる。三之助を一人で歩かせると必ず道に迷うのだ。
「俺も行くって!だからお前は勝手に動くな!・・・孫兵、お前どうする?」
「真夏の体育館は勘弁。適当に見学してるよ」
「オッケー。じゃあ、時間になったらこの場所で落ち合おうぜ」
「ん」
片手を挙げて富松を見送ると、孫兵は立ち上がってのたのたと裏庭に向かって歩いた。裏庭には大きな桜の木が植わっているから、いい日陰になると思ったのだ。
裏庭にたどり着くと、孫兵はそこで目を見張った。三メートル四方の場所にぎっしりとひまわりが植えつけられているのだった。太陽に似た大輪の花たちが、規則正しく植わって、一様に太陽を見上げている。黄色の鮮やかさが目を焼く。
「すごいな」
思わずつぶやいた。そのままため息をついて惚けたように小さなひまわり畑を見つめていた孫兵だったが、ふいにがさごそとひまわりたちが揺れたことに驚いて目を丸くした。
「・・・よいしょっとお」
ひまわりを揺らして間から出てきたのは小学生ぐらいの少年だった。小学生にしては背は高いほうかもしれない。細い手足にこんがりとよく焼けた肌。ぼさぼさの髪には、くもの巣が張っている。少年が身に着けているのは、高校指定の体操服だった。少年はどう見ても小学生だから、あれ、不思議な格好をしているな。この学校に初等部なんて併設されていたろうかと考え込んでいると、少年はきょとんと孫兵を見上げて、「あ、」と声を上げた。そのままあわてて駆け出していく。どうやら驚かせてしまったようだ。孫兵が首をひねってその背中を見送っていると、今度は背後で「おーい」と高校生の声がした。
「チュン吉は見つかったのかあ?」
振り返れば、ずいぶんと背の高い高校生。目が合ったので頭を下げると、「あ、見学に来た中学生?部活見なくていいの?」ともっともな言葉。なんとなく居辛く感じて孫兵が身を翻すと、
「チュン吉ここにもいねえわ。どこ逃げたんだろうなあ。飛んでってないといいけど」
と変声期前の少年の高い声がした。先ほどの小学生だ。孫兵は気になって、思わず振り返った。どうも、気になるのである。何か大事なことを忘れているような気がして、ひどく気になって仕方がないのだ。
振り返ると少年と目が合った。くりんとした大きな瞳は瑞々しいぶどうの粒を連想させた。太い眉が寄せられる。
「あ・・・」
思わず孫兵の口から声が漏れた。が、何と言いたかったのかは孫兵にもよくわからなかった。少年はじいっと孫兵を見つめている。お互いにお互いから目が離せなかった。
「・・・なに、知り合い?」
高校生が、小学生に声をかける。
「や、なーんか、どっかで見たことあるような・・・」
小学生が顎に指を添えて首をひねる。癖だろうが、ずいぶん大人びた仕草をするものだと孫兵は思う。
「ハチ、」
高校生が声をかけた。その瞬間、孫兵の脳裏に雷が落ちた。一瞬の閃光が、孫兵の記憶をフラッシュバックさせた。
「・・・ハチお兄ちゃん・・・!」
雷に打たれように動けない孫兵が、何かの天啓でも受けたかのように名を呼ぶと、ハチと呼ばれた小学生が、びしりと背筋を伸ばした。そうだ、この小学生、竹谷八左ヱ門にそっくりなのだった。今度は小学生が驚く番だった。孫兵を指差して、声を上ずらせる。
「あ・・・あれ・・・もしかしてお前、孫兵!?滋野宮小学校の伊賀崎孫兵!?」
「そ、そうだよ・・・!」
孫兵は何度も頷いた。
「君は誰?竹谷八左ヱ門くんの弟か何か?」
尋ねる孫兵に、小学生の目が曇った。じんわりと涙が滲むのに、孫兵は慌てる。それに助け舟を出したのは隣の高校生だった。
「っていうか、そいつが竹谷八左ヱ門だよ。本人」

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